50年目によせて
1970年代初頭まで関西にとどまっていた勇造さんが、全国への歌旅を始めてから50年の節目の年になったようです。
数年前ジョニーで話をしたときに、東北大学でのライブがきっかけだったことを言っていました。
1976年5月15日、川内校舎での教養部サークル協議会主催の新入生歓迎行事の一環でした。そしてそれが僕の初ライブ体験でもありました。
3月に川内で、「勇造ライブ」の張り紙を見たときの感動的驚きは今でも覚えています。
(注釈)僕は東北大生ではなかったので、誤解なきように。
今思い出すと高校時代の深夜放送の電波を、むさぼるように聞いていたことを思い出します。
「電波は飛びます」思いがけない方向に向かって、聞き耳を立てる大衆に向かって。
大阪の吹田市のMBS毎日放送で『狂い咲きフォーク』(73年4月21日から74年9月29日)という番組がありました。主に近畿圏だけが対象です。
この電波は深夜帯になると音質は悪いのですが、岩手の二戸~青森の八戸にかけての馬淵川流域に飛んできました。
毎週のように「腰まで泥まみれ」とか「ラブゼネレーション」だとか、知る人しか知らないリクエストをする岩手のフォーク小僧がいました。金森さんびっくりしてたっけ。投稿がないときは自主的中国語の勉強会だったり。
そんなこともあってか豊田勇造の名前だけは以前から知ってはいました。
耳と目に続いて腰も痛めてしまい弱気のというか、「わずらわしさ」が先に立つ近況ではあります。
「お前がそれじゃ~」と言われそうですが、昔を忘れないためにも、今年もメサで少しだけ気分を盛り上げたいものです。