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スレッドNo.34

間島出兵から学ぶ ー朝鮮植民地支配から中国東北部への侵略ー

 18日に、かながわ県民センターで「かながわ歴史教育を考える市民の会」主催による「9.18満州事変記念市民集会」が行われた。その中で、神奈川大学講師の谷川雄一郎さんによる標題の講演の一部を以下に紹介します。
 「間島」(カンド)とは現在の中国吉林省延辺朝鮮民族自治州にほぼ該当する地域で九州くらいの面積を持つ。朝鮮半島から様々な理由で移住してきた朝鮮人の末裔が多く居住している。
 1910年の韓国併合から続く日本の朝鮮植民地支配から逃れた人々の独立運動の拠点となったのが「間島」であった。間島出兵とは1920年10月、日本軍が不逞朝鮮人団(武装した独立派)討伐を名目とし中国東北部に侵攻し、住民を大量に殺した事件である。
 間島では毎年クリスマスになると教会ではモーセの劇を行っていた。旧約聖書から民族解放の主題を取り上げ、その指導者であるモーセの劇をして民族的な願いを表現した。キリスト教系の私立学校、端甸(ソジョン)書塾や明東(ミョンドン)からは1,000余名の革命人材を輩出した。
 1919年の三・一独立運動は間島にも波及し、独立派100万人以上の参加があり死者7645人、負傷者4万5562人に及んだという。当時、銃火器を持たなかった独立派は、その一部がロシア革命勢力と結びつき武装闘争を開始する事になる。
 間島出兵におけるジェノサイドの有り様は、調べる事なく住民を見境なく殺し、4,5歳の子供まで含まれたという。カナダ人宣教師の報告により国際的な問題になったが、陸軍参謀部は不逞の徒と良民とを判別するのは困難であったとの意見書を欧米に向けて送り弁明を行った。間島からの撤兵は1921年5月であった。
 おわりに講演者は、「15年戦争」という「区切り」をどのように考えるか、強権的な植民地支配が何をもたらしたのかの視点で、東アジアの近現代史における「間島」のもつ意味と歴史教育を考える事の重要性を訴えた。

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年09月21日 07:36)

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