きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。小生も茨城で田圃廻りをしていて農業と歳時記の繋がりを実感しました。貴重な経験でした(^^)。
以前も書きましたが、歳時記は日本の稲作の四季の移り変わりが基本になっているので、兎波さんの「縁側に腰掛けて目の前に田植えから収穫までを手に取るようにみて、田植の頃は蛙の合唱、少し伸びると蛍、縁側で素麺を振る舞いそして黄金の秋の収穫、稲架掛けと藁ボッチ」の34年間はとてもいい時間だったと思います。ちょっとした俳人にしか見えない小さな幸せに気づかされただけでも、世界一幸せの目線が低い目をわたくしたちは俳句のお陰で持っていることになるのですから、これは俳人にしかわからない贅沢でしょう。
明日は明日の風が吹く。Tomorrow is another day.映画「風と共に去りぬ」の最後のスカーレット・オハラの言葉だったか。聖書の「明日のことを思ひ煩ふな、明日は明日みづから思ひ煩はん。一日の苦勞は一日にて足れり」から来ているが、然なり。
きっこさん、みなさんおはようございます。
もともと、隣といっても何百メートルも離れていて回覧板も
車で回すムーミン谷でしたが、縁側に腰掛けて目の前に田植えから
収穫までを手に取るようにみて、田植の頃は蛙の合唱、少し伸びると
蛍、縁側で素麺を振る舞いそして黄金の秋の収穫、稲架掛けと藁ボッチ。
いい時間を過ごすことができた、34年です。
きっこさん、猫髭さん、皆さんこんばんは。猫髭さんの写真はピントがバッチリで素晴らしいですね。小生のはスマホ写真の弱さ。ピントがはっきりしません。ご容赦を(^^)。
わたくしの実家も津波で周りが更地になって風通しの良すぎる故郷となっておりますが、13年前海鳴りしか聞こえない崩れた書斎の中でラジカセで「アダージョ」をでっかい音で気兼ねなく聴いたら、サスペンス劇場のクライマックスに出てくるメロディだなと馬鹿にしていた曲が、あ、これは名曲だと感じたほど、気兼ねなく音楽を聴ける音の素晴らしさは孤独なるが故だと知って、「孤独を癒すものは孤独しかない」(アン・モロー・リンドバーグ)と実感したので孤独は嫌いではない、どころか集中力が異様に鋭くなり、分厚い長編も一気に読めるので喜んだほどで、親が住んでいるからこその故郷で、親が亡くなれば、墓参りに来るだけの土地に過ぎなくなる。あ、わたくしは長男なのでこの墓に帰ってくることになる。海から生まれた命は海へ帰るということか。生きているうちは住めば都と前を向いて歩くしかない。
写真は河津桜の蜜を吸う鵯。
きっこさん、みなさんおはようございます。
>兎波さんのところはまだライフラインは復旧しませんか。
電気は復旧しましたが、水は一部のみの復旧です。私の集落も水は全くです。
ムーミン谷と私がよんでるこの集落も7軒が4軒となりこの震災で2軒が
出てゆき残るは私の家ともう一軒。人口3人だけの集落となってしまいました。
崖崩れで道が不通になり拙宅までは車で出入りができますが、奥の家の人達は
家は残っても生活できなくなったのです。
全長4キロのこの谷に嘗ては14軒の家族が住んでいました。
それが、私が住み始めた時には7軒震災で2軒となりました。
ちょっとさみしすぎ。
昨日は快晴だったが、前日は雪だったので地面は冷たく日差しで風が起こり、九年ぶりくらいで吟行の頭取をやらされたが、善福寺川緑地公園は冷たい風が強く、なんと和田堀公園の往復吟行はわたくしひとりで、残り11名は高級億ションのサロンで外の景色を眺めて作るだけというアキレタブラザースにシスターズばかりで、まあ、皆高齢者ばかりで無理はないので、ひとり吟行という何のために残りの俳人が来たのかと思えば、二次会の中国料理最高位「特級厨師(とっきゅうちゅうし)」を史上最年少で取得した孫成順(ソン・セイジュン)の店「中國名菜 孫」阿佐ヶ谷店目当てで、猫髭吟行会の二次会は美食倶楽部にありという、二次会目当ての俳人ばかりで、なるほど二次会では舌鼓を打つ音ばかりで俳句の話をする俳人は一人もなかったが、とにかく特級厨師のヌーベルシノワ(新中華)はそれもむべなるかなの絶品料理で、みな寒かった昼間の吟行を忘れて温まったと満腹満足して御帰還遊ばれたので、こんなにおいしい吟行は初めてだと、わたくしだけ喜んでいいのかわからない複雑な吟行でした。
兎波さんのところはまだライフラインは復旧しませんか。
明日は13年前の2011年(平成23年)3月11日に東日本大震災の起こった日。その時は母の避難と親族の安否確認で俳句どころではないので三月は俳句を休みましたが、わたくしの田舎は井戸水を汲んで未だにプロパンガスなので煮沸して使ったり、青年団が水運んでくれてたので、電気がないだけで夜は蠟燭で昔のようだとのんびりして、
ふだん着でふだんの心桃の花 細見綾子
の一句を胸に、年年歳歳花同じくしてで、桜の咲くころ、三月末には吟行句会に参加していたと記憶します。うろ覚えだけど、
桜狩津波のにほひする人と 猫
といった句を読んだ記憶があるので。
まあ、人生いろいろあらあなで、人様から見るととんでもない波乱万丈の生き方をしているように見えても、本人が人様をほとんど気にしていないので、「命があるだけ丸儲け」でのんのんずいずい仲のいいひとたちと暮らしていると、どんな逆境でも最悪の事態にはならず、そんなこともあったかねえで、忘れてしまえるように思えるし、古来稀の古稀を過ぎたらだんだん仏様に近づいているので好きなことが出来れば快適という日が必ず訪れる。長い夜はあっても明けない夜はない。自由に生きるというのは思いやりを忘れずに誠実に生きることでいつか身につくとわたくしは信じています。
写真は「孫」のランチ1200円。みなうまくて1200円が安いと思えたほどだが、最後のデザートの「椰子羔」はこれだけで1200円出すからもうひとつ食わせろという逸品。ココナッツのババロアが杏仁豆腐のようなバニラクリームのような不思議なミルキーな甘さで山査子(さんざし)のソースが蜜柑でもオレンジでもない酸味とのマリアージュに恍惚。生きてて良かったあというこんなおいしいデザートは生まれて初めてですわい。死ぬまで毎週通って「椰子羔」に出会えたらその一日は薔薇色の人生と化すだろう。
