遠く海の彼方へ・・
サクランボ様、ジェロの素敵な絵をありがとうございます!どことなく憂いを感じさせる表情ですね・・この柵はベルサイユ宮殿のものでしょうか?前にも書いたかもしれませんが、実は私は、二年ほど前にベルサイユ宮殿へ行きました。それで・・今つくづく思うのは、アニばらを観てからいったほうがより宮殿を楽しめただろう、ということです。特に庭園(実は庭園は未訪問です・・)。アニばらを観てからベルサイユ宮の庭園を訪れると、アントワネットとデュバリー夫人の対決、暴走する馬を必死で引き留めるアンドレ、カエルの噴水の不気味さ・・などが脳裏に浮かぶのではないかと思いますね。もちろん宮殿内にも鏡の間などがありますし、アニばらを思い出す要素に事欠きません。
そして今回、「原作漫画を大好きだった理由」についてお聞きしたのは・・すでに何度か話題に出ている通り、原作とアニばらでは、題材や設定に共通する部分が多くても、根本的な部分で大きな違いがあるように思ったからです。
私が初めて原作を読んだ時、印象に残ったのは、アントワネットの運命にも現れている「歴史の非情さ」の部分でした。そこで、原作の主要なテーマが「歴史の動乱の中で、過酷な運命を生きた人々の姿」であるとすれば、原作とアニばらでテーマに大きな違いはないと考えます。
ですが、約2年弱前に改めて原作に興味をもったとき、原作のテーマ、または原作ファンが魅力的に感じるポイントは別の部分にあるのではないかと思いました。例えば、「男性社会へのアンチテーゼとしての女性中心、女性優位的価値観」や、幾分デリケートな内容になりますが「愛や理想のために殉じることの美しさ」など。こうした部分はアニばらとかなり違うと思いますし、基本設定は共通していても主要テーマが違う作品を同様に愛することは難しい、と感じる人はそれなりにいると思います。現にアニばらが受け入れられない原作ファンも一定数いますし。
そしてサクランボ様のご回答・・「原作漫画は、キャスト・アウェイのウィルソン君のような存在だった」ということですね!
これは「目からうろこ」でした・・たしかに、今となっては(これはどうかと思うものも含めて)ベルばらの関連商品はそれなりにありますよね。なので、かつてのデュバリー夫人のような思いをすることはない・・これはその通りですね。
実は私、この度「キャスト・アウェイ」を観てみました。ウィルソン君の結末については、ネタバレになってしまうのであまり書かない方がいいかもしれませんが・・。おそらく、サクランボ様にとっての原作漫画は、年月の経過と共に手垢がついていくにしたがって、「ウィルソン君としての役割を終えつつあった」のではないか・・と推察します。そして止めを刺したのが新作映画(とそれに伴うベルばら界隈の諸々)なのでは・・と思いました。(勝手に色々書いてしまいすみませんm_ _m)
それと、ストーリーの作り方について調べていた件ですが・・元より一次創作として、漫画を描いていたことがありまして。ところが全然大したものはできずに行き詰まってしまい・・。まずキャラクターと世界観の基本設定とストーリーの大枠だけ決めて描き始めたのですが、私の場合、このやり方ではうまくいきませんでした。そこで、ストーリーテリングについて、いくつか資料を参照していたという経緯です。
この「キャラクターのタイプ」につきまして、正確な用語だと「キャラクターアーク」(「アーク」は「変化」の意味)といい、洋画の映画脚本の多くで使われています。キャラクターアークの作り方はクリエイター個人や作品ジャンル・形式によって異なると思います(映画の脚本だと何度も推敲するのが普通ですが、連載漫画だと途中で方針転換したりもする)。長期のシリーズものになると、キャラクターが成長した後に転落するパターンもあるため、3つのタイプ(アーク)すべてにあてはまる場合もあると思います。
そこで、アニメオスカルのキャラクターアーク(男の役割/女の心)ですが・・作品全体の尺に対して、変化のタイミングが若干遅めかもしれませんが、かなり模範的な内容に近いと個人的には思いました。ここで大事なのは、一度主人公は「本人がなりたがっている」方向に進み(でもそれは真実とは違う道)、その後徐々に真実に気づいていった上で、最終的に主人公は真実の道を選ぶということです。この過程で内面の葛藤や、他者との対立も発生しますが、私としては、ストーリー上そうした困難に遭遇することは重要だと思っています。
あとは原作オスカルが少年漫画の主人公っぽい件につきまして、「単純明快なリーダー的陽キャ」な所はそんな感じがします。ただ、原作後半の恋愛描写(精神的身体的に相手にすがりたい?ように見える)については、少年漫画とはちょっと違うかな、という感じですね(この辺は少女漫画?)。
続きます・・。