御降りやお山いまごろ雪だんべ
御降(さが)りは元日から三日までの雪や雨が降ることを目出て言う言葉だが、降るという言葉が古につながるため昔はハレの正月の忌み詞(ことば)とされ「御降り」に言い換えたもので、鼠を嫁が君、梨は無しに通じるから有りの実と言い換えるようなものだが、民俗学や文化人類学において「ハレとケ」という場合、ハレ(晴れ、霽れ)は儀礼や祭、年中行事などの「非日常」、ケ(褻)は普段の生活である「日常」を表しているが、「穢れを祓う」という神道の影響で「ハレ」は晴着や晴の舞台というように特別なあらたまった儀礼を伴うのに対して「ケ」は本来の日常から不浄なる忌むべき「ケガレ」を含む意味を持つようになったようだ。ハレの日には、餅、赤飯、白米、尾頭つきの魚、酒などが飲食されたが、これらはかつて日常的に飲食されたものではなく当時の庶民は雑穀と汁物と漬物が日常食で、肉や魚などの動物性の食品はご馳走であったので、現代はいつでもどこでも売っていて誰でも飲食出来るから、「ハレ」と「ケ」は時代が進むにつれて曖昧になっている。
とまれ、正月のお雑煮などは作ろうと思えば確かにいつでも作って食えるが、やはり長年の習慣で一年に一度正月にはお節料理やお雑煮を食べるのがあらたまって正月を迎えて去年との区別をつける行事になっている。今はお節を自分の家で作らず出来合いを買うのが流行っているが、わたくしの唯一の信仰である「家族」に言わせれば大馬鹿野郎もいいとこである。バカタレどもが。
ま、それはさておき、わたくしは雑煮が大好きなので毎日作って食べている。これは丸餅では味が出ない。伸し餅の四角い餅でなければアカマムシドリンクである。というのは京風丸餅は昆布出汁の白味噌に焼かないで丸餅を入れて煮て柔らかくして柚子を散らし三つ葉を輪にして乗せるはんなりとした味わいなので(八つ頭という馬鹿でかい芋は見栄えも悪いし味も悪く、観光客用の店でお上りさんが食うものだ)、おいしいことはおいしいが、インパクトがない。東男が好きなのは焼いた餅の香ばしさが汁と混然一体になった味こそが、ああ正月の味だと感じさせるのである。出汁は昆布と煮干しと焼飛魚(あご)と椎茸のスライスで取る。醤油は色が付く程度だが、あとは葱と人参を細切りにして入れ、蒲鉾と鶏の腿肉の小切りを入れたら、こんがり焼いた角餅を食べる分入れて煮込み、仕上げに柚子の皮と三つ葉刻んで入れてを完成。餅のいやこのお焦げの香ばしさと具材のコラボするスープのうまさは堪えられない。餅十個食ってお腹がグルジア共和国。(*^▽^*)ゞ
