振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱忙しい橋蔵さまのある時の風景✱ #2018.6.5
(いつものように私なりの解釈とニュアンスでお伝えしますのでご了承ください)
🎍 1958年お正月の橋蔵さまの風景
(掲載するものの年代が、あっちへいったりこっちへいってみたりと、年代順にお伝えできなくてすみません。読んでいて大変だと思いますが、そこはご容赦ください)
橋蔵さま「緋ざくら大名」の撮影は1957年12月いっぱいまでかかりました。
お正月は撮影所もお休みとなりますので、橋蔵さまにとってはお正月でもあり、のんびりとしたいところです。
いつものように東京の家に帰りましたが、のんびりとしてはいられないのです。
お正月休みは、地方のファンのために恒例になっている正月地方公演に出かけなければならないからです。
そのため、12月31日は星美智子さんはじめ一行の人達に集まってもらい稽古をしたあと、慌ただしい歳末の銀座に出て1年ぶりに買い物をしたようです。
1958年の元旦、2日はご無沙汰している方達への年頭の挨拶を済ませ、3日はファンからの年賀状に目を通したということです。
1957年5月の茶話会以来、関東地区の方達に親しく接する機会がなかったので、何とか正月休みに実現したいと思っていたようですが、2日には地方公演に出発なのであきらめていたのだそうです。ところがマネージャーから出発が4日になったと聞き、急遽各支部の方々にお知らせして、4日の19時から東銀座のお店で新年の顔合わせをしたのです。時間的に全会員に連絡ができなかったのを残念がっていました。
ここで、橋蔵さまの作品や演技の批評を有難く聞き、橋蔵さまも、これからは年に2本位は自分自身の納得のいくような作品・・いたずらに芸術づくのではなく、これまでにないあたらしい面を打ちだしたいという希望を話しました。
会が終わり、22時30分上野駅から、会員の方たちの見送りを受け、雪の新潟へ橋蔵さまは向かったのです。
橋蔵さまは、映画界に入ってから、ずっーとこんな調子で過ごしてきたわけです。
とっても忙しいくしていたのに、いつも笑顔を忘れず、やさしい言葉で接する橋蔵さま・・・すごい方でした。