第36回写真同好会撮影会
実施日:7月3日(木)
集合:相鉄線三ツ境駅改札口 10時
内容:長屋門公園で歴史と自然を撮る
*カメラはフィルム・デジカメ、スマホでも何でもよいです
春愁とは
春の季節に、なんとなくわびしく気持ちがふさぐこと。春の愁い。《季 春》コトバンクより
その上で、Mrs.Green Appleの大森元貴さんの高校卒業式の翌日に作った歌、「春愁」を聴いてほしい。
写真同好会で撮影した写真
(箱根板橋の地蔵大祭1/23,こどもの国4/10)
を高校教育会館玄関ホールに展示しています
展示替えは年2回です
次回は12月に予定しています
なお、その写真はシニア運動ホームページの
「写真同好会」欄で見られます
27日に、かながわ県民センターで「憲法を守るかながわの会」主催の講演会が行われた。主催者等の挨拶のあと標記のテーマに基づき、お二人の講演があった。
まず神奈川県原爆被災者の会長 丸山 進さんから、被爆者の活動とノーベル平和賞受賞の話があった。受賞理由の骨子としては次の5点を挙げられた。
・日本被団協は核兵器のない世界の実現に向け努力した
・核兵器が二度と使われてはならないことを証言を通じて示した
・被爆者の証言は世界で幅広い核兵器反対運動を生み出した
・現代の核兵器は文明を破壊しかねない
・平和に取り組んできたすべての被爆者に敬意を表す
日本被団協は1956年に結成し活動を続け、今年で被爆から80年になる。被爆者に残された時間は多くない、日本政府が行動を起こすためには若い力が必要。草の根運動で政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求めようと訴えた。
次に登壇されたのは、広島平和文化センター被爆体験伝承者の歌 玲子さん。15歳で被爆され現在ご高齢の「切明 千枝子さん」の目を通した被爆体験を語られた。
多くの軍事施設があった戦争中の広島の町の様子、子供のころ宇品の港から戦地に向かう兵隊を旗を振って見送ったこと。女学校入学後は勤労動員で被服支厰で働き、古い軍服の洗濯や修繕を行っていたことなどを話された。そして迎えた8月6日、切明さんは関節痛のため建物の陰で休んでいたところ、まるで太陽が目の前に落ちてきたように感じて気を失った。切明さんは自身も体にガラス片が刺さるなど負傷した状態で、クラスメートの看護をしました。髪の毛がちりちりになり、幽霊のように手を前にあげて学校に戻ってくる下級生たちもいたとのこと。
おわりに、広島は加害の町でもあり「平和はすわっていたのでは、むこうからやって来ません。だまってすわっているうちに、どんどん戦争の方へいってしまいます。」とのメッセージを伝えられた。
講演に続き、今年参加したばかりの二人を含む四人の「高校生平和大使」から発言があり、「私たちの未来は、核兵器によってもたらされない!」と活動へのカンパと署名を訴えた。
最後に、福島みずほ議員・弁護士から「私たちの手で平和をつくろう」と訴えがあり、国会で核兵器廃絶と核兵器禁止条約会議オブザーバー参加を求めて活動しているとの報告。さらに安保三文書が着々と法律化されていることに触れ、この流れを立憲野党とともに止めたいと決意を述べられた。
写真同好会合評会
日時:5月15日午後3時
場所:高校教育会館会議室
内容:4月1日の撮影会(子どもの国)での写真を
持ち寄っての合評
日時:5月15日(木)午後3時
場所:高校教育会館会議室
内容:4月10日の撮影会(子どもの国)での写真を
持ち寄っての合評
29日に、教科書・市民フォーラム主催の標記講演会がLプラザで開催された。今年の演者は、明治学院大名誉教授・放送大学客員教授の原 武史さん。『昭和天皇拝謁記』とは初代宮内庁長官田島道治が昭和天皇とのやりとりを記録した「拝謁記」ほか田島の日記・書簡集がまとめられ岩波書店から出版されたもの。
もともとは銀行員だった田島は、敗戦後の公職追放により適任者が一掃された為、芦田均の推薦により1949年初代宮内庁長官になった。田島の「拝謁記」は従来の史料と比べると圧倒的な分量があり、まるでテープ録音を聴くように田島と昭和天皇のやりとりのみ記録されていて、宮内庁による改竄は一切ない。
戦後の新憲法で「天皇は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、国民が「象徴」天皇のいわば上にあることを、昭和天皇はわかっていなかった。天皇は東宮御学問所時代に受けた教育により、象徴を儒教的な天子のようにとらえていた。これが後の巡幸にもつながる。
