>配達の瓶音つづく霜夜かな
>当時は自転車なのでそのずっと鳴っていた瓶の音が脳裏に蘇ってきました。
わたくしも再上京時に、定職につく前は、早朝の牛乳配達(軽トラで)、終わったら郵便局の郵便配達のバイト(自転車)、夜は頼まれのシナリオ・ライターをしていたのでよくわかりますが、冬は確かに真っ暗いうちから出かけますが、「霜夜」ではないでしょう。「霜の朝」ぐらいでいいのでは。瓶音というと日本語として窮屈なので「配達の瓶を鳴らして霜の朝」で牛乳配達はわかると思いますよ。主役は季語なので、一番大きな切字「かな」を使うと「霜夜」が際立ち、霜が降りる夜中に牛乳配達をするのかと読者は勘違いするので「霜の朝」の夜明けのしらじらと明けてゆく景色と牛乳瓶の予備のミルクの白さと空瓶の光も霜の光に溶け合って季語が支えてくれます。
>それが大袈裟に言えば俳句の極意なんでしょうか
いや、単に日本語の問題で俳句以前です。
それにしても杜人さんの雲の写真を見ていると、お、今日は杜人好みの雲が出てるなあと思わず、杜人さんもどこかで撮ってるのかと思ってしまいます。(*^▽^*)ゞ。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんこんばんは。確かに音は「おと」と「ね」の使い分けは微妙なところがありますね。それが大袈裟に言えば俳句の極意なんでしょうか(^^)。
こんにちは。
猫髭さん、いつもありがとうございます。
瓶のね…はおかしいですね。指摘されてから、そうや〜と自身で笑ってしまいました。
瓶音では語感が悪いな〜などと考え気軽に変更しました。(笑)
訂正句を投句はいいのかな〜?
実は中学生の時にそこそこながく牛乳配達をしていました。父の知り合いが販売店を営んでいて人が足らずに父に声をかけたのかとは思うのですが…。
当時は自転車なのでそのずっと鳴っていた瓶の音が脳裏に蘇ってきました。
>配達の瓶の音つづく霜夜かな ハジメ2018
一読、中八の字余りの句は珍しいなあと思ったら「瓶のね」と「音」を読ませるのかと気づいて、瓶が楽器でない限り牛乳瓶や一升瓶を「ね」と呼ぶのは変だと思う、と同時に二十年前の記憶が蘇りました。
当時きっこさんが女性で俳句掲示板で「有季定型俳句」を提唱して掲示板を始めた頃、自由律俳句の輩がいちゃもん(いわゆる「荒し」ですね」をつけてきて、きっこさんがここは「有季定型俳句」の場なので、御自身の信ずる「自由律俳句」とは相容れないので不毛な論争になるからお引取り下さいともっともな理由を述べても引き下がらないので、言ってわからなければ叩き潰すまでで、俳句はひよこ組でも雑学は豊富なので、そのいちゃもん野郎の自信句とやらに「虫の音(おと)」と読ませる句があったので、あんた何人キャべ人かと日本人だったら「虫の音(ね)」と古来より読み慣わしているのは、「おと」が大きな音響を指すのに対し、「ね」は比較的小さな、人の感情に訴えかけるような音声を云うので、「鐘の音(ね)」「琴の音(ね)」「雁 の音(ね)」「虫の音(ね)」と古来より日本人は外国人には「おと」としか聴こえない響きを自然の言葉として聞き做(な)していたので、虫の「ね」を「おと」としてしか聞けないあんたの耳は日本人の耳ではないロバの耳だと、まず自由律うんたらの前に日本語を勉強しろと一喝したことがありました。
勿論ハジメ2018さんは言われてみれば、でわかるうっかり八兵衛さんです。(*^▽^*)ゞ。
きっこさん、兎波さん、皆さんこんばんは。最近ウォーキングに行けてないので目新しい雲の写真も撮れていません。雲の姿に刺激されて句を作っているような状態ですから、句を作るのに四苦八苦(笑)。これでは行けませんねえ。