MENU
274,864

スレッドNo.1941

佐保姫の山ふところにトトロ寝る

>佐保姫の裳裾は海の近くまで ラスカル

  佐保姫の裳裾の沖を遠眺め 佐藤鬼房

ラスカルの句は鬼房の句の前置きのようで、この句は歳時記に載っているので知っていて詠んでいるのかと思えるが、偶然の照応という気がしないでもない。わたくしも昨日の「ににん杉並句会」で近所の蓮華寺のお釈迦様の誕生日四月八日の仏生会が近いので、ここの誕生仏は白い象に乗っているので珍しく、

  象が来て甘茶を飲みに来いと言ふ 猫髭

と詠んだら、特選が二人入ったので面目を施したが、

  月光の象番にならぬかといふ 飯島春子『春の蔵』

という有名な句があったなと思い出したので、記憶のどこかにあったこの句が蓮華寺の白象に暗合したのだろうと思ったからだ。動物が主役の寓話は沢山あるので、熊が背広を着て団地に引っ越してきて挨拶に来るという川上弘美『神様』(1994年)の短編が面白かったので蓮華寺の仏生会の坊主が全国から集まって旧交を温めているシーンが印象に残っていたので浮かんだ句である。

この句のほかに、

  浮いてゐる雲はうごかず涅槃西風
  いぬふぐりしもふさかづさあはの國
  父母のみが我を呼び捨てつくしんぼ

が採られて、この三句は新井代表選だったので代表選を半分独占したのは快挙と言えるだろう。涅槃西風の句は写生句で、地上大風なのに天上大風にはならない地上だけに吹くこの時期の季節風が、

  春の雲とは浮いてゐる雲のこと 猫髭

と昔詠んだ句と照応して、「そう言えばここのところの彼岸西風も雲はぽっかり浮いたままだった」と言われてみればその通りだったという共感を覚えて採られたのだろう。つくしんぼの句も「言われてみればその通りだ」という誰もが知っていて父母を亡くして気づく思いだと言われた。

いぬふぐりの句は、虚子の

  いぬふぐり星のまたたく如くなり

という俳句とはこれだというわたくしの一番好きな虚子の句で、俳句の目は捨てる神あれば拾う神ありという「拾う目」が俳句の目だと合点した句で、千葉の柏市ではいぬふぐりを「星の瞳」と呼ぶという美しい風習を知った虚子が「星のまたたく」と掬ったとわたくしは思って、千葉のひとたちへの拍手の思いでなんとか一句を詠みたかったが、みな説明になってしまい悶々としていた時に、千葉の古名を並べて昔から千葉の人々は自然を慈しんでいたという、そのことだけを詠めば、その言い伝えと虚子の句を背景に自分の思いは俳句に託せるのではないかと気づいたのが、下総・上総・安房の古名をひらがなで並べて最後に國と旧字を置いた瞬間で、これでいいと合点した句だった。

わたくしは自句自解はしないが、ににん凸凹句会では、きっこのハイヒールや波多野爽波師系の鍛錬とは無縁の衆生が多いため、「言いたいことだけを言う」「言いたいことは言わない」の季語と措辞のぎりぎりの距離の振幅を説明しないとわからないし、頭ではわかっても「多作多捨」と「多読多憶」の鍛錬は必要ですよと「井の中の蛙」をとにかく井戸から出さなければならないので、とても大変。しかし、俳句は他の文芸と違ってどんな凡人も下手な鉄砲も数打ちゃ中るので、おおっと声が上がる可能性があるかもと根気よく付き合うのが肝心で、佳句に出会う楽しみはわたくしは一度も捨てたことがないので侃々諤々和気藹々の坩堝で俳句を詠んでいこうと思っています。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年03月29日 05:54)

このスレッドに返信

このスレッドへの返信は締め切られています。

ロケットBBS

Page Top