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スレッドNo.14

振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ

✱ぼくはこう思う①#投稿日2015.9.13
読んでいくと、大川橋蔵というスターが目の前にはっきりとイメージされました。
少しずつ書いていきますね。
今回は”演技について”と”舞踊と僕と”のところから抜粋しました。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』から (S34年)

☆演技について
映画の世界は肩を張らせることもなく、若い僕にはぴったりだが、伝統の沁みこんだ芝居の世界もいいものだ。舞台のソデで、出を待つ間に、チョーンという柝の音をきくと、なんともいえぬ懐かしい気持ちになる。
なんだか、胸がキュッとしまって、身体がピーンと張り詰めた糸のようになる。やがて幕があいていく。緊張に震える足を踏みしめるこの瞬間は、役者でなければわからないだろう。
この間梅幸兄さんにあったとき、話が仕事のことになって「一度、世話ものをやらしてもらうといいね」と言われた。
そういえば、僕は映画入りしてから、不思議に活劇ばかり、立回りはどうやら上手くなったが、ここらで演技の勉強をする”世話もの”に出演してみたいと思う。(省略)
僕の「大江戸喧嘩纒」「若君千両傘」も、世話ものといえないこともないが、もっと歌舞伎でいう「生世話」に出てみたいのだが・・。そうかといって「酒屋」や「文七元結」みたいなみのを映画でやるのが無理なのはわかっている。僕は僕なりに新しい脚本がほしい。(省略)そなことを考えるのは、今の僕にとって楽しい一時だ。

☆舞踊と僕と
この間、日本テレビで、久しぶりに連獅子を踊った。
市川先生は藤間流の名手。千代之介さんは花柳流、そして僕が藤間流であり、雪代敬子さんが西崎流だから、これはまるで日本舞踊合流の競演みたいな格好になったので、なんといっても面白かった。(省略)
テレビのスタジオは、ライトが暑いくらいだから、いくら冬といっても温度が高い。そのうえ、僕は市川先生とご一緒という緊張があって、踊り終わった時、全身滝のように汗だくだったのを覚えている。(省略)
むかし芝居に出ていたころ、楽屋入りの前に、日舞の稽古に通っていた時に、わずかな時間でも踊りに汗をかいてすっきりした気持ちで劇場に入るのが、とても爽快だった。とくに寒中つめたい稽古場の板敷を新しい白タビで踏みしめる気分はいいものである。(省略)
僕は久しぶりに「連獅子」を踊って、この寒ゲイコのさわやかな後味を思い出した。まるで。日頃の安易な暮らし方にムチ打たれたような気がして、大いに反省した次第である。

✱僕はこう思う②✱ #投稿日2015.9.20
今回はちょっと笑ってしまうお話です。橋蔵さまの格好とその時の表情を想像してみてください。そして、人気スターであった橋蔵さまの当時の悩みも・・。

「僕の新居」
ささやかであるが新しい家をつくってそこに越した。住所は○○・・である。まわりも静かで、朝夕は銀閣寺や、その他の寺院から鐘の音も聞こえてくる。(省略)
さて、設計を始めると、応接間はこうしたい自分の居間はこうしもしたい、と希望が多くどうにか、自分でも満足できる家の格好が出来上がった。(省略)
新しい部屋部屋を見て歩いて首をひねった。そうだなかに入る道具がないのだ。この家に越したはいいが、当分のうちは、家を飾るというより、家の必需品がなにもない。そこで、家具や調度品を買いに、僕とマネージャーは、今日の町をかけずりまわった。(省略)
大の男二人がこまごまとしたお勝手道具を買い歩くのだから、一寸した見ものだったのだろう。
「あら、橋蔵じゃろないの」と、僕がホーキやハタキ、サラ、小バチなどをかかえているのを見て、お嬢さんたちが、ケタケタ笑うのだ。そのうえ、サインをなどというのだから、これには、すっかり手をあげた。なにぶん、両手は荷物でふさがっているのだし、荷物を下に置いてサインすれば、これは、まさに大道商人みたいだ。ファンの方は、そこでまたドッと笑うのだ。
まったくこれには、冷汗をかいた。(省略)

ファンの方といえば、たいへんありがたい話であるが、深夜にかかってくる電話には、とてもこまる。仕事が終わってクタクタになって家に帰り、さあ寝ようとすると、リンリン。うとうとすると、また電話のベルで起こされる。このお相手をしてたのでは、体がいくつあってもやっていけない。それ以来、深夜の電話は一切お断りすることにしている。
どうか、ファンの皆さん、僕をあまりいじめないでくださいとお願いしておきます。

