青鷺が小首傾げて日脚伸ぶ
東京の図書館は近くの下井草図書館といい、日本一大きい東京都立図書館といい改築中で、必要な資料を探すにもいちいち係員に持って来てもらってまた別の資料を持って来てもらうという面倒臭さで自分で探せば簡単に済むところを何度も行き来してもらうので手間がかかる。わたくしは高校時代から「紙魚庵」という雅号を名乗っていたくらいの書痴だったから妻や娘からは図書館に行くよりわたくしの本箱の方が面白い本が一杯あると言っていたくらいで音楽や美術や写真や映画もそうでわたくしのコレクションの方がいちいち本屋やレコード屋や美術館に行く必要がないくらい何でも揃うと言っていたし、わたくしはひとりで読書や鑑賞をしたいので図書館で本を読むことは無く借りて来て自分の部屋で読むタチで、美術館でも新聞で騒がれると人混みの中から見るというのが見ている気がしないで売店で展覧会の図録を買って帰って来るほど人混みが人塵と言うぐらい嫌いだから絵に描いたような「都会のロビンソン・クルーソー」である。誰にも邪魔されずに煙草と酒と抓みとジャズをBGMにゆっくりと絵空事の世界に遊ぶのは至福の時間である。子どもたちも大きくなって独り立ちしても「離れていても心はいつもそばにいるよ」と優しいことを言ってくれる。「忘れねばこそ思い出ださず候」が家族というもので父母は死んでも心に生きているのと同じで、時間というものは思い出をいいものしか残さないから実に都合がいい。長男なので死ぬと両親の墓に入ることになるがそれだけは気が進まない。死んだら誰にも気兼ねしない一人がいいなあ。どこかの海辺で野垂れ死にして髑髏が海を向いて転がっているとか。おいおい。
写真は凍った和田堀池を突っついて餌が取れず不思議そうに見ている青鷺の子ども。
