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スレッドNo.3700

春一番待たず先生逝かれけり

月末月初は作業報告書を社福協とデイサービスに作って届けるので杖をついてよたよた東奔西走ですが、自分では速足のつもりが幼稚園児にも抜かれてトホホ。

岩淵喜代子先生が亡くなったと新井代表から電話があったのは二月一日のことだった。一月二十七日に亡くなって、葬儀も三十日に遺族だけで済ませたと娘さんから電話連絡があり、お墓は娘が住んでいる仙台に樹木葬にしたいと生前言っていたので仙台に埋葬されたようで、脊柱管狭窄症の検査入院が一月六日で、前日の五日の昼過ぎに電話が来て「脊柱管狭窄症で死ぬことはないけど、九十近いのだから絶対に手術はしないように」とアドバイスしたのが最後の会話になったが、十一日にはEメールを送っても受信のフラグが立たなかったので、もしやと思っていたが、その時にはもう携帯を見ることも難しかったのだろう。澤好摩に続いてわたくしを認めてくれた大切な友人がまたいなくなった。岩淵先生曰く「こんなに馬が合う人は珍しい」そうだが、わたくしを「執事」扱いして顎でこきつかう無茶ぶりは尋常を逸していた。「だって、なんでもできちゃうじゃない」って、歳時記や辞書ぐらい自分で見ろよ。(*^▽^*)ゞ

そう言えば去年の春号に話題を呼んだ春一番の句を思い出した。

  後ろから春一番の羽交締め 岩淵喜代子

米寿を過ぎた老女の詠む俳句かと合評で話題になった。

最後の句になるのは昨年末に詠んでいた

  芹薺夢の終はりはなかりけり 岩淵喜代子

だろうか。ヘルパーの女性に投函を頼むと言っていたが、新井代表は新年号には載っていないと言っていたので遺句になったかも知れない。

引用して返信編集・削除(編集済: 2026年02月06日 03:20)

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