つはぶきは黙し語らぬ友の花
わたくしの竹馬の友が亡くなったのは真夏の平成28年(2016年)8月18日だったが、どういうわけか十二月のものみな枯れし鎌倉の山を歩いていて崖沿いの地軸から出た色と石鼎に詠まれた「石蕗」の黄色と緑色の光沢のある葉の対比が、自分に誠実であることで人にも誠実を尽くした友の人生のように感じられて、真冬の崖に咲く花と花が終わっても光沢の分厚い緑を照り返す葉に友の精神力の強さを見ていた。本当の力というものは物皆倒れた過酷な状況で真価が問われるもので、「自分に誠実に生きるにはどう生きれば良いか」に十代にして「言葉」から吟味していて、「現在」という言葉を使うことは自分に誠実ではないので「今」としか言えないと、背伸びして自分を粉飾することを拒否して自分に誠実な言葉を使い続け、「認識」で人と付き合うのではなく「素朴さ」こそが人間関係の「誠実さ」に繋がると信じていた友の生き方は「暴力」という「関係性」を極力見過ごさないという目で見られた世界で、その誠実な目が茨城新聞社出版局を支えていたのだろう。わたくしは彼との48年間の交友から「あるがままに生きる」ことを学んだ。他人の物差しではなく、どんな物差しよりも「そのひとらしさ」を見るようにした。良いも悪いも「そのひとらしさ」であればそれは美点でも欠点でもない「そのひとらしさ」だから腹も立たないが、面倒なので敬遠するからプライベートでは付き合わない。あれまあ。ひとりでいることがわたくしには退屈でも孤独でもなく「遊びをせんとや生まれけん」(梁塵秘抄)だから遊びたい事柄でいつもはちきれているので、生きるためにはお金が不可欠だからそれに見合う仕事は全力でするが、それ以外はほっといても大丈夫な「ひとり上手」の完全体である。「私は総てのことを自分自身から学んだ」(ヘラクレイトス)というのは人間関係を絶つということではなく、「関係とは人間の結節点である」(サン・テグ・ジュペリ)から、本当に大切な関係を大事にし、それ以外は決然と自分の心に沿って断捨離することである。
大いなる海の力や石蕗咲ける 石鼎昭和24年石蕗六句
地軸より咲きし色なり石蕗の花
うすうすと大地の苔や石蕗の花
地軸よりぬき出て咲けり石蕗の花
雨に照り日に濡れ石蕗の花崇し
花終へて安らけき石蕗の葉なるかな
で、今夜は昨夜失敗したおでんの残りに大根とはんぺんを買って来て足してリベンジ。ひとり遊びおでん五句。(*^▽^*)ゞ。
大根の厚きは串を刺して煮よ
おでん煮て嗅ぎ出す空気清浄機
はんぺんのふくらんでくるおでんかな
おでん煮ゆはじめに食はれたきは誰
おでん食ふ最後はやはりこれだらう
