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スレッドNo.44

この10月で筑波大学開学50周年

思えばこの10月で、筑波大学は1973年10月の開学から数えて50周年。
しかし、教育大出身者の筑波大学への感情は二律背反そのもの。自分の子供は絶対に筑波大学は受験させないと主張した人もいれば、反対に筑波大学を優先して受験させる人もいた。自分の大学を廃学にした大学という感覚と、自分の大学の後継大学という感覚が入り混じっている。中には、学生時代には筑波移転反対の立場で活動していながら、その後筑波大学の教授になったような人もいた(大熊栄氏、2007年ご逝去)。新聞会OBにも筑波大学教授となり、「筑波大学新聞」(大学広報紙で学生新聞ではない)の創刊に従事した人もいた(松原達哉氏、2020年ご逝去)。
今となっては、その世代の人たちも皆後期高齢者。中には他界してしまった人もいる。遠い昔の話のような気もしてくるが、当サイトを設置したのは今から約25年前で、その頃はまだ同時代の感覚だった。
30年ほど前のこと、現在は福井県大飯町の実家に在住の中川OBが、保谷(現・西東京、旧保谷寮の近く)の水沢OB経営のアパートに住んで、パソコン関連書籍の翻訳に従事していたが、管理者宅(練馬区石神井台)に近く自転車で約20分の距離だったので時々遊びに行っていた。仕事の関係から彼は、当時からインターネットを使い、自分のサイトも作っていた。その中川OBからある日、「インターネット ホームページデザイン」(1995年翔泳社)という本を貸与され「何かホームページを作ってみろ」と勧められたのがきっかけ(この本は、返却後、自分で購入した)。内容まで指示されたわけではなく、では縮刷版の刊行で話題となった当会のサイトを作ってみようと思ったのは私の判断(どうせ作るなら個人的なサイトより、公共性の高いものの方が良いと考えた。ただし、個人的サイトも併設した)。そこで自分もインターネットの利用を始め、サイトを開設したのが1999年2月5日のことだった。(当時はまだADSLも光回線も無い、ダイヤルアップ接続の時代だったが、比較的早い時期に作れて良かった。)事後承認されたが、OB会総会の決定で設置されたものではなかった。その時すでに大学閉学後20年以上経過していたが、大塚キャンパスの新聞会室はそのまま残されおり、そこに放置されていた大量の資料や写真がサイトの作成に利用出来た。(謄写版印刷機も持ち出して、数年私用に使っていたがその後廃棄した。縮刷版刊行のため、新聞のバックナンバーはすべて回収済みだったが、ロッカーなどはそのまま放置してしまった。)もう少し遅かったら、すべて処分されていたことだろう。当サイト成立の事情には様々な偶然の要素が重なりあっており、奇跡に近いものがあったと言えるかもしれない。
管理者にホームページを作るように勧めた中川OB本人のサイトはこちら、「翻訳しています」。
http://www.asahi-net.or.jp/~JU6K-NKGW/

引用して返信編集・削除(編集済: 2024年04月03日 17:12)

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