振返って・・・こんな投稿もしたのだなあ
✱それぞれに思うこと✱ #2020.2.25
蜷川幸雄さんが橋蔵さまについて書かれていた内容は私も読んでいます。
橋蔵さまが、もう少しこの世にいらしたら蜷川さんの演出で世話物の演目や思いもよらぬものがなされ、大川橋蔵の魅力が倍増していたかもしれませんね。銭形が終了した翌年からは、舞台出演のオファーも来ていたようですから、橋蔵さまはさらに今まで踏み入れることが出来なかった分野への意欲を燃やしていたことでしょうし、ご本人は本当に残念で悔しかったことでしょう。私たちファンもその分野を期待していましたね。
橋蔵さまは作品の中で、端唄、小唄等口ずさむ場面が多々見受けられましたね。小唄は習いおばあさまに聞かせていたようですから、節回しはお手のもの。
その意味で、作品「花吹雪鉄火纒」「「いれずみ半太郎」「用心棒市場」での中の歌声は橋蔵さまらしく、あっているかな。
惜しかったのは「月形半平太」の詩吟のところ。橋蔵さまはこのために詩吟の稽古はして吹込みはしたはずです。ただ、詩吟は難しいもの、練習時間が足らなく、最終的には
別人の吹込みをかぶせて完成にいたった作品になりましたね。歌いながらの殺陣のところは、どうにかして橋蔵さまの声でやれたらよかったのにね。
レコード吹込みの感じでちょっと・・・橋蔵さまはやはり歌っていると、声の出し方節回しにちょっと声が太くなるところがあり、長年習ってきた謡の調子が出てきてしまっているように思えます。「泣きとうござんす」は、その歌い方をしないような曲調で作られているように思われるのですが、そのため鼻歌のように軽く歌いすぎて、メリハリがなく、ご本人も情けないと言っていたような感じになりました。
声がよさそうだから歌を・・?人気があれば、歌わせよう・・そうはうまくはいかないのものです。歌を聞いてゲンメツを感じた俳優が沢山います。
現在でもそうですね。視聴率を取るために若者達に人気の歌手をドラマに。
橋蔵さまの雪之丞は少し暗い感じが強く、反対に闇太郎は橋蔵さまの得意中の得意の軽妙さと明るさで見てても気持ちが良い。私はダンゼン闇太郎が好きです。
橋蔵さまが「雪之丞変化」の作品の中で口ずさんでいるところは、皆様もお分かりと思います。小説では、あのような情景での口ずさみではないようです。
吉原冠り、下し立ての麻裏の音もなく、平馬の後からついて行く闇太郎、河岸は暗し、頃は真夜中、いい気持ちそうに、弥蔵をきめて、いくらか、しゃがれた、錆びた調子で、 ・・・
たまさかに 一座はすれど 忍ぶ仲
晴れて 顔さえ 見交わさず まぎらかそうと
やけで飲む いっそしんきな 茶碗酒
雪になりそな 夜の冷え
などと、呑気そうな、隆達くずしが、しんしんと、更け渡るあたりの静けさを、寂しく破るのだった・・・とあります。
隆達とは小唄の隆達節のことになります。
小説「雪之丞変化」は歌舞伎「白波五人男」の弁天小僧や「三人吉三」のお嬢吉三からヒントを得た創作もので、長谷川一夫さんの三部作で映画化され、このときの主題歌が「むらさき小唄」でしたね。甘美な歌舞伎の世界を背景に、侠盗や女賊や将軍の寵姫などを縦横に活躍させて飽きさせず、また日本人の好きな仇討ちものとくるのですから最高の大衆小説。千代之介さんのデビュー作品で「雪之丞変化」3部作を撮って時期が経っていない時でしたし、橋蔵さまの年齢からしてあの時を逃しては・・だったのでしょう。それにしても大映で大ヒットした「雪之丞」を新人デビュー作品として持ってきた東映にはびっくりしたことでしょう。これだけのスケールの大きい物語はやはり85分では完全に伝わってはきません。そのため、橋蔵さまの作品の内容は、大分筋書が変わっていますし、コンパクトにおさまってしまっています。橋蔵さまだけを見ているのだからいいのよ・・・という人もあったでしょう、・・というより、そういう人が大部分だったのでは・・と思います。今になれば、雪之丞と闇太郎の絡みがもっと見られるしっかりとしたストーリーでの作品が残っていれば・・・・また何かが違っていたかもしれません。