天皇は講和に際して、アジアの一部の国々を除き賠償金を課されずに済んだのは米国のおかげであると評価していた。その一方、米国の民主化政策の行き過ぎには批判的で、とりわけ共産党に対する政策が甘いことが不満だった。共産主義国家のソ連は、千島を返さず虎視眈々と日本を狙っていると、北海道についても危機感を持っていた。
吉田茂は田島の在任中、ずっと首相だった。朝鮮戦争では九州に攻め込まれると天皇は心配したが、吉田に否定された。彼が軽武装論者である点で、再軍備論者の昭和天皇とは相いれなかった。しかし吉田に代わるべき人物がいないこともまた認めていた。
天皇の持つ宗教観によると、敗戦を神罰ととらえ上位にある天照大神への謝罪の気持ちはあったが、独立回復に際して国民への謝罪を表明することには反対だった。キリスト教は評価し、米国に共産主義の広がりを抑えているとの意識か。天皇が「反共」の執念を持っていたのは、イデオロギーではなく革命を恐れていた。
現在、政府は有事に備え自衛隊の南西諸島への配備を強化している。その陰には、明治から戦前にかけての天皇制に郷愁をもつ自民党右派の存在がある。憲法を改正し、天皇を元首にしたい。天皇が「軍」の精神的支柱としてよみがえる可能性は?今年、昆虫の研究で筑波大に入学した悠仁と昭和天皇との類似性にも注目していかなければいけない。
NHKプラスで、かんさい熱視線「兵庫・ひぼう中傷を追う」を視聴できます。(5月2日午後7時57分まで)
SNSでの誹謗中傷に追い詰められて百条委員会の委員だった元県議が亡くなったが、今また百条委員会の他の委員宛に誹謗中傷メールが1分ごとに延々と送りつけられ、1万件以上にもなっているという。送られた議員は「心理的にプレッシャーを感じる。議会活動や言論活動を萎縮させることにつながる。」と訴えて被害届を出したそうだ。
4月17日、公益通報者保護法の改正を審議する衆議院の特別委員会で担当大臣は、未だに違法性の指摘を受け入れない兵庫県知事に対して「県議会や第三者委員会で長時間審議されてきた結論には一定の納得をしなければならないと思う」と発言、消費者庁は兵庫県に対して「法解釈を含めた技術的助言をしている」としているが・・・。いつになったら収束するのだろう。
総がかり19日行動に参加した。コロコロ変わるトランプ発言に右往左往する政府への批判、学術会議法案の問題点などの発言が続いたが、今日はパレスチナの方からの発言があり、胸に刺さった。ジェノサイドが始まった1年半よりもずっと前からパレスチナ人は理由もなくイスラエルに拘束され続けていて、今も1万人が拘束されている。拘束されてひどい拷問を受けている。13歳の時突然拘束された少年は、釈放されたときには全身に拷問された痕が残っていた。ガザの病院が攻撃されたとき、患者を見捨てられないと最後まで病院に留まった医師がイスラエル軍に拘束されその後亡くなった。ヨルダン川西岸でもパレスチナ人への攻撃が行われていて、車に乗ったまま焼かれて瀕死の重傷を負った女性がいた・・・など。なぜこんな理不尽が止められないのだろうか。フリー!フリー!パレスチナ!!ジェノサイドをやめろ!のコールに力がこもった。
<こどもの国>
春の公園を撮影
日時 4月10日(木)10時00分
場所 子どもの国
*田園都市線長津田駅西改札口こどもの国線方向に集合
*撮影会終了後昼食をしながら交流会を実施します
午前中に雪が降ったところもあるらしく3月というのに風が冷たかったが、恒例の19日行動にシニア会員12名が参加した。
国会議員からは、石破首相だけでなく岸田元首相も・・・商品券は歴代の首相が当たり前に配付していたのではないか、との指摘があった。
東京大学名誉教授の佐藤学さんからは、日本学術会議の新法案はとんでもないものだ、法案に反対する署名を広めて欲しいとの話があった。新法はこれまで70年あまりにわたって日本の科学者の代表機関としての役割を担ってきた学術会議を国の下に置かれた特殊法人と位置づけるもの。首相に任命された外部の評価委員による評価の仕組みが明記されている。日本学術会議の活動を政府が管理し、その独立性が損なわれる危惧が大きいとして、絶対に新法を成立させてはならないと強調された。そもそも発端は菅政権下で起きた任命拒否事件で、未だにこちらはうやむやのまま。学術会議に問題があるような問題のすり替えが行われている、と。
change.org 日本学術会議の「特殊法人」化に反対する署名はこちらから。