黒百合の消えてゆきしかうすがすみ
昨夜りんさんにつないだつもりがGWのバグか何かでサーバーにつながらなかったので、今日に持ち越し。
>『句集・櫻姫譚・田中裕明』
今じゃ三万円を超す高値の貴重品。田中裕明の全句集はわたくしも持っているので、お吟さんの師匠は当時二十二歳で俳壇に彗星のごとく現れた新人に興味を抱いたのでしょう。最年少角川俳句賞受賞の快挙は二十年近く破られませんでしたから。最も十代が新人賞を独占する他の文芸と違って三十代までが新人扱いのゲートボール文芸そのものという実態が信じがたい仏壇俳壇である。007を高校の時読んでいたらジェームス・ボンドが37歳と知り、爺いじゃんと驚いたから、村上龍も13歳の職業相談で「俳人」は職業から除外したのもむべなるかなの高齢化社会で、俳壇ほど老衰で亡くなる俳人が目白押しなのも珍しい。
まあ、賞といった類はわたくしには全く縁がないので、なぜ若手が目の色変えて新人賞に応募しているのかよくわからんが、サラリーマンの人格は役職で決まるようなもので肩書がないと俳壇では相手にされないのだろう。しかも、俳人協会というのも沢山あってなんでそんなに一杯あるのか興味ないので、賞よりもいかに自分が納得がいく俳句を詠むかが大事だと思うが、目利きがいないのかねえ、かつての中城ふみ子や寺山修司を見出した中井英夫や澤好摩を見出した高柳重信といった名編集長が。
それと、俳人はみな井の中の蛙のようにわたくしには思える。わたくしが俳句以外の趣味を沢山持っているせいかも知れないが、例えば田中裕明の句は「大胆な取り合わせの手法」が大きな特徴として挙げられており、岸本尚毅ばかりか四ツ谷龍や小川軽舟や仁平勝といった人たちが、「悉く全集にあり衣被」といった句を挙げて論じているが、「悉く全集にあり」という常套句は『虚子編新歳時記』の正岡子規について触れた解説の一節である。奥さんの森賀まりさんにもお弟子さんの対中いずみさんにも句会や催し物でお会いした時に歳時記を見せて説明しているが、みんな「本当だ」と同意していて、西野文代師匠も榎本享代表も「あなた良く読んでるわねえ」と猫髭放し飼い状態だった。
田中裕明は波多野爽波の弟子で、波多野爽波は『虚子編新歳時記』と『ホトトギス雑詠選集』を自家薬籠中の物として暗誦させ、句会ごとに身の周りの季語を集めて手垢の付いていない自分だけの歳時記を作りなさいと弟子たちに実践させていたから、虚子にとっての子規の記述はひと際のものだったはずで、虚子は万感の思いを込めて子規のすべては「悉く全集にあり」と歳時記に刻んでいるのは当たり前ではないか。今の世襲の「ホトトギス」と生前態度のでかかった虚子が良く思われているとは思わないが、どうしてどいつもこいつも子規の『俳諧大要』(出来れば四大随筆も)や虚子の『新歳時記』や『ホトトギス雑詠選集』を一年に一遍でいいから読み直さないのだろう。宝の宝庫なんだから、『ホトトギス雑詠選集』をなぜ朝日新聞社も角川文庫も俳壇一致して再版しないのだろう。このクソボケどもが。
田中裕明は「理屈や意味のない世界が、詩の本来の世界」と語るなど「ゆう」では繰り返し詩情の大切さを説きまた作句の信条としていた。「理屈や意味のない世界」を限りなく好きなわたくしには言葉のもたらすイメージのスパークが面白いので、どうして夢は現よりも残酷で美しいのかとただ見たままの世界よりもまだ見ぬ世界の方を面白がるところがある。
小鳥来るここに静かな場所がある 田中裕明
弟子たちは「静かな場所」という追悼研究誌を今も出している。
ところで、全然関係ないけど映画『君の名は』第二部の主題歌が「黒百合の歌」。三部作とも主題歌は織井茂子が歌っているがみな素晴らしい。わたくしは再上映で少年ながら岸恵子よりも野性的で小悪魔的なアイヌ娘を演じた北原三枝に痺れまくりました。
黒百合の歌