✱ぼくはこう思う③✱ #投稿日2015.9.27
今夜は中秋の名月です。一年で一番美しい月ということですから、綺麗に見えてくれるといいですね。明日は今年一回のみのスーパームーンだそうですが、日本では11時50分なので見ることができません。そのため、今夜の中秋の名月は少し大きく見えるそうです。

トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年)より
理想の女性
あなたの人生観は、女性観は、結婚観は?などとよく聞かれる。僕には、こういう質問は苦手である。でも強いて理想の女性というものを頭に描けば、外観の美しさにはあまりとらわれない。
心の優しいそれでいて、いつも恋人なり夫なりを信頼し、また信頼されるような女性または妻であってほしいと思っている。(省略)
僕の思ったことをありのままにお話すると、それが「平凡だ」とお叱りをうける。事実平凡であるから、平凡といわれても仕方ないが、ではどうお答えしたら満足していただけるだろう? と思うと内心自分自身がこっけいにみえてくる。
それはそれとして、僕の人生観は、ただひとつなのです。《愛される人間になろう、人を傷つけ、迷惑をかけない人間になろう》ということだ。先輩や上司には、礼をつくし親には孝行を・・(省略)こんなことをいうと、民主主義に逆行するものと一部の方から反撃されるかもしれないが、礼節を知らず、恩愛信義を知らずに民主主義はありえないと思う。(省略)

東女に京女
近頃、東京の待ちを歩いていて感ずることは東京の女性がとても美しくなってきたということだ。たまに、京都から東京へ帰ってくると、そのたびに美しく新鮮な感じに目を見張ってしまう。(省略)
なるほど京都には美人が多い。水がよくて空気が清澄な土地柄が、美人を多く作るのだろうが、東京には近代感覚を見につけた美人が多い。(省略)
美人が美人として精彩を放っている第一の条件は、やはりその土地々々のローカルカラーがあればこそで、・・(省略)。
人の美しさもまた、内的な裏付け、《心の美しさ》によって左右される。
健康な生き方明るい心の持ち方さえあれば、女性は化粧ではあがなえない美しさを獲得するに違いないのだ。心を美しく生き方を正しく・・そんなことを僕がいうのはいささかおこがましいかもしれないが・・。
僕は心からそう思っているのだ。

✱ぼくはこう思う④✱ #投稿日2015.10.3
皆様はここで橋蔵さまがおっしゃっているように、責任感、義務、感激をもって人生を歩んでき
ていらっしゃいましたか、私はこれからもしっかりと心に刻んで橋蔵さまを見習って人生を歩んでいきたいと思います。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年雑誌)より

愛される俳優に
《人間、感激というものを忘れちゃいけないと思うんだ》とは、毎日新聞大阪本社の敏腕記者であるTさんの言葉である。僕はこのTさんの言葉をよくかみしめている。(省略)
《どんなに長い記者生活をしていても自分は苦労して取材し、その記事がトップとか、三段とかで新聞を飾った時など本当にうれしい。その記事をいくどもいくども読み返してみる。(省略)
新聞のインクの匂いをかぐと、新聞記者としての誇りと喜びと感激が湧きおこってくる》という。映画俳優も同じである。俳優として生まれてきた喜び、感激を私は人一倍痛感している。
しかし、この感激にはいつも責任というものが付帯するということも自覚している。というのは、Tさんは毎日世の中の多くの人のためにニュースや報道や解説という重責を背負っているのだし、僕はまた映画を愛してくださるお客さまに、おもしろい映画を鑑賞していただいて、喜んでいただかねばならぬという重責があるのだ。
こう思うと、いい加減な仕事はできない。いい加減な仕事を続けていれば、すぐに人気はさがるし、やがて社会から嫌われてしまう。社会からつまはじきされた俳優など、まったく使い道がないのだ。誠に哀れといっても、自業自得というものだろう。

そこで、社会からファンから愛される俳優になるためには、自然一生懸命仕事に励まねばならない。仕事に励むとは、どんな職業でも、やはり責任感をもち、義務を怠らないということだと思う。
Tさんがいわれた、感激こそ人生であるという言葉に、僕は全く同感で、こういった感想が生まれたのだ。今後、僕は大いに感激居士になるつもりだ。いい仕事をするためにも・・・。

✱ぼくはこう思う⑤✱ #2015.10.11
今回はちょっと話が硬くなりますが、塚原卜伝の逸話というものは、人生いかに生きていくかという時に役立つといわれています。無手勝流が有名ですね。
私はこれからもっと老いていくわけですが、一人でいるときも手を抜かず橋蔵さまが言っていら
したように生活していきたいと、再認識した次第です。
橋蔵さまは月形竜之介さんからいろいろ学びをうけたようです。そのひとつ有名なのが、腰に差
す刀も立回り以外の時は本身をさすようにと、竹光と本身では腰にくる重さが違い歩くにも走る
にもその違いが歴然としてくる、と。
トミイの随筆『ぼくはこう思う』(S34年雑誌)より

