きっこさん、みなさんこんばんは。
きっこさん、皆さん、こんばんは。
なんだかバタバタしていますが、こちらを覗くと、大好きな俳句の世界と馴染みの皆さんがいらしてホッとします。
きっこさんのアドバイス、いつもありがとうございます。
おやすみなさい⭐
こんにちは(^^)
>一点だけ、「に」に理屈が滲んでしまっているので、できれば「や」できっぱりと切ったほうが、さらに良くなります。
きっこさん、アドバイスありがとうございます(^^)
辿り着く大和島根に鯉のぼり
今回は、特にこの「に」にこだわりました。
長い海外出張からの帰り、日本の上空へさしかかった、そこには鯉のぼりがへんぽんと翻り、私を出迎えてくれている。やれやれやっと辿りついたなー、やっぱり日本の景色はいいな―と思うと同時に安堵感に浸ることが出来たのでした。大和島根「に」と限定することにより日本への愛着の度を現したかったのです。
辿り着く大和島根や鯉のぼり
「や」にすると、ちょっと大和島根への思いが散漫になってしまいそう。
如何でしょうか。
きっこさん、さっそくの返信ありがとうございます。
中七を「や」で切れば、その前の「大和島根」に詠嘆と強調を置くことなりますから、確かに動きませんねー。合点しました。
「に」も「や」も私の句として大事にさせて頂きます。
お手数をお掛けしました。
>辿り着く大和島根に鯉のぼり
句念庵さん、この句はとても良い句ですが、唯一の問題点は上五の「辿り着く」の「着く」が、連体形か終止形か分からないところです。そのため、読者によっては終止形と判断し、「辿り着く/大和島根に鯉のぼり」という二句一章と誤読してしまうケースも生まれてしまいます。
しかし、中七を「や」で切れば、上五の「着く」は連体形として固定されますので、「辿り着く大和島根や/鯉のぼり」という明確な二句一章となります。つまり、「動かない句」になるということです。
そして、「や」の持つ詠嘆の余韻が「鯉のぼり」へと流れるので、作者が「鯉のぼり」を目にした時の感動が倍増され、それが読者にも伝わるようになるのです。
>「や」にすると、ちょっと大和島根への思いが散漫になってしまいそう。
とのことですが、俳句の切れ字、とりわけ「や・かな・けり」という三大切れ字は、その切れ字を接続させた言葉への作者の思い、詠嘆や感動を最大限に強調してくれる万能薬です。あたしは「に」より「や」のほうが、遥かに「大和島根への思い」が強調されると感じました。
それから、あたしが「理屈」と言ったのは、作者の「どのように読んでほしいか」という意図が読者に透けて見えてしまうことを意味します。この句の「に」には、句念庵さんの意図が見え隠れしていたので、そこが気になりました。
でも、この句は句念庵さんの作品なのですから、あたしのアドバイスは「そういう見方もあるのか」と思ってくださるだけで構いません。原句のままでもとても良い句なので、句念庵さんが良いと思った形で大切に残してくださいね♪
おはようございます(^^)
きっこさん、どうもありがとうございます。
遠山の句は、自分ではちょっと平凡かな?と思っていましたので、
お褒めいただき、とても嬉しいです!
皆さん、こんばんは!
今日の阪神競馬9レース「蓬莱峡特別」で、8番人気の芦毛の馬が1着になり、あたしの買っていた100円の馬券が1万8480円になったので、松尾芭蕉風味で詠んでみました♪(笑)
>春満月海へ立て置く竿二本 ハジメ2018
いいですねえ。「海へ立て置く」によって「竿」が「釣り竿」だと分かり、「二本」から「息子を連れての釣り」だと想像が膨らみます。上五の「春満月」という字余りは少し重たいですが、「満月」から「大潮」が見えて来るので、翌朝からの親子での釣りの大漁を予感させます。
>よなぐもり魚のまた跳ぬ船溜り 真知貝
「よなぐもり」の「よな」は「霾(つちふる)」、この時期に中国から飛んで来る「黄砂」のことで、とてもタイムリーですね。「跳(は)ぬ」は「跳ねる」という言葉の文語形なので、日本の漢字のルーツである古代中国をイメージさせます。黄砂で視界の悪くなった空と、どんよりと凪いだ船溜りとの対比が、何とも言えない倦怠感を生み出していて、とても素晴らしいです。
>遠山のうすむらさきや春の雨 ラスカル
ラスカルさんは、こんな高浜虚子のような茫洋とした句も詠むのですね。意外でした。ラスカルさんほどのベテランなら、ついつい「藤色に遠山霞む」などとお洒落に詠んでしまい、知らず知らずのうちに主観を滲ませてしまいそうですが、あえて踏みとどまって客観に徹底したところが流石です。「これぞ俳句」ですね。
>新校舎踊り場ひらり春日永 アリソン
短絡的に「新入生」と言わず、「新校舎」「踊り場」というキーワードから「新入生」をイメージさせ、季語は別に置いた構成がとても良いですね。ただ、このままでは、上五と下五を入れ替えて「春日永踊り場ひらり新校舎」としても成り立ってしまいます。こういう句形は「観音開き」と言って、あまりよろしくありません。
先ほどのハジメ2018さんの句も真知貝さんの句も、上五と下五が五音の名詞ですが、ハジメ2018さんの句は「海へ立て置く竿二本」、真知貝さんの句は「魚のまた跳ぬ船溜り」と、それぞれ中七と下五が連結した十二音のフレーズになっているので、上五に五音の季語を置いても「観音開き」にはならないのです。
しかし、アリソンさんの句は、中七が「踊り場ひらり」と擬音で終わっているため、文法的に上五と中七と下五がバラバラになっていて、結果として「観音開き」になってしまったのです。「ひらり」という擬音を生かしたいのであれば、上五と下五を入れ替え、四音の季語を探して、「●●●●や踊り場ひらり新校舎」とすれば、「観音開き」が解消され、不動の一句となります。
そうでなければ、擬音を外して、ハジメ2018さんや真知貝さんのように、文法的に中七と下五を接続します。たとえば、「踊り場広き新校舎」というフレーズにすれば、上五を「や」で切らなくても、上五に五音の季語を置いた「春日永踊り場広き新校舎」という形で「観音開き」を解消することができます。
>辿り着く大和島根に鯉のぼり 句念庵
「大和島根」は「大和」と「島根」ではなく、「大和島(倭島)の根っこ」、つまり「奈良を中心とした日本の国土」という意味です。後醍醐天皇も「四方(よも)の海をさまりぬらし我が国の大和島根に波しづかなり」と詠んで日本の平和をお歓びになられましたが、句念庵さんの句は、大空を泳ぐ「鯉のぼり」が、不安ばかりの今の日本に元気を与えてくれていますね。とても良い句ですが、一点だけ、「に」に理屈が滲んでしまっているので、できれば「や」できっぱりと切ったほうが、さらに良くなります。
きっこさん、アリソンさん、皆さんこんばんは。この時期は半袖にしようかやめようか迷いますね。句念庵さん、またまた力強い鯉幟をありがとうございます。負けずに元気で進みたいと思います(^^)。