きっこさん、みなさんこんにちは。
皆さん、こんばんは。
池波正太郎の食のエッセイでは、あたしはベタですが『食卓の情景』が最高傑作だと思っています。
あたしの子どもの頃、おばあちゃんが作ってくれたキャベツと天カスと紅ショウガだけのシンプルなお好み焼き「どんどん焼き」についても、とても詳しく書かれていて、そのルーツを知ることができました。
また、戦時中に正太郎が通信兵として米子基地に配属された時に、新鮮な鯖をおろして、輪切りにした夏みかんと交互に重ねて漬けたシメサバの思い出や、上越の法師温泉でのケンカの話、その後の顛末など、もう最高に楽しくて、何度読み返したか分かりません。
正太郎の味わいある「下手うま」なイラストも最高です。
池波正太郎に惚れ込み、正太郎の書生を10年つとめた佐藤隆介は、昨年85歳で亡くなってしまいましたが、佐藤隆介が手掛けた『池波正太郎の食卓』『池波正太郎の食まんだら』『鬼平料理帳』『梅安料理ごよみ』などの正太郎の食に関するエッセイは、どれも極上です。
そして、その佐藤隆介が、正太郎の『食卓の情景』の文庫版の巻末の「解説」では、「読み直すたびに何かしら新しいことを発見する。何十回も読んでいるのに、それまで気付かなかったことが、雲の切れ目から太陽がさすように不意に心に飛び込んでくる。」と、このエッセイを評しているのです。
あたしも「読み直すたびに新しい発見がある」と思いながら何度も読んで来たので、この文庫版の「解説」を初めて読んだ時、とても嬉しくなりました。
池波正太郎の『食卓の情景』(新潮文庫)、まだ読んだことのない人がいたら、ぜひ読んでみてください。
数ある食のエッセイの中で、これは最高傑作だと思います。
一方、正太郎の『散歩のとき何か食べたくなって』は、純粋なグルメエッセイなので、お店の紹介がメインで、あたしの期待する「横道にそれた話」はほとんどありません。
でも、イラストの代わりに、巻頭には各店の料理がカラー写真で紹介されたグラビアがありますし、本文中には当時の様子が分かるモノクロ写真が数多く掲載されているので、あたしが生まれる前の東京を視覚的にも知ることができました。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんこんばんは。夕方のウォーキングはお決まりのコースです。夕焼も大体同じ位置から見られます。
あれれ、兎波さんを跨いでました。失礼しました。ハジメ2018さんの道つながりでよろしくお願いします。
卵料理と一口に言っても種類が多く、自分で作るだけでも朝の生卵かけ御飯から子どもの頃から好きな半熟ゆで卵やオムレツ、目玉焼き、玉子スープ(玉葱と人参を微塵切りにしてマギーヴィヨン固形を一個入れてスープを作り火が通ったら止めて時計回りにお玉で回して熱いうちに反対向きに溶き卵を落すとふわふわ卵スープの出来上がり)、だし巻、ネギ玉など、冷蔵庫に生卵十個セットは欠かしたことがないから、卵メインの料理でなくても中華の炒飯(溶き卵に御飯を漬けてから炒めると黄金色になります)とかトマトと卵の炒め物(中国人のお袋の味)とか豚肉と胡瓜と卵と木耳の炒め物でも卵は欠かせないから、西洋料理も入れるとキッシュとかプディングとかそれこそ何千というレシピが出て来る。今日も晩御飯をお客に作りに行って卵料理が食べたいと言うので冷蔵庫を開けると葱しかなかったので、卵を二つ溶き卵にして葱をざくざく切ってフライパンに油を敷いて混ぜて炒めてネギ玉を作った。醤油をちょっと垂らすと御飯の惣菜にも酒の肴にもなるのである。というか日本酒好きなら御飯も酒もお米から作るから合わないわけがない。TVドラマ「孤独のグルメ」のシーズン10の第一話にネギ玉が出て来て、これは九条葱と合うのである。九条葱は青い部分がメインなので黄色と緑色が食欲をそそる、勿論酒も。きっこさんは卵を食べないので、わたくしのように自分でとかお客で(勿論卵アレルギーの人には御法度)料理をあり合せの物で創作する日常に縁がないと実感は難しいが、あの卵一個にひよこの栄養分が全部詰まっているというのは完全食ということになり、安いし、貧乏人には救世主である。
