初場所の千秋楽の照ノ富士
いやあ初場所は上位陣が強かったのと負傷で有力力士が次々と休場し千秋楽までもつれて三場所ぶりの横綱照ノ富士は相撲勘が戻るまで中日までに二敗して優勝は危ぶまれたが徐々に調子を取り戻し、千秋楽では本割で横綱取りの大関霧島を子ども相撲の稽古のように吹っ飛ばし、関脇琴ノ若との優勝決定戦でも格の違いを見せつけての堂々の九回目の優勝を飾る鬼神の強さで圧巻だった。琴ノ若にも優勝してもらいたかったが、横綱候補の霧島を吊り上げて土俵下に放り投げた余りの力の差に優勝決定戦では琴ノ若の優勝は無理だと観念させる呆然唖然の強さだったが、琴ノ若は大関昇進の三場所33勝のラインに達したし、準優勝だから間違いなく大関「琴桜」の祖父の横綱四股名に改名することは間違いないだろう。新入幕の大の里も師匠の稀勢の里の初入幕の記録を抜く11勝を挙げたので将来の横綱候補の貫禄の敢闘賞だった。負傷していた伯桜鵬や若隆景も復帰してきたのでますます若手が活躍する時代が来るだろう。モンゴル人が千秋楽で優勝を競い合う時代ばかりだったから、稀勢の里以来の日本人横綱候補の活躍が見られる時代も近い。不祥事さえなければとっくに横綱になっていた朝乃山の二の舞にならぬよう有望若手は相撲にだけ精進してほしい。
お吟さんのゴッホの「夜のカフェテラス」の模写絵凄い!夜空の星のタッチまでよく描けています。みすず書房の弟テオへの『ファン・ゴッホ書簡全集 』全6巻を二十代の板金工時代に夢中で読んでいたので、ゴッホの書簡はわたくしの自分をみつめる過程でとても大切な座右の書でした。で、ふと懐かしくて全集の第一巻をめくっていたらこんな言葉をみつけた。
「コル伯父は、きみは美しい女や娘を見ても何とも思わないかとぼくに尋ねるのだ。だが、ぼくはむしろ醜くても、年老いていても、貧しくても、何らかの理由で不幸であっても、人生の経験や苦しみの試練を通して知性と魂をかちえた女ならその方にずっと魅力を感ずるし、付き合ってみたいと思うと答えた。」(1878年1月9日、アムステルダムからテオに宛てた手紙)
わたくしが医者が匙を投げた障碍者や高齢者たちに受け入れられるのは、若き日に繰り返し繰り返し読んだこういう言葉がわたくしのどこかに残っていて忘れていても覚えていなくても血肉となって生きているのではないか。わたくしは膨大な本を読み、膨大な映画を見、膨大な音楽を聴き、何かに凝るとそれ以上はプロの領域になるという一歩手前の趣味として、写真、オートバイ、料理などにこだわって来たが、それらの多趣味が覚えていなくともわたくしの血肉になっている。
例えば言葉は狼に育てられた子どもは長じても言葉が話せないように、人間は親の財産目録の一部として真似をしながら身に着けてゆくがそれが親、あるいは誰かの言葉だとしても、本当に自分の言葉となるためにはそれが自分の中で血肉となるまでに生きられなければ自分の言葉にはならない。しかし、作家にでもならなければ言葉にそれほど自覚的にはならないし、そのひとの言葉が借り物か本当にその人が自家薬籠中の物にしているかは、うわべは自家撞着を起こしていたり紋切り型になっていたりすれば胡散臭いとわかるが、本当のような嘘も嘘のような本当のこともあるので自分でも見分けるのが難しい。それは自分に誠実である言葉なのか他人に誠実な言葉であるかで重みが変わるせいもあるからだ。自分に誠実でなければ他人に誠実であることは出来ないという生き方をわたくしはしてきたが、これは自分のことすらもわからないのに他人のことなどわかるわけがないからだ。しかし、老い先が短くなってくると、どうもそれだけではすまないのが浮世というものらしい。
俳句のホームページの復元や句集の編集などの黒子として手伝いをすることはホームヘルパーの仕事を年のせいで30件以内に抑える様になってからは週二日はコンスタントに休める様になったので増えてはいたが、表舞台に出ることはもう俳句世間を九年前に引退してから断り続けてきたが、わたくしの言葉や俳句に対する姿勢が結社や同人誌を超えてグローバルなのでわたくしの動物句会や小の会の吟行句会が楽しくて忘れられないという昔の句仲間のリクエストが重なって月一でいいからやってほしいとほだされて、温かい春になったら引き受けることになったのも、九年ぶりの冬眠から出て来た熊のようだが、さて、どうなることやら、随分吟行から遠ざかっていたのでぼちぼちという塩梅になるだろう。
