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スレッドNo.55

いま、なぜ?「昭和の日」〜象徴天皇の実像『昭和天皇拝謁記』を読む〜

 29日に、教科書・市民フォーラム主催の標記講演会がLプラザで開催された。今年の演者は、明治学院大名誉教授・放送大学客員教授の原 武史さん。『昭和天皇拝謁記』とは初代宮内庁長官田島道治が昭和天皇とのやりとりを記録した「拝謁記」ほか田島の日記・書簡集がまとめられ岩波書店から出版されたもの。
 もともとは銀行員だった田島は、敗戦後の公職追放により適任者が一掃された為、芦田均の推薦により1949年初代宮内庁長官になった。田島の「拝謁記」は従来の史料と比べると圧倒的な分量があり、まるでテープ録音を聴くように田島と昭和天皇のやりとりのみ記録されていて、宮内庁による改竄は一切ない。
 戦後の新憲法で「天皇は、主権の存する日本国民の総意に基く」とされ、国民が「象徴」天皇のいわば上にあることを、昭和天皇はわかっていなかった。天皇は東宮御学問所時代に受けた教育により、象徴を儒教的な天子のようにとらえていた。これが後の巡幸にもつながる。
 天皇は講和に際して、アジアの一部の国々を除き賠償金を課されずに済んだのは米国のおかげであると評価していた。その一方、米国の民主化政策の行き過ぎには批判的で、とりわけ共産党に対する政策が甘いことが不満だった。共産主義国家のソ連は、千島を返さず虎視眈々と日本を狙っていると、北海道についても危機感を持っていた。
 吉田茂は田島の在任中、ずっと首相だった。朝鮮戦争では九州に攻め込まれると天皇は心配したが、吉田に否定された。彼が軽武装論者である点で、再軍備論者の昭和天皇とは相いれなかった。しかし吉田に代わるべき人物がいないこともまた認めていた。
 天皇の持つ宗教観によると、敗戦を神罰ととらえ上位にある天照大神への謝罪の気持ちはあったが、独立回復に際して国民への謝罪を表明することには反対だった。キリスト教は評価し、米国に共産主義の広がりを抑えているとの意識か。天皇が「反共」の執念を持っていたのは、イデオロギーではなく革命を恐れていた。
 現在、政府は有事に備え自衛隊の南西諸島への配備を強化している。その陰には、明治から戦前にかけての天皇制に郷愁をもつ自民党右派の存在がある。憲法を改正し、天皇を元首にしたい。天皇が「軍」の精神的支柱としてよみがえる可能性は?今年、昆虫の研究で筑波大に入学した悠仁と昭和天皇との類似性にも注目していかなければいけない。

引用して返信編集・削除(編集済: 2025年04月30日 09:26)

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