作り手の思考や感性の反映
サクランボ様、あまがえる様、こんばんは、Jackieです。
出﨑監督・・苦悩マニアだったのですね。実は私は若い頃から、苦悩するタイプのキャラクターが好きだったので・・アニばらと波長があった理由はそこにあるかもしれません😁
「おにいさまへ⋯」は最初のエピソードだけ観ていますが、続きはまだ観ていませんでした。あのような女子校はリアルというより架空のものだと思うのですが(実際に似たような学校はあるのでしょうか?)。ざっとレビューを見た限りでは、物語の最後はポジティブな方向に変化しているらしいですね。多くのアニメ制作者が絶賛する「劇場版エースをねらえ!」も、そのうち観てみたいです。
「作品は一人の感性が通っているべき」という点に関して、結果として、アニばらは複数の監督で作られたわけですが・・。実は個人的に「たられば」妄想が好きなので・・「もし最初から出﨑監督だったらアニばらはどうなっていたか?」を考えてみます。
おそらく、出﨑監督の興味としては、「宮廷での陰謀や小競り合い」よりも「民衆の世界を含めた革命時代の物語」の方にあったのだと思います。そうすると「ベルばら」の「ベルサイユを舞台にした宮廷劇」の部分は多かれ少なかれ削減された可能性があります。このあたりはサクランボ様もおっしゃる通り、賛否が分かれると思いますが、個人的には宮廷パートはやや長すぎた印象があるので、進行が早まることにはあまり異議はありません。
反面、貧しい平民の出自を持つジャンヌ(出﨑監督の好きなキャラクターらしいです)の人物像は最初から深掘りされていく可能性があり、この点は好ましいかもしれません。(似たような境遇のデュバリー夫人も、より人情味を加えられるかも?)またルイ16世の描かれ方も変わったかもしれません(あるインタビュー資料を読んだところ、出﨑監督の「男性目線」が一番表れているキャラクターは実はルイ16世のような気がしています)。一方、アントワネットは、宮廷のしきたりの犠牲者というよりは、正負の両面を持つ人物として描かれたかもしれません。(出﨑監督はアントワネットに対してはあまり好意的ではないものの、女性の持つ強さも描きたかった・・という意図も感じます)
それと、長浜監督のパートのうち、第1話のオスカルの内面葛藤の導入は重要な部分ですが、出﨑監督も同様に、初期のうちにオスカルの葛藤を取り入れたのでしょうか?アニメ後半での展開を見る限り、その可能性はあると思いますが、もしそういう判断をした場合、どういう風に若い頃の彼女の心情を表現したのでしょうか(より苦悩の色が強くなる?)あとは、オスカルがフェルゼンに恋した理由に関してもどう描かれるのか気になります(現行のアニメでは、オスカルがフェルゼンと再会するタイミングは監督不在の時期なので)。
また、逆に「全話を通じて長浜監督だったら」について考えたときもありましたが・・この点については、私は後半は出﨑監督の方が向いているだろうと思っています。おそらく、長浜監督の構想ではメインの敵役がオルレアン公であり、オスカル達は革命家を操ろうとするオルレアン公と戦う・・という流れになっていたかもしれませんが、この構想だと勧善懲悪の枠を抜けきらないような気がします。
・・と、このように書きましたが、基本的に私は現行のアニばらでよいと思っていますし、長浜監督の演出にも長所があると思います。海外のファンからも、長浜監督のパートはやや退屈なエピソードもあるものの、低年齢の視聴者にもわかりやすく、アニばらの人気向上に貢献した、という意見が出ています。(最初から出﨑監督のシリアスなトーンでは、低年齢層にはとっつきにくくなっていたかもしれません。)
また、現行のアニばらは前半と後半でトーンは異なりますが、個人的にはストーリーが分断されているという印象はあまり受けていません。一つ指摘する箇所があれば、オルレアン公の途中からの不在と役割の変化に関する部分でしょうか。一方で、オルレアン公がいなくなるあたりから、アラスでの農民の貧困に直面したり、ポリニャック夫人の介入により税金が無駄遣いされるなど、社会的な側面が出てきて、これらが後半に繋がっていくように思います。もちろん、全体の統一感については、田島さん・志垣さんをはじめとした声優の方々の力によるところが大きいと思います。
TM Networkのライブにつきまして、「何が来ようとも受け入れる」姿勢で参加されたのですね・・!最近リリースされたTMの曲「Whatever comes」のタイトルを彷彿とさせました!8日は浅倉さんもいらっしゃったのですね!😁
続きは後ほど書き込みいたします😀