土俵上を逃げ回っても、俵を割らない=上手くいかないときの頑張り方
人は呼名の数だけ人格を持っています。
例えば20年くらい前、私は家で「お父さん」と呼ばれ、両親からは呼び捨てにされ、姪たちの「叔父さん」であり、学校では「先生」と呼ばれていました。さらに細かく考えれば家で呼ばれる「お父さん」も妻と子では私に求めるものが異なり、学校で呼ばれる「先生」も相手が児童生徒であるか、保護者であるか、あるいは同僚であるか、その同僚も先輩であるか後輩であるかによっていちいち少しずつ違っていたように思います。
私は他にも「兄貴」としての顔があり、ブログの記述者としての顔があり、SNSのあちこちで少し出している顔もありますが、生活の中ではむしろ小さな顔でした。
その顔の数はその時期の生きて行く場面の数であって、「夫婦関係も老いた親との関係もいいが、子どもがとても厄介な状況にある」とか、「学校でも児童生徒との関係はすこぶるいいが、同僚との関係が崩れてる」とか、そんなふうに数えて、「今のところ12勝3敗だ」とか「6割アウト」だとか、全体をみる方法もアリかな、と思ったりします。
ネル先生、
生徒の指導に漬かれ、同僚・後輩・上司との関係にうんざりし、お母さまとの関係にギクシャクして――と、そうなると八方塞がりみたいなもので、かなりの苦戦ですよね。そういうときはもう「勝とう」などとは思わず、とにかく負けなければいつか勝機は見えてくると思い定めて、防戦一方、土俵を割らないように俵に足をかけ、ひたすらグルグル回り続ける。
本来の持ち味が生徒に切り込んでいく生徒指導、教科指導であっても、今はひたすら「訴えられない指導」「保身の指導」。母娘関係も下手に修復しようとすればかえって傷を広げることになりかねない時期は、放置。時間が解決してくれることも少なくありません。
同僚や後輩は――別に責任を取らなくてはならない相手ではありませんよね。放置。
私は、結局のところ人生は運だと思っています。有卦に入っているときは何をやってもうまく行きますが、無卦に入れば5年、浮かばれないのです。
幸い私たちには文章によって事態を「見える化」するという技があります。深夜2時近くに長い文章を書いているのは健康上、あまり褒められたことではありませんが、必要な時はそうしましょう。
ブログのなかでも書いていますが、私も2023年はものごとがうまく行かない年でした。いいこともあったのですが、ここ数年、心にわだかまっていたことが、悪い方向で決着したりといったことが、いくつか続いたのです。
いつの間にか四柱推命にハマっていた私の娘の見立てでも、2023年はかなり悪い年だそうですが、その23年が終わったので喜んでいたら、四柱推命は旧暦で動いているので、旧正月が来ないと悪運も消えないのだそうです。
今年の旧正月は2月10日(土)から。それまではうまく行きませんから、諦めず、土俵を割らないように逃げ回ろうと思います。しかしそのあとも悪運が続くとしたら、元教師としての体内で動いてるもうひとつのカレンダー「会計年度」に従って、4月1日が来ないと2024年(度)にならないと考え、そこまではもうひと頑張りしようと思っています。
また書き込みにきてください。お互い悪運を嘆き合いましょう。