己にきびしく
「実録塚原卜伝」を読んでいて教えられた。次のような一節である。
「卜伝はナベのフタをとると、二、三粒のカユをそのフタにのせ、静かにハシでそのカユを割っ
た。それまで、卜伝の剣の極意、なにほどのことやある!すきあらば斬りこもうと、卜伝の挙動を窓の下でうかがっていた一人の武芸者は、その卜伝の姿をみて、われ敗れたと感じ、悄然とその場を去った。」
武芸者が敗れたと感じたのは、卜伝がカユを割ったその精神と態度にあった。

この実録を読んで僕にはそれが、とてもよくわかった。
人間というものは、普段他人が見ていないと、かなりいい加減なことをやりかねないものだ。
卜伝は他人が見ていないからといって、カユの煮えたか煮えぬかをみるのに、いきなり口の中へ
入れるようなことはしなかった。そこに卜伝の偉さがあり、武芸者を走らせたのである。
卜伝のような立派な人を映画界に捜すとすると、月形竜之介さんだと思う。(省略)月形さんに敬服させられるのは、自宅で寛がれる時でも、いぎたなく寝転がられて本を読んだり、布団の中で煙草を吸ったり、胡坐をかいて食事をされたりなどは、けっしてなされない。必ず、袴をつけて、机の前に正座されて、読書されるし、食事も合掌されてから、やおら箸をもたれる。

ある日、僕はだしぬけに仕事の打合せで、月形さんのお宅に参上した。その時も月形さんは書斎の前で、袴の上にきちんと手をおかれ、仏教の本を読んでおられた。
その静かではあるが、何か犯しがたい気品のある横顔を今も思い出して、どこか卜伝と一脈相通じるものがあると感じるのだ。
こう思うと、人間は一人でいるときこそ、態度が立派でないといけない・・ことをつくづくと教
えられたのである。

✱ぼくはこう思う・・最終✱ #投稿日2015.10.18
秋の夜長、あなたはどのようにして過ごしていらっしゃいます。本を読んでいる、DVDを思い切り楽しんでいる。PCで遊んでいる、いつも通り睡魔が襲ってくる、とさまざまでしょうね。
私は、自分で楽しむために橋蔵さまの映画からのスナップと歌で長編ものを制作したのですが、
こっちの方がいいとかスナップがどんどん増えてきて再編成している最中です。これは観るDVDが増えればスナップも沢山できますから、いつまでも追いかけっこになります。
昨日の夜は別口、「海賊八幡船」の好きなところをトリミングし30分ものにした画像と歌を作ったのがあったのですが、最後に使用する歌を、○○さんの「春嵐」から「男花」シングルバージョンがでたので、こちらの方がしっくりするので作り変えてしまいました。「男花」がどこからか流れてくると「海賊八幡船」の最後の画像が浮かんでしまい可笑しくなってしまいます。

トミイの随筆からの「僕はこう思う」(S34年雑誌より)は今回でお終いにしますね。
30才の橋蔵様の一面が見えたでしょうか。
橋蔵さまが歌舞伎出身で女形だったということで、京都撮影所で大川恵子さんたちから、女らし
い演技についてよく聞かれるのが苦手だったようです。

女形のこと
歌舞伎界の女形というものは、女としての演技をするのではなく、どこまでも男の俳優が演じる
女形の演技なのだ。個々の役柄に応じてこの場合はこう、あの場合はこうと心得ているわけで女になる研究をしているのではない。

僕が映画に入ってからの最後の舞台、S31年2月、東横ホールの若手歌舞伎で演じた「因果小僧」のお園も、相手役の山崎屋さんがあり、あのような芝居の中でこそ、少しはましな色気もだせたのだ。
特に私の想い出の舞台、29年の「御守殿お滝」は、当時権三郎だった山崎屋さんの小猿七之助が受けて立つ親切な芝居をやってくださったうえに、夕立、雷とぬれ場にふさわしい小道具立てが揃っていた。これではお色気の出ない方が不思議である。これは僕が、謙遜していっているのではない。
俳優は自分一人で芝居をするのではなく、どこまでも、舞台の上に組み立てられる別の世界の中
で、その中の人になり切って動いている。芝居の構成に現実感がなければ、俳優がいくらりきんでみても無駄だと思う。
こういう僕に女優さんが「どうしたらお色気が」と質問するのは無理である。もし、僕が教えることができても、女形のお色気を日常にだしたら、これはお化けである。演技というものは、多少にかかわらず、変形されているからだ。
それが証拠に、女形だった僕の日常生活は、ごく普通の男性であったのだから。

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