「バラケツ勝負」に思うこと #2016.5.29
私が「バラケツ勝負」に思うこと
作品のないようについて書く前に、どうしても頭の中をめぐっていることを吐き出した方が書きやすいかな?と思いまして。
🐧(ここで書くことは東映時代劇黄金時代が好きだった私の個人的見解ですので、不都合なことがありましたらお許しください。時代の流れが欲していた方向だったのだということは理解していますので。)
1960年に前にも書いた黒沢映画が人気を得てから綺麗な時代劇は廃れ始めました。岡田さんの考えで東映は生き残るためにやくざ路線に変えたようです。
(任侠路線というのは後になってから付けられた言葉だと思いますが。)
”時代劇の東映”といわれた東映は、他社のように現代ものではお客が入らず、そこで考えたのが”やくざ路線”のようです。時代劇で活躍していた人達はやくざ映画にでるようになりました。橋蔵さまも会社の方針には逆らえませんから、1965年に「バラケツ勝負」をとる破目になったのでしょうね。結果は不評で橋蔵様のやくざ路線は失敗、つぎの企画は没。この時もう映画界の東映には、橋蔵さまの魅力を活かせる企画、場所が無くなってしまったのですね。
「バラケツ勝負」・・題名がいけないな。これではひどい映画だと思われます。私当時この題名を聞いたとき、見たいとは思わなかったですもの。
プロデュースは次の東映を背負うようになるやくざ映画の俊藤浩滋。脚本は比佐芳武、監督は松田定次という東映時代劇を作ってきたお二人。凄いといえば凄い取り合わせだったのですが、撮るものの根本が違っていたのではと思います。脚本は橋蔵さまが主演ですからそれなりに書いたものなのでしょう。
主人公久雄は勘当されてバラケツになっているが、父親が刑事という育ちの良いぼんが、あることから勘当されて、といった設定になっています。普段にやれば橋蔵さまでもいけた作品だと思いますの。 橋蔵さまらしいところが作品の中に感じられるところがありますから。でも、主流は苦虫を噛み潰したような顔をした神戸のバラケツということで凄みと荒っぽさを表に出す映画にしなければいけなかったのでしょう・・プロデュースする人の考えは。(任侠という言葉を世間は違ったように映画に取り入れてしまった・・・任俠とは本来、仁義を重んじ、困っていたり苦しんでいたりする人を見ると放っておけず、彼らを助けるために体を張る自己犠牲的精神を指す語です。)
やくざ路線を作ったのは俊藤さんと岡田さん。他の映画会社と違うことをやらなければと・・やくざの世界で有名な俊藤さんに、やってきたことを映画にすればいいというように頼んだと言われていますが。やくざ路線のレールは順調に敷かれていったのですね。
「バラケツ勝負」もやくざ映画のように撮られたので、世間の目は凄みがあって大暴れするものだと思っていたと思いますから、当然不評を買ったでしょう。
🐧(才覚のあった千恵蔵御大が社長になっていたら、東映はどのように生き延びたのかな、時代劇は完全にだめになっていってしまったのかな、・・・。)
そのあと東映は映画では落ちるところまで生きポルノの方向に、テレビの方で、生きて行くことなりましたね。
沢島監督が東映映画は鶴田たちの時代になってしまったので東映を去ったと言っていたように、俊藤プロデューサーの得意のやくざを描き、自身が育てた鶴田浩二と娘の藤純子が頭角をあらわしてきたわけですね。
「バラケツ勝負」でも妙子役の藤純子は水を得た魚のように、橋蔵さまは妙子に頭があがらず何も言えずふがいない男のように描かれています。
ですから、映画を見た男の人達は、「藤純子が良かった、橋蔵が女にふがいなく情けなくがっかりした」というような批評も多かったようです。
当時不評の第一に言われたことは、橋蔵さまが弱々しくて似合わないということだったと思います。
やくざ路線の映画だと思っている観客に、時代劇流の「若さま」のなぞ解き風と「新吾」の父母を恋うるイメージを思わせる方向を入れましたが、やくざの抗争の中でのバラケツを期待していた人達には不要だったようです。
また、周りの人達が普通に演技しているのに・・橋蔵さまには不良のような凄みを強調させているから橋蔵さまが浮いてしまっている。
そんな風にも思えるプロデューサーの演出にも問題があったのではないでしょうか。
橋蔵さまファンはすっぴんは見たくない、世話物の現代風のならばいいが品の悪い役は嫌います。よりによって江戸っ子の橋蔵さまにどうして関西のガラが悪い(表現が悪かったらごめんなさい)言葉をいわせるのですから。
橋蔵さまは優しく品のある甘さが売りものであるから、不自然になってしまう。もう少し背景を考えてほしかった。任侠映画いややくざ映画は無理だったのですよ。
橋蔵さまがよく相談なさっていた片岡仁左衛門さんも「甘さが売りものなんだから、汚れ役は絶対にやるなよ」と橋蔵さまに言っていたと語っていたことがあります。
作品自体の流れも、どこを主体に描こうとしているのか分からないようなストーリーになってしまっていることにも責任あると思いますが。
前半の間延び(バラケツ達の宴会、おかつと妙子の久雄の取りあい、拘置所の面会を願うところなど)、後半の筋の展開がいつの間にといった風で、早い一挙に謎解きの展開で結末にいってしまうのですもの。場面カットをしていった結果でしょうが、久雄の父武村久五郎が何を追っていたのかなんて筋からは考えられない。
最後土壇場で、なるほどあそことあそこからそういう事か、と考えるような始末。
刑事たちが分からないことをバラケツ達に、どうして分かるのさ、と言いたいところだけれど、そこは我慢して・・・。
東映チャンネルが何回も放送をしているので、私も今回考えたあげく、真剣に挑戦することにいたします。
次回は本題「バラケツ勝負」について書いていきますのでよろしく。