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スレッドNo.302

時代背景や一貫性を考慮した表現

こんばんは、Jackieです。

あまがえる様、お返事ありがとうございます。
出﨑監督は登場人物の内面に迫り、生き方をドキュメントするように描いていくのですね。アニばらではキャラクターが気持ちを直接語る台詞はそれほど多くないものの、表情も含めてそれぞれの人物の「生き方」が滲み出てきているように感じます。特に、時代設定を考えるとオスカルのような境遇の女性は他にほぼいないと思いますし、悩むのは自然だと思います。

あまがえる様、サクランボ様、原作・アニメの表現についてご意見ありがとうございます。以下、表現の違いや主要テーマに関しての内容です(すみません、かなりの長文となります・・)。

原作でもオスカルは革命を率いたわけではないが、表現としてオスカルを前面に立たせた、という事なのですね。
でも、すみませんが私の印象としては(連載中の読者の反応や作者の思いなどの事情はあったにしても)、実態と表現との間に齟齬があるように思えてしまいます。この点については、アニばらの方が一貫性のある描写をしていると思っています。
(衛兵隊員にしても、アニメの隊員はオスカルを神々しい存在というよりも、信頼に値する隊長として見ている気がします。)

なお、オスカルのモデルになったというユランという人物を調べてみたところ、彼は平民の出身で、オスカルとは出自がかなり異なっています。また、ユランは1787年に衛兵隊を退いており、バスティーユ攻撃当日は、命令に従うことができず国王軍から離脱した衛兵隊員に合流し、彼らの隊長となったらしいです。
おそらく史実では、衛兵隊員が上官に導かれて革命に参加したのではなく、まず隊員自身が自発的に行動(隊を離脱)した上で、ユランと共に革命に参加したようです(英語版Wikipediaによると、ユランはパリ市内でバスティーユ攻撃の約1週間前から王家への抵抗を呼びかける演説を行っていたらしいので、彼の演説に影響を受けた隊員がいる可能性はあるかもしれませんが)。
アニメでは、革命が近づいても、(貴族であった)オスカルは市民や市民出身の兵士の先頭に立とうとはしていません。アベイ牢獄から兵士たちが解放された時も、これは自分の力ではなく民衆の力だ、と発言しています。「革命は市民の動きによるもの」という前提をアニメでは一貫して守ろうとしているように思えます。

アニメでのオスカルの革命参加動機が「思想」ではないことにつきまして・・ここでの「思想」は、啓蒙思想にも含まれている「自由と平等の思想」であるとします。
これについて、以下、個人的に思い当たる点を書いてみます。

・まず、「『自由と平等の思想』のための武力行使」についての是非。(この点は不穏かもしれませんが、思い切って書いてしまうと)考えとしては正しいものであるとしても、その「思想」の実現のために暴力的手段に訴えると言うのであれば、テロリズムに繋がる可能性があるのではないでしょうか。(フランス革命では文字通り恐怖政治に通じる。また、60年代の学生運動とともに活発化した左翼団体にもこのような姿勢が見られる。)

・また、自由平等の思想を説いた著書として有名なルソーの「社会契約論」には、王家に対するかなり批判的な記述(「専制君主は主権の簒奪者」「世襲の君主制は腐敗しやすい制度」など)があります。よって、たとえ自由や平等に共感したとしても、王家に仕えている立場の人間がルソーの考えを全面的に支持したり、それを前に押し出す言動は取りづらいと思われます。

・(おそらく上記のような理由を含め)アニメでは、オスカルは(自由平等の)思想を前面に出した言動を行いません。しかし、彼女の決断や行動の中に、人民の自由や平等を尊重する意味が含まれていると考えられます。例えば、三部会でブイエ将軍に「フランス国民の選んだ代表に銃を向けてはならない」「議会に武力で介入することは国の汚点になる」という旨の発言をしていますし、38話での発言についても、貴族だった自分が一歩下がって平民側を優先するという「平等」を意識した内容と取れます。

・原作での「思想」の扱いについて。これは原作者の方がインタビューで言っていたことですが、作者として作品を通じて最も言いたかったことは、作中でオスカルが発言している(自由と平等の思想の)内容だということです(新作映画についても、この思想に関するオスカルの言葉があったから満足している、というような発言をしていました)。
ここで、この「思想」が原作の主要なテーマであるとして、その上で「その思想内容が『オスカルの直接の発言』として表現されることが、原作の中心的テーマを表す上で不可欠なのか」という疑問が(個人的には)あります。
上記の様に、アニメにおいては直接の言葉で表されていなくても、オスカルの行動によって自由平等の重要性は表現されています。これは「翻案による、同じ内容の表現方法の変更」と捉えることができるのではないかと思います。

・「オスカルの革命参加動機が必ず『思想』であるべきか」ということについて。「思想」が原作の中心的なテーマであるなら、「革命参加動機も思想によるもの」と表現すればこのテーマを強調できると思います。しかし、上に書いた通り、このスタンスには危険性が伴ってしまいます。
一方アニメでは、「思想による革命」派としてはロベスピエール一派が該当すると思われますが、彼らに対しては理想主義者という描写だけでなく、テロリズムと関連した批判的な描かれ方もされています。しかし、出﨑監督はあるインタビューで、「ロベスピエールやサン・ジュストに魅力を感じる」という旨の発言をしています。よって、出﨑監督としては、テロリスト的な行動をとったとしても、その人物が一方的に駄目だと断定はしていないように思われます。
それでも、出﨑監督(や脚本家の方々)は、オスカルはロベスピエールやサン・ジュストと同タイプ(暴力的な手段を取ってでも理想実現に邁進する)の人物とは考えなかったのではないでしょうか。この点は、アニメで描かれているオスカルの「軍人でありながら、たとえ敵であっても人を殺めることを好まない」側面と関係していると思います。

・原作では「思想」による革命参加だったとして、原作のオスカルは「現体制(後にアンシャン・レジームと呼ばれる)が思想に反する存在だから、それを否定するため(または変えるため)」に武力行使に及んだのでしょうか?
また、原作でオスカルが具体的にどういうフランスの将来像を持っていたのか、この辺りが個人的にははっきりしません。(オスカルが具体的な政体(立憲君主制や共和制など)を想定していたかどうかは不明に見えます。国民議会の方針に賛同していたとすると立憲君主制を思い描いていたかもしれませんが。)そこで「フランス万歳」の「フランス」については、具体的な政体よりは「自由平等友愛が実現する国」のイメージとして発言していたのでしょうか?もしそうであるとすれば、アニメでのオスカルの行動も「自由平等友愛を掲げる市民」を守るための行動なのだから、方向性や結果としては同じではないでしょうか。

このようにいろいろと書きましたが、私なりの結論をいいますと、
・「オスカルが『自由と平等』のために行動した」という点は、表現の違いはあっても、原作とアニメで同じ。
・オスカル自身がフィクションのキャラクターであることや、フランス革命の歴史的文脈を考慮すると、アニメの方が一貫性のある描写をしている。また、アニメでは思想実現のための暴力行使の問題もなるべく回避しようとしている。

ただ、原作ファンの中には、オスカルが先頭に立っているように表現されていなければどうしても気が済まない人がいて、そういうファンがアニメをバッシングし続けているのではないかと。
なお、私としてはもちろん「原作漫画は思想によるテロを支持している作品」と言うつもりはありません。

もやもやしていた所を一気に出してしまったので・・すごく長くなってしまいすみません🙇‍♀️

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