私たちは、雲にはなれないけれど
あんな雲に近づけたら…。
雲はすごいね
一人一人 が しっかりしているね。
ポエムです。
愛とは 叶わなかった思いの結晶でもある
愛とは争わないこと
愛とは小さな奇跡に気付くこと
それでも、やはり、
愛とは争わないこと
愛する者のために自らを省みて
他者と対話すること
かのバレリーナがしたように、一歩ずつ
歩み寄ること
愛を優しく包めば、二人になる
持っている愛を(小さくても)分けあえば、平和になる
それを大切にすれば消えない
愛とは叶わなかった思いの結晶でもある。
〜実知〜
愛とは争わないこと
愛とは小さな奇跡に気付くこと
愛することは鍛えなくては
オードリー・ヘップバーン
愛は、受容よりももっと積極的な意味がありませんか?与える。とか。分からないのに、すみません。
愛とは受け容れること、受容ですね。私は、時々、受容する力が少なくなる時があります。
受容しないことも愛というのかは、分かりません。
愛とは受容なのかな~なんて。
受容できる範囲?量?が、
対象者の愛の深さと言い換えられないかな。
自分のことも忘れずに受容しないとね。
人は人、自分は自分。と、しっかり区別することが、心の垣根をしっかりさせることのようですが、
私も垣根が低いです。
心の垣根をしっかりさせた上で、
人と接すると良いのかな?
私も心の垣根を高くする方法が知りたいです。
しっかり自分を確立させること。
これが、心の垣根を高くするのかもしれません。
テレビで、酷い映像を観ました。恐くなって、こちらに書いたことをつい消してしまいました。
すみませんでした。
書いたり消したりごめんなさい。
投稿してしばらくすると、自信がなくなって。申し訳ありません。
時計さんへ
私も考えました。
私の場合、絵の具に例えると、自分の色はしっかりあるのですが、ふとした時に、全て相手の色に染まりそうになる瞬間があります。気を付けたいです。
医者がお前はしゃべらず早く帰れオーラに毎回負けてしまい、恐ろしいものでそれに慣らされました。こちらのクリニックでは再診でも15分以上は確保されているそうでこの違いは何なのかと書き込んでしまいました。
心理士さんが受付してカウンセリング出来ないってもったいないですね。たくさんの子どもたちを救ってあげて下さい。わたしのようにならないように。失礼しました
「こちらのクリニック」の者ですが、幼児~児童の年代の子達が来ると面接室を兼ねたプレイルームで思いっきり遊び出すので心理士も参加し、しばしば待ち時間が事実上のプレイセラピーの時間になっています (^_^;)
今のところ私の診察以外にカウンセリングを希望される方もあまり居られないので、心理士が受付も兼ねるというこの形態に落ち着いています。とは言え、カウンセリングのニーズが高まってくれば、工夫が必要になるかと思っています。
さて、3分間診療ですが、私もそれには憧れます。それで良くなるのなら、診察なんて短いに越したことは有りませんよね。再診に15分とか、時には30分とか1時間とかかかっちゃって、後ろの患者さんをお待たせするのは、私の技量と努力が足りないせいだと思っています。技量や努力が足りなければ、時間を味方につけるしかないのです。
ですから、巷で3分間診療を本当になさっている先生方は、凄い技量と努力を兼ね備えておられるんだと(中には、それで治療ができていると錯覚されているだけの方も居られるかも知れませんが…)。
3分診療で信頼が築けず、お困りとのこと。
・予め悩み事をメモしておく。
・3分で済む程、御自分が元気ではないことを訴え続ける。
・主治医の先生をかえる。
手が触れてオルゴール鳴る立夏かな
移りゆく新緑ぐらいおいてゆけ
起きあがりカモミールだけ咲かそうね
飛行機は夢を運べよ雲の峰
かき氷死語となるなよ「仲直り」
俳句です。時計さんすみませんでした。こおるさん、コトリさん、りんさん、懐かしい。( ´-`)
聞きたくないニュースがありました。すごく動揺しています。
受け止めるのが難しいです。
「自分とは関係ない」と心に垣根を作ることはある程度必要ですが、感情はその垣根を越えて伝わります。
うっかりすると伝わって来た感情に全てが押し流されてしまいますね。
日頃から、心の垣根を意識して、見失わないようにするしかないかなと…
自分とは関係ないって理解出来ているのに、怖さがあります。
私の感情も追い詰められてるからかな。追い詰められる感じが自分におきてるよう。書くのも怖いよ。
人は、追い詰められたらいけないですね。
未だに高校生の時の嫌な記憶が、よみがえります。眠れない。
もう生きていたくない。
ムーミンさんへ
有り難うございます。
参考になりました。私が、小学生の頃にしてしまった過去もあります。反省しています。でも、自分の傷は痛む。みたいな状態です。
出来るだけ、今を大切に、感謝の気持ちを忘れず、過ごしたいです。
外傷記憶って本当に厄介ですね。過去はもう存在しないのに、あたかもまだ存在するかのように作用する。
外傷記憶の「処理」ってどういうことなのか、未だによく分からないのですが、結局は逃げずに反芻し、その都度少しずつ合理的な思考を加えながら、生き抜くしかないような気がします。その時に身体的な痛みも生じたりするので身体をリラックスさせたりも有効なのでしょう。