きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。この年になるまで「吾唯足知」を認識していなかったことが恥ずかしいです。思えば今日々この心構えで生きているような気がします。猫髭さん、いつもお教えいただきありがとうございます。
>小銭を持たずに出掛けられます。
小銭入れは寛永通宝の銅銭を付けた巾着を紐でくるくる巻いて小銭入れに遣っている。この寛永通宝は一文銭だがわたくしの子どもの頃まで一銭硬貨として通用していたので銭単位の切手などと一緒にまだ実家に残っている。幼稚園から帰るとお小遣いの五円札とか持って近所の「台湾」という駄菓子屋に揚げあんぱんを買いに行ったものだ。商いというものは金銭を手から手に渡すところに成り立つ。だから自動販売機の店には絶対に入らない昭和男は多い。コンビニのレジの子も全員わたくしの顔を見ると頼まなくてもわたくしの吸うキャメルの煙草をすっと出す。毎日浴衣仕立ての甚平を着て巾着を持って買いに来る客だと煙草の銘柄を覚えてくれるので、いちいち老眼で「えーと233番の煙草」と言わなくても済むのである。これが本当の便利というものだとわたくしは思う。キャッシュレスでは出来ないサービスである。
>つくばひのまろきに寄れる秋彼岸 杜人
「吾レ唯ダ足ルヲ知ル」は水戸黄門こと水戸光圀の好んだ言葉で(竜安寺の蹲も光圀の寄贈と云われる)徳川斉昭の造った日本三大庭園のひとつ偕楽園にも知足の蹲がある。偕楽園は遠足や観梅で子どもの頃から親しいのでわたくしの高校の同級生は「吾唯足知」を判子にして蔵書や手紙に落款として押しまくっていた。わたくしも大學の書道部にいたので文化祭には蹲の「吾唯足知」をでっかいパネルに表装して出品して書道部顧問の教授を笑わせていた。書道展に縦書きの作品ではなく蹲の絵がかかるなど前代未聞で、その奇行のお蔭で篆書・篆刻の大家保多孝三先生の知己を得たのは大學時代の幸福な思い出である。
それにしても秋場所の相撲は幕尻の熱海富士が優勝決定戦に出るという雑魚祭で上位陣は勝ち越すのに汲汲して、白鵬や照ノ富士がいないとここまで泥仕合になるのかと呆れる。若手が成長しているのが何よりだが、上位陣は中日までは取りこぼさないくらい精進しないと相撲が面白くなくなる。
>段差さけ追い掛け合ひの刈田かな ハジメ2018 追い→追ひ
>ごり押しの勢いに屈し秋暑し ハジメ2018 勢い→勢(いきほ)ひ+中八の字余り
あと見よ蘇婆訶(そはか)。幸田露伴の口癖で、もう一度振り返ってよく見よという呪文。