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スレッドNo.2519

星空の下に眠らん草の花

永瀬清子(長瀬ではありません)はわたくしが全詩集と『短章集』というエッセー集(彼女は随筆とかエッセーではなく短章という言い方をした)を座右の書として愛読している詩人で、美智子皇后が愛誦なされている詩人でもある(確か朗読もなされていらした)。昔「永瀬清子讃」という題で社内報の『忘閑記』という連載で取り上げたことがあり、言笑でも書いたように思うが、最近目が悪い上に記憶も曖昧なのでここにもう一度載せておきます。彼女は1995年2月17日に亡くなったので、この文章は29年前に書かれたものということになります。

  永瀬清子讃 猫髭

 如月、梅薫る日に詩人永瀬清子の訃報に接した。奇しくも彼女の八十九歳の誕生日の朝でもあった。誕生日という節目に詩集や短章集の後書きを書くことを好んだ彼女らしく、死もまた折り目正しかった。詩人というものが我が国では優遇されていないため、大方の読者にはなじみのない名前であると思われるが、日本というより、アジアを代表する素晴らしい詩人で、米寿を越えてなお、新作を期待させた詩人は世界にも稀有だった。その意味では夭折と言える。

 永瀬清子は明治三十九年岡山に生まれ、昭和五年に処女詩集『グレンデルの母親』を刊行後、半世紀以上にわたって詩作を続けた。八十一歳時の新作『あけがたにくる人よ』(思潮社)は、逝去した夫の想い出を深く美しく伝え、詩集としては珍しく静かなロングランとなって、ふたつの文学賞の栄に浴している。卯月に編まれた遺稿詩集『春になればうぐいすと同じに』(思潮社)もまた静謐な老いの哀しみに溢れていた。「散文は歩行であり、詩は舞踏だ」とはコクトーのことばだが、米寿を越えてなお舞い続けた-しかも「自然に、充分自然に」-ということは奇跡にちかい。

 専門的には様々な見方があるだろうが、一読者としては、たぐい稀れな恋愛詩人、万葉以来の相聞歌の息吹をいまに伝える自然詩人であると考えている。例えば、昭和二十五年に出された『焔について』の「だまして下さい言葉やさしく」。紙面の都合上第二連を抜いたが、彼女が終生、昼は百姓、夜は詩作を貫いた筋金入りの生活びとであることを念頭に置けば、これは古風な相聞歌というよりも、強い意志を持った新しい歌と映じて、当時の人々が静かに愛誦したし、後生も愛した。


  だまして下さい言葉やさしく
  よろこばせて下さいあたたかい声で。
  世慣れぬわたしの心いれをも受けて下さい、ほめて下さい。
  ああ あなたには誰よりもわたしが要ると
  感謝のほほえみでだまして下さい。
  ああ わたしはあまりにも荒地にそだちました。
  飢えた心にせめて一つほしいものは
  わたしがあなたによろこばれると
  そう考えるよろこびです。

  あけがたの露やそよかぜほどにも
  あなたにそれが判って下されば
  わたしの瞳はいきいきと若くなりましょう。
  うれしさに涙をいっぱいためながら
  だまされだまされてゆたかになりましょう。
  目かくしの鬼を導くように
  ああ わたしをやさしい拍手で導いて下さい。


「世慣れぬ」とは遺稿集にも出てくる、いわば永瀬清子語で、米寿を越えたひとが謙譲ではなく、ほんとうに初々しくこの言葉を使っているのを見ると、あらためて清冽な水に触れたような感動を覚える。彼女はまた、短章の名手でもあった。その掌に包まれた水のような短章のなかから「泉」という一編を。これは全文です。


  一寸した小話に心ひかれて書きとめることがある。そしてそれはなぜと云うことまではわからない。ただ私の何かがその話に思いあたるのだ。
 中国の古い民話に、泉を愛した娘がいつもそのほとりで水に見入っていたが、やがてある日みまかった。彼女が音楽を好んでいたことを思って悲しみの父親が泉のほとりで楽を奏すると泉はいつも湧き立つように水を盛り上げた・・・。


スウェーデンのイングマール・ベルイマン監督の映画『処女の泉』も、死んだ娘の後から泉が湧くという北欧民話をもとにしていたが、彼女は「地面を刺繍する」ようなまなざしを持っており、彼女の短章を読むつど、魂が安らぐと同時に、ある切なさを感じた。

例えば「空洞の木」という短章。木こりが娘と森にいた時、敵が攻めてきたのを知って、娘を木の洞に隠し、皆に知らせに行く途中、不幸にも捕虜となり半年の間、帰ることを許されなかった。


 青かった木の葉も散り、明るくなった森へたどりついた時、父親はどのようにしてこの空洞の所へ行ったろうか。父親を待って娘はそこにいた。ただ昔の姿ではなしに・・・。森の茂っていた時、同じ木のようにみえていたその幹のことを私は思う。泣き叫ぶ事なく(なぜならそれは木だから)、しかし死に至るまで待ちつづけている魂がその中にある事を。

 そしてしばしば思う。ある時は急に洞になってしまう人間のある事を。その中に紅いスカートの娘が木の形なりに立ったまま入っている事があるのを。そして人々に交ってそれはやはりほかの誰にも見分けがつかない事を・・・。


誰もが紅いスカートの娘をどこかに持っている。それは子どもであるとは限らない。自分に向かって全身全霊をあげてすがる魂を持つ者は幸いである。その切ない魂に応えることでしか、人は癒されないためだ。彼女は終生それを歌った。

写真は上野国立博物館裏の庭園。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年10月24日 14:42)

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