魚の卵も醤油と酒に漬けると鱈子は皮を破って掻き出して酒と醤油に漬けて冷蔵庫で寝かすとルビーの極細の宝石のようだし鮭のイクラは卵巣膜の筋子ごと50℃ぐらいの熱湯にさっと通して掻き混ぜると皮が縮んで白くなって卵のイクラだけになるから冷水に漬けて(白濁してもまた透明になる)洗って酒と醤油に漬けると熱を潜っているので皮がプチプチして食感が堪らない。大洗の海には那珂川を上るのを間違えて獲られた鮭もいるので密漁になるから黙って処理するが、生のイクラは味がなくて生臭いから酒と醤油に漬けないとおいしくないのだ。ニシンの子の数の子は水で塩を抜いたら八方出汁に漬けて鰹節をたっぷり振って食べるとおいしい。子どものころは塩漬の数の子は歯に残るし(それで「戻り潮」とか「忘れ潮」とか粋な名前がついていたような記憶がある)好きではなかったが、正月の縁起物だし食べてはいたが京都の八方出汁に漬けて鰹節を振って食べると酒が進むこと進むこと、絶対八方出汁に数の子は潮抜きしたら漬けるべし。飛び子もイクラと一緒に手作りのちらし寿司(ネタを混ぜ合わせた酢飯)に振ると彩りになる。
ちらし丼をきっこさんは良く言っていなかったが、わたくしは独身時代からオートバイで箱根を湯河原から攻める時は帰りは必ず小田原の「だるま食堂」のちらし丼(並)を食べに寄って、これは家庭を持って四つ輪で箱根に行く時も帰りは必ず「だるま食堂」で鰯や鯵の寿司と一緒にちらし丼(並)を食べていた。特上もあるのだが安い並の方がわたくしにはおいしかった。小田原の海岸の掘立小屋には昔川崎長太郎という私小説作家が住んでいて、前の公衆便所で用を足したり体を拭いて暮らしており、彼は日課のように何十年も「だるま食堂」のちらし丼の並を食べていて、川崎長太郎の大ファンのわたくしは本当にここのちらし丼の並の味が素朴でおいしいと思っていた。特上は豪華な分嫌味な味がした。口のうるさい家族もみな文句も言わずに毎回食べていたから本当においしかったのだと思う。永井荷風が毎日通った「大黒屋」のカツ丼も食べたが、これはわたくしの口には甘過ぎたので、いくら敬愛して全集を舐めるように読んだ作家でも口に合わないものはあるということだ。文人で間違いがないといえば池波正太郎の『散歩のとき何か食べたくなって』と『むかしの味』だろうか。もうほとんどの店が代が替わりなくなった店もあるが、幸いにわたくしはそこで紹介された店は舌が覚えているものが多い。吉田健一の『私の食物誌』も間違いがなかったというよりも食べ方とかの姿勢も学んだように思う。おいしかったならお替わりをしないでまた来れば良いといったこととか、広島の牡蠣を食うと口の中に海が広がるといった文章に感嘆した。酒の話がまた絶品で、先生の講義が終わった後よく渋谷のBARまで付いて行ったものだ。勿論入るわけがない。いつか大人になって一人で飲みに行った時に一人でも様になる飲み方が出来るようになってからである。
さて、ひとりで飲み屋やBARに行って様になっているかどうかはわたくしにはわからない。美人ママに聞いてくれ。(*^▽^*)ゞ。