露地裏の暗黒街の空に月
新宿の高層街のそばに百人町はあり、わたくしが初めて上京して住んだのが新宿区代々木の岸田劉生の有名な『道路と土手と塀(切通之写生)』(1915年、56.0×53.0cm 東京国立近代美術館蔵)通称「切通しの坂」の上にある下宿で、新宿の都庁もまだ無く、水道局の空地のままで、歩いて新宿の繁華街まで出られるので、本と映画と美術が大好き少年には玉手箱のような街で、毎日のように紀伊国屋と映画館と美術館に通っていました。しかし、百人町にはヤクザが闊歩する歌舞伎町より危ないから近寄るなと言われていました。代々木は原宿の明治神宮にも近く気に入っていたのですが、学費を稼ぐのにもっと安い原宿の木賃宿のような三畳の部屋に移り「八角亭」という韓国焼肉料理屋で洗い場からカウンターを任せられるまで小指の無いマネージャーに気に入られて夜はずっと働いていたので、新大久保の奥の小さな公園のそばにある老舗の焼肉料理屋には同僚と一緒に行ってこれが本場の朝鮮料理の味かと勉強したものですが、韓流ブームが起きる前は百人町にも駅近くでこういうおいしい店があるのだと安心していました。妻の妹が合唱の同好会に入って韓国教会でゴスペルを歌うからと小学生の長女を連れて大久保の韓国教会に行ったことがありましたが、表通りから行ったので韓国料理と中華料理が多いと思いはしたものの、ゴスペルを生で聴いてとてもソウルフルでパワフルだったので感動して帰りに新宿の中村屋でカリーを食べて鎌倉へ戻りましたが、娘の口には中村屋のカリーは辛過ぎたようです。
今は毎晩のように韓流ドラマに嵌まっていますが、当時はペだかヨンだか知らないが「冬ソナ」など歯牙にもかけず(ベストセラーは未だに避けるのでまだ見ていないけど)、吟行で新大久保のコリアンタウンに行こうと提案して行って驚き、すさまじい「冬ソナ」ファンのオバサン、ネーちゃんがうようよで駅前通りから立錐の余地の無い混雑で、裏の公園横の昔通った本物の店に皆を連れていったら、もう名人の店主は引退していて娘夫婦が跡を継いでおり、ナンタルチアサンタルチア、味付けが甘過ぎる。みんなは美味しいと言っていたが、わたくしは不満で女主人と口論になってしまい、昔はそうだったかもしれないが今はこの味が一番美味しいって評判なのよと食い下がられて、ぺだかヨンだか知らないが馬鹿女どもの舌に合わせてどうすんの、アポジとオモニが泣くぞと、以来行っていないが、竹島に上陸事件があって日韓関係が悪化するや閑古鳥が鳴くほど噓のように寂びれ、今や中華料理や中東料理のほうが多いのではないかと思えるほどだった。わたくしは韓国料理のカルビクッパが大好きで神田のガード下の「食道園」、新橋駅前の焼肉料理屋のカルビクッパのカルビ肉の塊がどかっと入っていてこの安さというヴォリュームと中辛のスープと野菜のハーモニーがたまらんちんだったが、もう昔作りのカルビクッパを食べさせる店はなくなった。昔はどんな場末の店でも食べられたのに。冷麺もなあ、冷やし中華なぞ冷麺に比べたら不味くて食えるかバカヤローである。冷麺の透明で薄味だがよく伸びるピアニッシモの旨みがキムチを入れてクイック・スロー・フォックスとゆっくりと味変してゆくハーモニーの涼しさ、冷やし中華の下品な不味い酢と砂糖のべた甘の鳥肌が立つようなフォルテシモの暑苦しさは度し難い。
ま、それはさておき、わたくしが俳句文学館への近道にと迷い込んだ道筋は「イスラム横丁」と云われる路地道でいわゆる「暗黒街」の一端である。表通りも一歩裏路地に入ると連れ込み旅館が並んでおり、一見お店の呼び込みのような女性も中国訛りだが「立ちんぼう」という風俗嬢の勧誘の仮の姿のように見える。不動産屋や外国語学校、ホームから見える大きな「性病科婦人科」のネオン看板、表通りから路地に入った途端の昭和の場末感は半端じゃなく、中華料理と中東料理のマニアックな料理名はこの街でしか見たことの無い間違いなく犬の肉や現地の人しか喜ばない強烈でディープな味付けだろう。日比谷のフェスティバルで見かける日本人も気楽に並んで食べられる露店やレストランではなく、まさか日本にこういう無国籍暗黒街の雰囲気があったのが不思議である。不動産屋を覗くと客は全員外人らしい。昔ここは廃品回収を扱う貧乏な「バタヤ」(那珂湊ではバッタ屋と呼ばれていて阿字ヶ浦の射爆場の赤胴を金に換えてくれた。保育園のそばのナヘドという沼で蛙を餌にザリガニを釣ると小遣い銭をくれた。何にすんのと聞くと魚の餌にするとか云っていた)が不法占拠して、東京オリンピック前に彼らを仮設住宅に移動させたが、東京オリンピックから五十年近く経った今でも何と「百人町区営アパート」として今もある。見た目は原宿に在った日本一古いアパートのように蔦が壁を生い茂るがあんなハイカラなものではなく、廃屋のようだが、表札は在日コリアンの名札なので老人たちが住んでいるらしい。まさしく戦後史を絵に描いたように残しているが新宿区も手が出せないのだろう。
俳句文学館とはこういうディープな町の一角にあるのである。行く前はカルビクッパのおいしい店でも紹介してもらおうと思っていたが、カメラさえ向けられない、まるで漫画の『ディアスポリス 異邦警察』のような街だった。あ~、おっかねえ~▼▼
写真は新大久保駅まで歩いてホームから大久保駅を振り返った写真。新大久保駅に昔のコリアンブームの頃の面影は無いが、山手線の新宿へ繰り出す若者たち(露出度大きいギャル続々)で凄まじい人混みでほとんどが日本人とはいえ、異国人も交じっており、大久保駅とは違って明るい分、大久保駅界隈の駅の近くの暗がりが際立った。そうそうこの駅の例大祭をやっている神社の奥に仲良しの連れモクの句友が居て、句会の休憩のたびにふたりで煙草をふかしていたっけ。彼女はジャズが歌えて「気」で痛みを癒すことが出来た。わたくしの従兄の嫁も同い年でわたくしと同じヘビースモーカーだったが、彼女も肺癌で亡くなった。従兄も昨年亡くなったが生前はわたくしが煙草を吸っているとカミサンのことも思い出すのか、あいつは言ってもやめなかったが我はやめろよと言っていたので彼の前では吸わなくなった。しかも下戸ときてるから、これだけは一緒に寿司を食っても嗜ませてもらった。みんな先に逝ってしまうなあ。わたくしよりも摂生してるのに。同じ煙草を吸うにしても彼女たちには口に出して言えない何かを煙草を吸うことで癒していたのかも知れない。わたくしはそういう吸い方はしたことがない。
二十世紀ちふ梨や父とうに亡き 前田りう(『がらんどうなるがらんだう』2009年)
