ネル先生。
現場が年々歳々たいへんになっていることは容易に想像できます。しかし学校を離れて10年。具体的なことはずいぶんわからなくなって、ただじりじりとして遠くから心配しているだけです。
特にそれぞれの学校で教員不足が現実となり、指導力に欠ける教員が目立つようになるということ――、私が現場にいる頃は教員不足の噂さえなかったのに、それでも能力に首を傾げる教員はいましたから、採用試験の倍率がガタ落ちの現在、その比率が増加するのも仕方ないことでしょう。
現実問題として、わずか数人で運営する学年団ですから一人でも能力に欠ける先生がいるとその穴埋めが大変です。それが2人~3人となるとかなり苦しくなります。
「中途半端にやられるくらいならいっそ何もしないでほしい、いなくなって欲しい」
とさえ思うこともあるかもしれませんが、実際はいなくなればとんでもなく困ることも目に見えています。おそらくたいていは猫の手よりは役立つのですから。
ただ、思い出せば私の初任の、どんなに低く見積もっても最初の5年間くらいは、本当に使い物にならない困った教師でしたから、10年程度の長い目で見てやることも必要かなとも思います、
教職は職人芸です。
大工さんや調理師がそうであるように、十人に一人くらいは成るべくして成った――放っておいてもいくらでも腕を上げることのできる才能ある人ですが、十人に一人くらいはなかなか難しく、手取り足取りいつまでも面倒を見なくてはならない人がいるのも事実です。後の8人は似たようなもので、かなりダメに見えても時間が何とかしてくれます。
大変ですがそういうものだと思って、同僚が思うに任せないことも最初から織り込んで対処していきましょう。人間社会は、どの部分を切り取っても全員がよくなるということはありえず、ダメな人のダメな部分を、できる人が補って成り立っているのです。
仕事が多すぎることについては、これは何とかしなくてはいけません。
人を増やせという時期もありましたが、今、財務省が勇断をふるって定数を1・2倍くらいにしたところで、応募しれくれる人がいません。よほど大型の不況が来て10年くらい続かないかぎり状況は変化しないでしょう。
しかしどうやったら仕事が減らせるのか――。
私は現在、教育現場の生の声を、ツイッターやYahooのニュース・コメントで拾うようにしています。かなり偏った声であることは承知しています。承知してはいるのですが、それにしても20年前なら絶対に書き込まれたはずの次のような声が、全く聞こえてこないことに驚きます。それは、
「一緒に国会に請願に行こう!」
「署名に協力してくれ」
「デモに参加を!」
「議員を招いて話を聞こう」
・・・・・
その代わりあるのは、「部活顧問拒否、校務分掌拒否など、校長とどう戦うかといった局地戦の手引き」「仲間ウチでしか響きあうことのない、まったく現実性のない改革案の提出」「BDK(部活大好き教師)批判、遅くまで学校に残って仕事をする新卒裏切者批判などの同士討ち」ばかりです。
しかもその批判・不満は不倶戴天の敵・文科省が用意してくれた「#教師のバトン」というプラットフォーム上で行われているのです。
中央教育審議会はいよいよ教員の働き方改革の具体案を検討し始めましたが、現場の教師はただ指をくわえて成り行きを見ているしかありません。みじめですよね。
――なぜそんなことになったのか、だれに責任があるのか。
いうまでもなく昭和~平成前期に教育現場最前線にいながら、臨時教育審議会や教育再生会議に有効な対抗策を打てず、唯々諾々と組合を潰した私たちが悪いのです。
この件については、来週からしばらく考えていこうかと思っています。
>10%は要らないな。
使う時間も十分ないと思いますが、もらえるならもらっておきましょう。先延ばしにすれば20%になるというものでもありませんし、もらわなければ仕事が減るというものでもありませんから。
>それか、沈みゆく船の中で、我関せずで給料もらって過ごすか。
それがよろしいと思います。我関せずなどとおっしゃっても仕事はきちんとやってくれそうですから。