おはようございます(^^)
きっこさん、猫髭さん、皆さんおはようございます。今は何処でも電飾ばやりですね。それを楽しみにしていて冬が待ち遠しいと言う人もいます(^^)。
>あての葉のリース提げるや雪催 兎波
「あての葉」。「石川県の木」ヒノキアスナロですね。奥能登であての木に囲まれた富士通のディスク工場へ行ったことがあります。夏でしたのであての木の森の上を海までかなかなが果てしなく鳴いていました。露天風呂は足裏を刺激するため凸凹で難儀しましたが烏賊の内臓と塩を熟成させた「いしり」(魚醤)が気に入り買って帰った記憶があります。鰯とハタハタを熟成させる秋田の塩汁(しょっつる)と同じ魚醤油ですね。
今夜から金曜まで今年最後の双子座流星群の天体ショーが始まるので(明日の夜10時がピーク)月光が邪魔しない時間にと妙正寺川の若竹公園まで出かけたら、公園沿いに今年新築した家というのが似非バテレンのポンコツ一家でぎんぎらぎんのびかびか電飾で二階のベランダにはサンタが梯子掛けて泥棒のようによじ登っているではないか、バカタレが。清しこの夜をおちょくってやがる。わたくしは無宗教だがひととおり聖典仏典のたぐいは目を通しているので(でないと海外の文化がわからない)海外を回ってもこんな馬鹿騒ぎをするのは日本だけで、特に欧米のクリスマスはそうである(思い出したが、アメリカの飛行機の中に置いてあるカタログで電飾を初めて見て馬鹿な物を作ると呆れたことがあるので発祥はアメリカですな。しかし、都会も田舎もクリスマスは静かだった記憶しかないねえ。確かに街は電飾に飾られていたが金一色で日本のようにカラフルではなく静かな印象しかない。自宅か教会で祈る姿しか見ていない。ギリシャ正教もそうでした)。新年だけは別で日本の正月は静かだが欧米は酔っぱらって電話して来て騒ぐのでNHKの「ゆく年くる年」の静寂がぶち壊される。かと言って電飾引っこ抜くのは大人げないのですごすご引き返してきたが、天体ファンのきっこさんのメルマガはそう言えば今日は双子座流星群には触れず政治屋どものパー券ショーの話題だった。大谷翔平の1015億円のドジャース移籍ショーに比べたら日本の政治屋どものなんとケツの穴の小さいことよ。
まあ、明日の22時に電飾のない妙正寺公園に着ぶくれて足を伸ばそう。
写真は近所の造園に咲いていた花で、縁が白いので枯れ始めたコスモスかと思ったらウィンターコスモス(ビデンス)と言うそうな。コスモスは秋桜というから冬桜か。しかし冬に咲く桜の品種は冬桜と言うし、実にまぎらわしい。
萩原朔太郎と中原中也は全集を座右に置いているぐらい好きだが、一番衝撃を受けたのは大手拓次の『藍色の蟇』で、朔太郎は二番煎じのような印象を最初は持っていた。それと堀口大學の訳したフランスの詩人レミ・ド・グールモンの詩集『シモーヌ』だった。この二冊はエロチシズムの強烈さで未だに忘れがたい。シモーヌの毛というのはグールモンの『シモーヌ』中最も知られた「毛(Les cheveux)」という詩に出て来るフレーズで、その冒頭が
Simone, il y a un grand mystère シモーヌ、不思議なことだらけだ
Dans la forêt de tes cheveux. おまえの毛の森の中は
ではじまるのだが、続いて
Tu sens le foin, tu sens la pierre おまえは干草の匂いがする、
Où des bêtes se sont posées ; 獣が寝そべっていた石の匂いがする ;
と延々シモーヌの毛の匂いを列挙してゆく。なめし皮の匂い、小麦の匂い;薪の匂い、朝の麺麭の匂い、木の匂い、廃墟の壁ぞいに咲いた
花の匂い、ブラックベリーの匂い、雨に洗われた蔓の匂い、夜の墓場で摘まれる藺草や羊歯の匂い、苔の匂い、生垣の陰に落ちた赤茶けた枯葉の匂い、イラクサや仔馬の匂い、苜蓿やチーズの匂い、ウイキョウやアニスの匂い、胡桃の匂い、熟れた果実の匂い、柳の匂い、花盛りのライムの匂い、蜜の匂い、草原を行く人の汗の匂い、大地と川の匂い、そして
Tu sens l'amour, tu sens le feu. おまえは愛と火の匂いがする
最後は最初のフレーズの繰り返し、すなわちルフランrefrainで終わる。
Simone, il y a un grand mystère シモーヌ、不思議なことだらけだ
Dans la forêt de tes cheveux. おまえの毛の森の中は
子ども心にこれは髪の毛ではなくモディリアニやデルヴォーの描く陰毛のことかと当たりはついて興奮したが、勿論チンの毛がまだ生えそめし頃だから想像上で悶々していただけで、古稀になってわかるのは陰毛は陰毛だがただの陰毛ではなく体臭も含んだ匂いだということで、ナポレオンは寝ている時にチーズが匂うと「ジョセフィーヌ、今夜は疲れてるから勘弁してくれ」と寝ぼけて言ったというジョークがあるから、ジョセフィーヌは「チーズの匂い」という体臭なのだろうとフランス人は妄想したのだろう。吉行淳之介の『光の束』という短編に、ホテルの入口で擦れ違った女性の体臭が昔の女の体臭を想起させて連れ子は自分の子かと危惧するスリリングな名作があったが、これは「朝の麺麭の匂い」だったと記憶する。「毛」という詩はグールモンにとっての「シモーヌ」が特定の女性ではなく自分が関係したすべての女性の匂いの理想像であるような気がする。岡本かの子の名作『老妓抄』にも男の理想像を搔き集めて男を作るというくだんがあって、感銘は受けたがかなわんなあと色の道は御法度にしたように思う。
わたくしの時代にはレミ・ド・グールモンの「毛」を知らない奴はいなかったくらい有名だったが、今は知る人ぞ知るかと思い、中也と朔太郎が出たついでに猫髭贅言として書いておこう。あ、訳は堀口大學の本を探すのが面倒なので猫訳です。
写真は近所の木守柿。本当にどこも収穫したり剪定しても一個から二個切らずに残しているので感心した。