きっこさん、ラスカルさん、皆さんこんばんは。
まだ梅雨が明けたわけでもないのに善福寺池公園はにいにい蝉の鳴き声で覆われていた。頑丈な油蝉の声はなく耳鳴りのようなにいにい蝉の声である。蝉にとっては35℃を越える猛暑はもう梅雨明けの真夏の暑さなのだろう。アスファルトは蒸れるような熱風で炎天下を歩く人の姿もまばらで今朝などはこの青空のどこから降るのかというお天気雨で、いわゆる狐の嫁入りで、ヘルパーの仕事も命懸けだなと云う猛暑で、お客には絶対外へ出るな、死ぬぞと伝えたほどの熱波である。体温より高い気温はこたえるが、蝉は鳴いても梅雨がまだ終わっていないのはやはり湿気の多さだろう。梅雨明けは皮膚に太陽が噛みつくようにじりじりと照り付けるが、蒸し暑さはまだ梅雨が明けていない証拠で、今年の関東の梅雨明け予想は19日から23日になるらしい。ああ、早く秋が来ねえかなあ。おいおい。
ところが、わたくしのお客は高齢者が多いので、みな汗をかかないと言っており、亡き母も八十を越すと体感温度が低くなるのか真夏にストーブをつけていたので、わたくしは上半身裸で料理を作っていた。確かに汗はかくが若い時のような汗臭さは感じない。だんだん淡白になって死んでいくようでよく出来ている。あと二年で後期高齢者と国がわざわざ指定する年になるが、そうすると早く秋が来ねえかなあではなく、早く傘寿が来ねえかなあ、だねえ。年を取る楽しみがまた増えた。とはいえ、猫髭家系に84歳を越えて生きた父系の前例はないから、三途の川まで涼しくなって余命良くて四年だということになり、これは涼しさを越えて寒いかもしれないねえ。この前、お客の体組成計に乗ったら体内年齢は57歳と16歳も若く出たから、毎日炎天下でも自転車で介護に走り回っているのが効いているのだろう。この年まで仕事で引っ張りだこというのも貧乏だから仕方がないが悪いことばかりではないということか。
と思っていたら、四月にわたくしもプロデュースに参加した「澤好摩(句)・河口聖(画)展 失われし時を求めて2023」の「円錐」代表の澤好摩さんが旅先の米沢で脳挫傷のため7月7日七夕の朝10時35分に客死した。ひと月前の6月5日に「鬣」87号(2023年5月)で特集「澤好摩百句」が組まれたお祝いで酒を酌み交わしたばかりなのに、一ヶ月後に急逝されるとは夢にも思わなかった。澤さんとわたくしは俳句仲間というよりも飲み友という間柄で、ハイヒール図書館の背景画を描いている河口聖さんとも澤さんの句集の表紙画を聖さんが描いている縁で、俳句と絵画と両雄相譲らずという間に俳句も絵画も大好きなわたくしが間に入ってちょうどいいという関係で、句画展以降は聖さんが日韓中国美術展で忙しく(聖さんの展示画は貴州美術館に買い上げられた)、もっぱら澤さんと飲んでいたのだった。昔からわたくしは手酌の独り酒で、人からの酌は拒んでいるが、澤さんだけは拒まなかった。「猫髭、呑め」「猫髭、もう一本吞むか」「猫髭、もう一軒付き合え」という三連発が常套句で、これに付き合えるのはわたくしひとりしかいなかったからだ。飲み友の交遊とはそういうものである。
七夕の星におなりか澤さんよ 猫髭