市橋(二木)さんと堀田力さんの接点
12月4日(水)、二人の著名人の訃報を目にしました。朝刊で作家の小中陽太郎さん、そして夕刊で元特捜検事の堀田力さん。
小中さんは当月3日、また堀田さんは先月24日に死去。訃報によればともに「老衰、享年90才」とあります。詳細はわかりませんが男性の平均寿命が82才なのでお二人ともそれなりに充実したシニアライフを歩まれたと思いますが、死因が「老衰」とあるともはや傘寿の大台を超え卒寿に向け下り坂を歩みつつあるわが身には他人事ならず。このところ新聞会の先輩方の相次ぐ訃報を知るだけに、あらためて自戒の念を強くしました。
さて、なぜ本欄で? まず先月亡くなった堀田力(ほった・つとむ)さんから。
実はぼくは堀田さんとは全く面識はないのですが、1986年夏に早逝した市橋都志子さん(1962年入学、社会学。旧姓:二木)から堀田さんのことは聞いていたのですね。市橋さんは新聞会でぼくより1期上の先輩ですが、結婚後訪米しワシントンの日本大使館で事務スタッフ(嘱託? アルバイト?)として働いていた折り、堀田さんが在籍していて身近な存在だったと聞いたことがあります。で今回、ウイキペディアで堀田さんの経歴を調べてみると、市橋さんとの接点がわかりました。
堀田さんは1934年生まれ。京大法学部を出て1961年に検事に任官、札幌、旭川、大津、大阪地検を経て1976年、東京地検の特捜部でロッキード事件捜査の中核を担い田中角栄の逮捕・訴追を行ったのですが、この間1972年から外務省に出向しワシントンの日本大使館で1等書記官をつとめ1975年に法務省に帰任、とあります。(退官後の弁護士活動、福祉事業での活躍は省略)
それから10年、市橋(二木)さんは1986年夏にワシントンのポトマック河畔の花火大会を見に行った夜、心臓マヒ?で急逝したのですが、1学年後輩ながら卒業後たまたま市橋さんとは編集稼業上のお付き合いがあったこともあり、何年かに一度帰国するたびに電話があり、急逝する 前に一度、夫君の市橋太郎さんの個展が有楽町の交通会館の地下の画廊で開かれた折、市橋さんご夫妻ともお会いしたことがあります。
さて、長くなったので小中陽太郎さんについては後日‥‥。