振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱「アルファベットでのもの知り手帖」から②✱ #2019.2.27
当時、関係者はもとより、橋蔵さまの体調があまりよくないと耳に入ってきていた後援会関係の人達も、「銭形平次」最後・・出演者でのお練り?・・演出に入っていますから、橋蔵平次としての素晴らしい笑顔を残して無事終えられほっとしたことでしょう。最終回となるまで何事もなく、途中で打ち切りにならなくて本当によかった・・しかし18年は長過ぎました。
テレビでの時代劇の内容が変わって来て、正統派の時代劇は視聴率がとれなくなって「銭形平次」も終わりにと決まった次第で、橋蔵さまの健康上もすぐれなくなっていましたから、よかったといえばそうなのですが・・・テレビでの時代劇を決めかねていた時、橋蔵さまの側にいた方からの助言で転向を決めたのが大きかった。やはり、橋蔵さまのことを本当に考えてくださる方が身近にいなくなるという事は・・商業ペースで物事は進んでいきますから、大川橋蔵というスターで視聴率が稼げるときはどんどん押して行けという世界ですから。多分この道を行っていればしばらく生活は安泰という気持がどこかにあったと思います。
その前に大川橋蔵にオファーが来たところの吟味をして、次のステップを築いてくれる人が傍にいてくれたら、違った大川橋蔵が見えていたと思います。
NHKでさえ、舞踊の番組でも取り上げていたし、特別公演の舞台を録画放送もしていたのですもの。
銭形平次で命を縮めてしまったと言われている橋蔵さま、18年携わったことは凄いことですがその代償として・・・、次のステップに踏み込む時期を逸してしまいました。
天の橋蔵さま、つまらないことを述べて御免なさい・・・でも、大川橋蔵という役者、俳優を心底愛している私には、銭形平次の回が最終に進むにつれ、顔や目に輝きが見えなくなっていった橋蔵平次が、最後も映像として残ることを考えてのあの演出。目に焼きついているので、考えただけで悔しい!!そのことを思うと涙が出てきてしまいます。
湿っぽい話はここまで
🌳当時の雑誌記事に目を通していない方たちのために、
「アルファベットでのもの知り手帖」から・・・本日はH~Oまでてす。
1957年”鮮血の人魚”の撮影当時に橋蔵さんに改めてお聞きしたものからの抜粋になります。
(私なりのニュアンスで、私なりのアレンジで書いていきますのでその点ご了承下さい。)
H.初舞台は昭和10年3月、満5才のことで、当時の詳しい事は覚えていらっしゃらないそうですが、今は亡き父君の六代目菊五郎丈と「先代萩」を演じた事は、一生の感激としてこれからも忘れられないことでしょう、とおっしゃっています。
市川男女丸を名乗って歌舞伎役者としてスタートし、子供時代は、どちらかと言うと男の子役を演じ、好きな当時のお芝居には「めぐみの喧嘩」の又六、「重乃井」の三吉などがあります。
I.入野きくさんという方が、橋蔵さんのバアやさんです。橋蔵さんがまだ市川男女丸と名乗っていらした時からの間柄で、東京芝公園のお家で、忙しい橋蔵さんのお帰りを待っています。「あの頃はこうでした、この時はこうでした」と、小さい頃の思い出話をされて、まだ子ども扱いをされる橋蔵さんは、このバアやさんには頭が上がらず、「どうもバアやには勝てないよ」と苦笑します。
それでも、長い間世話になったので、お母様や、その他の肉親に劣らない愛情を持って、病気をしたときなど、わざわざ京都から電話をかけて病状を聞いてくる程なのです。
J.ジョーダンはおまり言わない方ですが、時々傑作を言って、皆を笑わせます。
そんな時には、橋蔵さんお得意の例の豪傑笑いをして、無邪気に語りあいます。
東京の撮影所から大川恵子さんが呼ばれて共演することになった「緋ぼたん肌」の時など、何かの都合でスタッフの人達に大川恵子さんを紹介する時に、「僕の妹の大川恵子です。僕同様可愛がってください」と、緊張している大川恵子さんの気持ちをほぐすようなユーモラスな冗談をいうといった程度の明朗さがあります。
K.嫌いな男性は、物事にはっきりしないネチネチした性格の人です。これは、東京のど真ん中の柳橋で生まれ、礼儀正しい歌舞伎の世界で育った江戸っ子橋蔵さんの性格から当然の事でしょう。嫌いなタイプの女性は、いわゆる女性らしくない人。また、爪を長く伸ばした女性は好きではないそうです。
L.LP、EPと、レコードも沢山ありますが、東京のお家の電気蓄音器のためにレコードを集めるのも趣味のひとつ。ひとり静かに東京の家で好きな市コードを聞くのも、忙しくなってしまった現在、しばらくご無沙汰していますが、こんなひと時は、橋蔵さんの好きな時間のひとつです。
歌謡曲のレコードをかけて、それに合わせて歌をうたうのも好きで、三橋美智也さんや美空ひばりさんのレコードは大好きで集めています。レコードに合わせて歌いそれをテープレコーダーに吹き込んで、お客さんに聞かせて驚かすといった、変わった事をする趣味もあります。好きな曲は、三橋美智也さんの「あの娘が泣いてる波止場」高田浩吉つんの「りんどう峠」ひばりちゃんの「りんご追分」です。
M.ミドル・スクール(中学校)は、東京の蔵前高等小学校から日大三中に進みましたが、お得意の学科は、国語と英語でした。夏休みでも午前中は必ず宿題や予習のために机に向かうという模範中学生でした。
N.日本趣味の橋蔵さんは、歌舞伎俳優として必要な三味線、長唄、常磐津、笛・・・と、一応芸事は習いましたが、踊りは神様といわれる六代目菊五郎丈の薫陶をうけて、立派な腕前、日本舞踊は藤間勘十郎さんの門下で、藤間勘之丞の名をおもちです。
好きなスタイルは浴衣だということですが、こんな日本趣味とともに、実用的だという理由から、普段は洋服をお召になっていらっしゃり、案外モダンな一面も合わせてお持ちのようです。
O.お洒落にはこれといって気を使いませんといっていますが、他人が見ていろいろとこだわりがあるようです。
ネクタイ、ハンカチその他の持ち歩いたり身につけたりするものは、決して自分で選んだリした物以外は身につけません。
お洒落のポイントは「自分にあったもの」ということですが、こんなところから、モダンなセンスで身についたお洒落がにじみ出るのではないでしょうか。
ワイシャツは、汗臭いものやシワになったものは、必ず取り替えるようにしています。こんなお洒落は持ち前の清潔好きと几帳面さから生まれるのでしょう。