発達障害も精神障害も時間的ロストがあることについて
https://x.com/kuroASDgirl/status/1939659979851763880
精神障害や発達障害の者が同年代とで実年齢と精神年齢が
ずれている旨の投稿ですが、主に実年齢の0.6や0.7掛けだそうです。
学生時代には年齢比で0.6や1.5の同学生がいたのは実感しています。
(18歳なら対応や精神性が10歳ちょいの人と27歳な雰囲気や行動や頭脳の人です。)
また、例えば鬱休職や失職の人は勤め先の同期と違う人生ルートを進むことになります。
申し上げたいのはメンタル疾患の先天性後天性問わず、実年齢相応な人=1.0な人と比べて
人生時間が減ったり足りなかったり損しているのかなぁと思いました。
人生体感時間(という主観で実物的で無いけど在るのはわかるそれ)の不足感を
どうやったら穴埋めや充足出来るのかで日々悩んでいます。
知識向上(の為の資格勉強)や対人訓練作業やオフ会などへのイベント出向などを
日々実施しても、実年齢比の0.6や0.7掛け=0.4や0.3の不足している部分への不満感が
拭えません。
むしろ、やるべき事やりたい事と実年齢(残人生時間)との比では、望んでいる事や物≫実年齢
のアンバランスで日々不満の澱が溜まる感覚をどう解消すれば良いか悩んでいます。
主観的哲学的な要素もある悩み事で恐れ入ります。
こんにちは、投稿ありがとうございます。
発達障害の精神年齢がが0.6~0.7×実年齢というのは
確かにその通りです。その為定型発達の子と同じ速度で
授業を受けてもついていけませんから、
支援級や放課後デイサービスの利用を勧めております。
成人の発達障害の人でも、年齢的に幼く、
周りについていけない人は多いですね。
私は発達障害児を持つ親には20歳で自立ではなく、
30歳まで時間をかけるように勧めております。
しかしそこで費やした時間は、決して無駄ではありません。
失敗した 思い通りならない 上手くいかない 何もしたくない
どうして良いかわからないなどと思い悩む日々が
将来の自分を形成するのに大事な時間です。
不登校や休職た失業の時間でも、自分を振り返る為 自分と周りが違う存在と認識する為、
自分の不器用さ、不出来な自分を自覚する為に必要な時間だった。
成熟するのに必要な時間であったと考えることは出来ませんか?
そう考えれば、人生に無駄な時間というのは存在しませんよ。
そもそも精神年齢が高いことが良いということはありません。
天才的な精神年齢の小学生が大学に飛び級しても、上手くいかないでしょう?
精神年齢が高い事で周りに馴染めず、同年代との会話もつまらないですから、
いずれ他人の見下すようになると思いませんか?
それよりも不器用で幼い愚直な人の方が、
周りに助けてもらい感謝を述べることで、人の温かみを知り、
周囲に好かれ、豊かな人間関係を築けると思います。
不器用な人は見ていて本当に応援したくなりますよね。
急いで大人になろうとせずに、
ゆっくりマイペースで良いですよ。