梅干や母の握りし握り飯
わたくしは大洗で生まれ那珂湊で育ったが、お握りというのは梅干が真ん中に種ごと入っている武骨なもので、塩だけの握り飯、味噌を塗った握り飯、醤油を塗って焼きお握りにしたヴァリエーションしか思い出せない。親たちは働いていて学校に家族が見に来るということはなく、子どもたちだけでやっていた気がする。蒸かし芋が弁当の子や納豆だけの子がいた時代で貧困の差が激しく、わたくしたちが親になってから子どもの運動会を見て一緒にお握りの弁当を食べるという風習が出て来て、わたくしは家の外で他人と混じるのが苦手で身の置き所がなく子どもの写真係で途中で飽きて、娘が出る競技だけ戻って来て、あとはぶらぶらしていた。わたくしの時代は親が子どもの授業参観に来るのを子どもが嫌がって通達の紙を棄てていたほどで、ましてや父親が参観に来るなどありえなかった。父と子が友だちのように接するような気持悪い連中はどこにもいなかった。漫画の「ダメオヤジ」が話題になった頃からだろうか、ダメな父親でもいいのだという風潮になったのは。「地震、雷、火事、親父」と父親が畏怖された時代に終わりが来て、父親と母親をパパ、ママという戦勝国におもねる島国根性の卑屈な親が続々と中流階級の層をなして来た頃で、自分の親をパパ、ママと呼ぶなど鳥肌が立つ。だから娘たちはわたくしをパパとは絶対に呼ばない。呼んだら親子の縁を切られるからだ。
まあ、それは置いといてお握りの話だが、いつからか、具材が豊富なお握りが世に出て来て、コンビニのお握りも海苔をパラフィンで分けて女の紐パンをするりと脱がせるように海苔がぱりぱりのままお握りを包むノーベル賞ものの発明がなされ、米もササニシキとかコシヒカリを使って古古米ではないおいしいお握りが出て来て、梅干お握りも種抜きで、駅にもちょっと高いが出来立てほやほやのお握り専門店が出来て、大阪出張の際は崎陽軒のシューマイ弁当は別格として、わざわざ東京駅のお握り屋を楽しみに寄るようになった。弁当屋もほかほか弁当の海苔弁のように安くてうまいほかほかの弁当に加えて、サラダもいろいろなメニューが増え、玉子と海老が入ったポテトサラダとか自分で盛り付けが出来て、シジミやアサリや豚汁のカップ式味噌汁などの手軽な真空パック味噌汁が出て来ると、お握りとの取り合せも馬鹿にしたものではなく、独り者にはカミサン要らずである。
とはいえ、お握りとは誰が握るかであり、誰もが母が握ったお握りが何と言っても至高のお握りであることは言わずもがなだろう。
写真はピンクのカラー。白しか知らなかったので珍しい。
あら、お吟さん、飛び越してた。塩お握り食べながら、辛子明太子ではない塩漬けタラコを炙って食べていたら、飛び越えてました。りんさんも、アラスカから御帰還ですか。アラスカの地ビール屋は美味しかったねえ。
