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スレッドNo.149

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ 種々雑多✱ #2019.2.20

皆様の地方は春のきざしは見えてきましたでしょうか? 昨日寒かった東京は今日は暖かだったようですが、今はどんより雨が落ちてきそうな空模様です。まだまだ3月末までは温度差が激しいですから、体調にお気をつけて毎日を過ごしましょう。

映画作品を映画館で見ることが出来る条件が揃う人は限られますから、テレビ放送で旧作品を見ることが出来、録画、DVDで何回も見ることが出来る時代・・・感謝です。そこへ、テレビ画面が壁掛けにするまでの大きいものになってきていますから、 テレビでゆっくりと鑑賞できることは、私のように老いていく者には有難いことです。

そこで、橋蔵さまは芸の上ですべてに美しくていらっしゃいます。
ですから橋蔵さまの全てを知りたい、橋蔵さま側に立ってよき事が書いてあるとその通りと思うのは当たり前のことなのですが、生意気な事をいいますが、そこから自分なりの橋蔵さまを探り出してほしいのです。
古の写真は懐かしさをかもし出すものであり、当時の橋蔵さまを見ていない人には、どうやっても本当のものは通じないものです。動いて感じられるものは・・・映画作品になるわけです。
作品でも大川橋蔵ならこの作品というものの放送が多いのはおわかりでしょう。
役者、俳優も代表作だけが後世のある時まで残っていくわけです。そうすると橋蔵さまが残っていくものは、やはり映画作品になるのです。
この掲示板には、若い方もいらしていただいていますが、橋蔵さまの歌舞伎時代の舞台、そして年3回各舞台をやっていたとは知っていても写真は見たことがあっても、ピンとこないはずです。
何故なら、舞台は数回見ていなければその人の良さは解らないはず、見てもいない人に当時どうのこうのという事は言うことはできないものです。そして、若い人達に橋蔵さまを伝えていただく時、公正な眼で見て伝えていってほしいと思います。橋蔵さまが好きだから、橋蔵さまなら何でも素晴らしいという考えはよいですが、見てもいない良く知ってもいないことを、ただほめたたえるばかりが真の橋蔵さまファンと勘違いしないで、そこは弁えてほしいという事を思います。
うるさいことを長々と失礼いたしました。

では、橋蔵さまの・・・
旧作品の放送を見ていて、違和感なく橋蔵さまが現世にいらっしゃる感覚でみられます。
NHKの当時の「平清盛」の話は、錦之助さんが演られた「春の坂道」に次いで考えていたもののようです。清盛は30年代という若い年齢でなくなりましたから、橋蔵さまの美貌をいかし人気から、老け役をやらなくてよい題材という事もあったようです。
当時のNHKの大河に出ることは、全国に響き渡るわけですから、成功すれば一生ものですし、あらゆる面から取り上げられます。
考えたあげく、橋蔵さまの生き方やりたい事柄・・”銭形”と同時に”舞台”に進出したことで、冒険をすることをやめたような気もするのです。舞台だけの演目で一か月公演で集客するのは困難な事、”銭形”をセットにすればスポンサーもついてくるしテレビ局側もOK。舞台は金銭面で大変ですからそのことも考えたでしょう。橋蔵さまは”銭形”のおかげで安泰、舞台も好きなだけできたし、ファンは長い間我が家で毎週橋蔵さまと会えたのですから、幸せな時だったのです。

話は飛びますが、先日錦之助さんの1991年の「雲霧仁左衛門」を見ていました。
若山富三郎さんが絡んでの内容は面白いものでした。
しかし、時代劇とはいえ年齢には勝てないものです。人は眼に年齢を感じます。他をよく見せても、眼の光までは変えられません。演技の要となるのではないのでしょうか。
そう考えて、橋蔵さまの「銭形平次」とも付き合っていこうと思っています。
テレビの「銭形平次」は、橋蔵さまも家庭を持ちましたから、平次親分のような夫だったらいいなあ、と思わせる箇所を毎回入れて、家庭に入ったファンが平次親分に恋する気持ちを持たせましたね。
映画作品は、橋蔵さまの青春期・・・私達をその若々しい演技で時代劇という夢の世界にひき込んでくださいます。

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