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スレッドNo.119

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱多趣味な橋蔵さま✱ #2018.3.15

学生には春休みがあるのですよね。春の選抜高校野球の話が出てくると、「春休み、そう言えばあったなあ」と改めて思います。私には青春はますます遠くなりました。その青春を思いださせてくれるのは、やはり橋蔵さまの作品です。
久しぶりに、よもやま話(私なりの見解と表現で書いていますので、そのところはご勘弁ください。)

1957年~1958年初めごろのことからです。
「ぼくは欲張りなのかもしれません」
冗談のように言って笑った橋蔵さま。芸においても、いろいろ勉強にしても積極的に吸収しようとする人はなかなかいないものです。橋蔵さまはよい意味で欲張り屋さんだったかもしれません。それが、趣味の面にも表れていました。

何からいきましょうか・・趣味というより芸の世界に入るのかもしれませんが、まずは三味線です。二十年間、育ち鍛えられた歌舞伎俳優として、必須のものでしたから三味線は得意でした。それから、琴と胡弓も。歌舞伎で女形をやる人は、この三曲ができなくてはいけなかったそうです。そして笛も名手でしたしね。
歌舞伎には必須のものであれ、橋蔵さまの勉強のほどがどれだけだったかお分かりになると思います。
映画界に入って多忙な日々のため、三味線を手に取る暇もなく、また京都では宿住まいのときでしたから気をつかいますしね。そのため、東京の自宅に帰った時十分満足するように弾いていたようです。そうそう、三味線とくれば小唄が・・橋蔵さまは小唄がお上手でした。作品の中でもちょくちょく口ずさむところがあります。小唄は色っぽいしいいですよね。橋蔵さまの声音に合います。
京都の宿では、口三味線で小唄を小声で歌っていた時もあったようです。新居をかまえてから、橋蔵さまは東京から愛用の三味線を取り寄せました・・思いっきり引けたでしょう。
「一人だけで暮らす静かさにふさわしく、ポツンポツンと昔の思い出をまさぐりながら、爪弾きをしている姿は風流なことだ」と自分ながら思ったような。
✎(そう言えば私事ですが、大学途中から小唄を正式に習い始めました。三味線を弾きながら小唄を歌う・・・何故唐突に習いたくなったのか・・橋蔵さまの影響が大きかったような気がします。小唄は粋で色っぽくて大人的で気に入っていました。)
歌舞伎のような古典的な世界で暮らしてきた橋蔵さまが持っているレコードは西洋のものばかり、それもラテン音楽やジャズが好きでした。
橋蔵さまの心にはピタリと軽音楽があっていたようです。「今のぼくには、軽音楽の方がピタリとくるのです。感情が鎮むのです。忙しいからかもしれませんが・・」とおっしゃっていました。好きなジャズシンガーは、一番はアーサーキッドで、ペニーグッドマン、グレンミラーも好きだそうです(若い人にはピンとこないかしらね)。歌謡曲も好きで、ロケの時、帰京の時、汽車の中やバスの中で聞いていたということです。
そうそう、新居に越してから、橋蔵さまは思い切ってハイファイ・オーディオを買い、暇さえあればその前で音楽鑑賞にふけったようです。
釣りは橋蔵さんにとって最高の趣味なのは皆様ご存知のとおり。小さい時から六代目のお伴をして釣りに行っていましたので釣りは大好きでした。静かに糸を垂れウキの微妙な浮動に集中するときの気持ちは何とも言えなかったようですよ。
「魚を釣る、沢山釣る、というよりもこの一瞬のスリルがたまらない」と橋蔵さまは言っていました。
仕事が忙しいため川釣り専門になっていましたが、釣りの醍醐味は何といっても海釣り。友達に誘われ、カツオ釣りをした時の爽快感が忘れられなかったようです。釣り上げたばかりのカツオの刺身が美味しかった。一度は黒潮に揺られながら、目の下何尺というものを釣り上げたいという、大きな夢をもっていた橋蔵さまです。
勝負ごとの?趣味は好みません。ただ、囲碁は好きですし将棋もやりました。
東京の自宅には、変わったコレクションがありました。操り人形のコレクション・・舞台に立っていたころから蒐集していたものです。それから、一個一個違った珍しいガラスのコップも集めていました。カットだけで美しさをあらわしているものだけが好きな橋蔵さまでした。

豊かな趣味は豊かな演技、豊かな人生に、とつながるものですね。皆様はどんな趣味をお持ちですか。

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