どいつもこいつもクズなのか
こんにちは。
いつも質問に答えて頂きありがとうございます。
本題ですが、最近人を信じられなくなっています。
具体的には、気にしてもしょうがない事が気になってしまったと言うか、みんな結局醜いのねと言うか。
それを言ったら自分もですが、自分はその中でも少しでも生きて行く上で素晴らしい価値観と出会い、それを糧に邁進して行くのが人生に強く求める事なのでした。しかし、最近それが何を取っても全否定されてるようでなりません。
出来る事なら、どんな事だって適切にやってのけるつもりで居たのに、今や何が正解か、もう分かりません。
物心ついた時から芽生えてる魂の孤独が今全てを否定せんが為に渦巻いてしょうがありません。
最悪の場合、可能な限り皆を巻き添えに自分も…と言う心境になりかねません。ただやっぱりそうしたくはないです。少しでも考え方を変えたいです。
とにかく、自分が求める物が「お前には絶対無理だぞ」とことごとく否定されてる気がしてなりません。
この気持ちについて、どう思われるでしょうか?
こんにちは、投稿ありがとうございます。
人間関係は色々と難しいですね。
私は生きていくのに、信用できる人は必要不可欠ではないと思います。
配偶者や肉親であっても所詮他人ですし、100%は信用出来ませんよね?
職場の人間関係なんて尚更信用できないでしょう?
生きていくのに必要なのは衣食住を準備できる最低限のお金です。
職場では挨拶と謝罪 謝礼、あとは仕事の会話のみで、
仲良く出来なくても 否定されても、
とにかく、お金が稼げれば、十分ではないですか?
しかしながらプライベートでは、信用できる人が居た方が、
幸せを感じる瞬間は増えると思います。
共通の趣味とか、愚痴を言いあったり、共感したり、
まあ100%は無理ですが、30~50%くらいでも
信用できると楽しいですよね。
あと人生や人間関係に正解は無いですよ。
法律と社会のルールが守れていれば、
どんな付き合い方でも 何をしても良いと思います。
世の中に孤独でない人間も居ないでしょう?
現代社会は多様性の文化ですので、
あまり多数派の固定観念に囚われず、
自分の思った生き方でいいのでないでしょうか?
無理に人を信じようとしなくても 生きていけると思います。
ありがとうございます。
人を信用と言うよりは、最低限醜く居ないで欲しいと言うのが自分の本懐だったかも知れません。