きっこさん、猫髭さん、皆さんおはようございます。昨日はまだ冷たい風が吹く中小生の定点観測場所の川辺を歩いてきました。ここでは良い形の雲と水鳥たちを撮ることができます(^^)。これという俳句ができないのが残念ですが(笑)。
俳句は鉛筆一本と手帳があるだけで幸せになれるこの世で一番幸せの目線が低い文芸である。「定点観測」と言って身の回りの一週間ごとに変わりゆく季節を俳句にしてゆくことで自分の好きな季語も増えてゆく「猫髭歳時記」が増える楽しみがある。好きな季語が増えると歳時記を見なくても心の中から季語が出て来る。そういう季語は動かない。例えば晩春の季語で「雀隠れ」という季語がある。春になって萌え出た草が成長してようやく雀の姿を隠すほどに伸びたさまを言う。故西野文代師匠の好きだった季語である。まだこの季語が心の中から出てくれる機会はないけれども必ず出て来ると信じて春を歩く。
きっこさんみなさんおはようございます。
都会に住んだままの人生だったら絶対俳句は詠んでなかったと思います。
十年ぐらい目の当たりに巡る自然をみていたら、ただ見ているだけでいいのかなあ。
と思い写真より絵画よりもっと匂いや音や温度など表現力の巾の広い俳句に辿りつきました。
それは、鉛筆いっぽんんで、いつでもどこでも。毎日がもっと楽しくなりました。
あら、ハジメ2018さんをまたいでしまいました。
ラスカルさんの探しにに繋いでいます。
きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。小生も茨城で田圃廻りをしていて農業と歳時記の繋がりを実感しました。貴重な経験でした(^^)。
以前も書きましたが、歳時記は日本の稲作の四季の移り変わりが基本になっているので、兎波さんの「縁側に腰掛けて目の前に田植えから収穫までを手に取るようにみて、田植の頃は蛙の合唱、少し伸びると蛍、縁側で素麺を振る舞いそして黄金の秋の収穫、稲架掛けと藁ボッチ」の34年間はとてもいい時間だったと思います。ちょっとした俳人にしか見えない小さな幸せに気づかされただけでも、世界一幸せの目線が低い目をわたくしたちは俳句のお陰で持っていることになるのですから、これは俳人にしかわからない贅沢でしょう。
明日は明日の風が吹く。Tomorrow is another day.映画「風と共に去りぬ」の最後のスカーレット・オハラの言葉だったか。聖書の「明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり」から来ているが、然なり。
きっこさん、みなさんおはようございます。
もともと、隣といっても何百メートルも離れていて回覧板も
車で回すムーミン谷でしたが、縁側に腰掛けて目の前に田植えから
収穫までを手に取るようにみて、田植の頃は蛙の合唱、少し伸びると
蛍、縁側で素麺を振る舞いそして黄金の秋の収穫、稲架掛けと藁ボッチ。
いい時間を過ごすことができた、34年です。
きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。猫髭さんの写真はピントがバッチリで素晴らしいですね。小生のはスマホ写真の弱さ。ピントがはっきりしません。ご容赦を(^^)。