とんでくる吾子をぎうぎう抱いて春
今日はコロナで自粛していた娘の誕生日デートの二年ぶりの逢瀬で夕方の五時半にあってびっくり二人並んで送ってもらった写真、姉妹間違ってた!茶髪にして化粧するとどこの別嬪さんだと変身した方が長女だと思ってたら次女で、まあこの子は髪形変えて化粧するたびに、え、誰?というぐらい印象の変わるアイドル顔で、後ろの小顔で目のぱっちりした控えめな子が次女だと思ったら長女で、長女に言わせると次女は別人かと思えるほど化粧で違うので、みんなパパ似だと言うそうで、長女はママ似と言うが、ママは化け物かと思うほど一族若く見えるので一緒に飯を食いに行くとわたくしの娘に間違えられ、わたくしが怒ると、あら御免なさい姪御さん?と言われて、そんなに俺は老けて見えるのかと唖然として訂正する気もなくなるが、どっちも正解で嫁の母親がわたくしと並ぶと夫婦に間違えられたから、若く見えるのは間違いなく、またわたくしは娘たちが幼稚園の時から先生に娘のお爺さまだと思われたし父兄代表はいつもわたくしが指名され、いやだったが他の父兄がわたくしの息子のような年だったから、まあ長老と言うことにはなるが、長女は妹よりも若く見られたと喜んでいた。どうもわたくしは女性の年を中てるのが苦手なようで、女性は化粧や着ている服装で若作りを装おうので、何も装わないわたくしの方が年寄りに見えるのだろう。
まあ、わたくしの前ではよく笑う子たちで育て方はカミサンに任せて関知しなかったが、国内外の出張が多くて普段も海外とのやり取りで昼夜分かたずの、月曜に出かけて土曜日に帰るような激務で、長女も休みの日でもお客に呼び出されて出かけるわたくしに「パパ、会社に帰るの」と訊いてきたからわたくしが会社に住んでいると思っていたのだろう。それで、長女も次女もわたくしが帰宅すると張り付いて離れなかったが、帰宅してまだ起きていると「パパ。お帰り」と飛んでくるからその時は抱き上げて力一杯抱きしめて苦しいとママのところに逃げ帰るが、息が苦しいほどぎゅうぎゅう抱きしめられると子どもは満足するので、帰るとぎゅうぎゅうするのが子どもと父親のスキンシップの慣わしだった。家を留守にしなければならないほど父親は仕事に打ち込んでいるけれども邪険にはされず確かに力いっぱい愛されているという記憶は大人になっても残っているので、親に可愛がられた子どもたちはあたじけない大人にはならないものだ。
コロナで何年も会えなくても、離れていても、会えば子どものときからの父親のままで心置きなく甘えられる信頼感はちゃんとあるし、子どもたちも父と同じく噓をつけない性分を受け継いでいるので不器用な生き方をしているのかも知れないが、自分の考えはしっかりと持っていて、ひとはひと自分は自分という生き方をしているから大丈夫だろうが、どうも長女は凝り性なところがパパに似ちゃったのかなと言っていたから、余りわたくしのように狭く深い趣味があり過ぎるとひとりで寂しくないのか少し心配である。
しかし、今日のお店は魚屋さんがやってる小料理屋さんだから、ホウボウと赤貝の刺身(赤貝の身がぷりっぷりでヒモがまた旨い)、ヒラメの縁側のポン酢和え(脂の乗りが半端ではない)、納豆とイクラとヒラメとシラス、長芋、鮭、マグロに雲丹や卵の黄身を混ぜてぱりっぱりの海苔に包んで食べる「納豆爆弾」の口の中で鯛やヒラメが舞い踊る旨さは筆舌に尽しがたく、鰤の鎌の塩焼きの塩の振り方旨味に骨で覆われた部分のトロが蒸されて何ともゴージャスな味わいは猫でもここまで綺麗に食うことはあるまいという食いっぷりで、関東のひとつ残しはこの親子にはないだろうという食いっぷりで、今日は酒は飲むまいと思っていたが、娘が初めて「わたしも飲もうかな」と「レモン・サワー」を頼んだので、それは何だと聞けば焼酎をサイダーとレモンで割ったものだと聞いて、え~っ、酒が飲めるようになったのかと青天の霹靂で、ちょっとだけだけどねと言ってはいたが、それならオヤジも飲まずばなるまいと日本酒の久保田の百寿(朝日山)を頼んで、親子で酒を呑むのは生まれて初めてだと感慨深かった。
わたくしは父と酒を酌み交わすことはなかった。昭和の男とはそういうものである。父の皿に妹たちは手を伸ばしていたが、長男のわたくしが手を伸ばすことはなかった。むしろ父の好物をわたくしは好きではないと言って避けていた。母はいつも給仕にあけくれて一緒の卓で食事することはなく、家族の食事を終えてから台所で食べていた。父に認めてもらいたいという気持はあったが、わたくしの人間の出来が悪かった所為で期待に応えることは出来なかったが、わたくしが自力で一部上場企業の課長になり家庭を持ち孫にも恵まれ、父も母にはたいしたものだと喜んでいたと聞き、いつしか隔たりは薄れていたがもうその時は父は晩年で酒も煙草もとうに絶っており、死ぬ間際に見取りで集中治療室で添寝をしたのが最後の会話になったが、その時にもう隔たりは全く無かった。口に出して腹の中を言うのは昭和の男には無理なので、わかればわかるという、それで良しとすることになる。
長女と酒を酌み交わすことになるとは思いも寄らなかった。久保田の百寿は呑みなれた酒だが、これほどうまい酒とは思わなかった。
