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論語でジャーナル

8,子夏曰く、小人の過(あやま)つときは必ず文(かざ)る。

 子夏が言った。「小人〔つまらない人間〕が過ちを犯したときには、必ず装飾的な言い訳をしてごまかそうとする」。

※浩→「過てば則ち改むるに憚ることなかれ」〔学而篇)や「過ちて改めざす、これを過ちと謂う」(衛霊公篇)に対応します。君子は過ちを認め、これを改めますが、小人は過ちを認めず、隠そうとします。わがアドラー心理学では、過ちを犯したときの責任の取り方は次の3つです。①与えた損害の原状復帰(弁償等)、②再発防止策、③感情を害していたら謝罪(「ごめんなさい」を言う)。「俺は悪くねえ。悪いのはあいつで、俺は被害者だ」というのを“悪いあの人、かわいそうな私”と言います。相手も同じことを言うでしょうからこれでは押し問答が続くだけです。実際に人とのトラブルではこうなっていることが多いです。打開策は、それをやめて「私にできることは何か」を見つけて実行することです。「悪いコロナ、かわいそうな私」だったかもしれません。あのコロナ騒動はどこへ行ったのかと思えるほど、このお正月からコロナは消えたみたいです。でも、スポーツジムへ行くと多くの人がマスクを着用していますし、スーパーマーケットではほとんどの人が着用しています。このおかげでインフルエンザの感染は防げているかもしれません。今年もやはり「すべきこと」をきちんと実行し、「すべきでないことをしない」を励行していきます。

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アドラー心理学で心理テストは?

Q0369
 アドラー心理学では心理テストは必要ですか?

A0369
 必要ありません。心理テストを信じていません。いませんけれども、ライフスタイルを診断する5つの方法の中に心理テストを入れてあります。5つ全部言いますと、「子ども時代の家族関係」「子ども時代の思い出」「夢」「特殊診断質問」「心理テスト」です。
 なんで心理テストを入れているかというと、実は、経済的なというか、社会制度上の理由なんです。アメリカやヨーロッパでは、臨床心理士に当たる「クリニカルサイコロジスト」という職種がありますが、それの独占業務が心理テストなんです。クリニカルサイコロジスト以外の例えば精神科医は心理テストやってはいけない。やってはダメどころか、結果を読んでもダメなんです。読むのも全部クリニカルサイコロジストの独占業務で、全部お願いしてやってもらわないといけない。日本でもそうしたほうがいい。日本には残念なことに、“そういう”臨床心理士の資格がありません。なんでないかというと、臨床心理士会が「相談を独占業務にする」と言ったからです。相談を独占業務にされたらみんな困ります。医者も弁護士も看護師も相談業務です。ケースワーカーもそうですし、化粧品売り場のおねえさんもそうです。相談を業務としている人はゴマンといる。それを心理職だけの独占業務にするなんて、有名無実で絶対に不可能な法律です。そんなバカなことはないので、みんな反対しました。いろいろ調整してやっと法律が国会にあがったときに、郵政改革が起こりました。小泉郵政改革です。で、そんなのはぶっ飛んで、郵政会社ができて、その法律は夢と消えました。今またちょうどあがっている。臨床心理士に関する法律があがっているんですが、これも飛びますね。消費税値上げで。なんでこんなにタイミング悪く国会へあがるんでしょう。まあ、仏様のおはからいなんでしょうね。次にあげるのに、10年くらいかかりますね。国会は法律目白押しなんです。ものすごい量の新しい法律があがる。世の中がどんどん変わっていくから。臨床心理士みたいなヒマなものに関わっている暇がない。ずっと順番待ちして、やっと順番が来ましたというところで、運が良ければ通る、運が悪ければ通らない。今回も運が悪かった。
 西洋でアドラー心理学を講習するとき、心理テストを入れておかないと臨床心理の人たちが来ないんです。入れておきますけれど、誰も信じていません。心理テストというものは当たらないと思います。少なくともライフスタイル分析以外の方法で精密に人間の性格がわかるものじゃないと思っています。ま、そんなことを言ってはいけませんね。心理テストを信じていてもらわないと臨床心理さんが困ります。保険点数も一応請求しますから、信じておいてください。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

7,子夏曰わく、百工(ひゃっこう)は肆(しorみせ)に居て以てその事を成す。君子、学びて以てその道を致す。

 子夏が言った。「職人は店に居て、その仕事を完成させる。君子は学問を行って、道を究極的に窮める」。

※浩→社会に必要な道具・商品を製作する職人は「労働者階級」として店で働かなければならないが、国家の政治に携わる君子は「知識人階級(読書人階級」として学問の道を誠実に修めていかなければならない。孔子の孫弟子のころになると、知識階級つまり「士」の身分が確定してきたことを反映していると、貝塚先生。吉川先生は、もう少し詳しく、いくつかの説を述べられます。先生は、多様な道具もしくは多様な製品があればこそ商売ができるように、君子も学問をし多様な実証を知ればこそ、道徳の生活を完成できる、と解釈されました。朱子は、職人は店にいなければ他のことに心を奪われて仕事に精が出ない。そのように君子も学問しなければダメになる、と解釈。伊藤仁斎は、百工には百工の仕事、君子には君子の仕事と、江戸時代のヒエラルキーを反映した解釈をしています。今の時代に読むと、どことなく「ホワイトカラー」重視で、「ブルーカラー」軽視のようにも受け取れます。古代ギリシャで、生産には奴隷がたずさわり、貴族の最高の生活が「観想的生活」だったのとは雰囲気が違うように感じられるのは、私が東洋人で、東洋贔屓のためかもしれません。そういえば、もと清心女子大学理事長の渡辺和子先生は、「置かれた場所で花を咲かせなさい」とおっしゃっていました。アドラーは、「重要なことは何を持っているかではなく、与えられたものをいかに使うかということである」と言っています。野田先生も、「ないものについて不満を言ってもしょうがない」とアドラーと同じことをおっしゃいました。アドラー心理学をきちんと学ぶために大事なことは「読・思・修」の3つです。書物や講義で学び、自分で考え、そして実践する。令和6年のお正月を迎えて、今年もこのことを忘れず精進していく一念です。

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心理テスト

Q0368
 大人の裁判では心理テストをしませんが、どうして少年鑑別所や児童相談所では心理テストをするんですか?

A0368
 あれは刑罰じゃないからです。少年鑑別所とか少年院とか児童相談所とかは、刑法ではなく少年法の取り扱いです。少年法は犯罪に対して刑罰を与えるという考え方をしていなくて、非行に対して矯正をする、教育をしようとしている。非行した子どもというのは、普通の学校の教育では社会人として育てられないから、普通の教育じゃない特別のその子たち用の教育システムを作って、そこへ乗せようとしている。だから、「行為」の問題としてではなく「性格」の問題として捉える。性格の矯正を少年院とか少年鑑別所でやろうとしている。だから、カウンセラーがいてバリバリの心理の専門家がいっぱいいる。刑務所と少年院とは性質が全然違う。
 学校の先生は、「少年法」の入門書を読んでおいたほうがいい。意外とみんな知らない。少年院は刑務所の子ども版だと思っている。日本は刑務所もわりと教育刑で、職業訓練をしたりして、社会に出て仕事につけるようにという刑罰です。意味のない重労働刑ではなくて、教育刑にしている。少年院は教育する場所だと、はっきり捉えられている。(回答・野田俊作先生)

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論語でジャーナル

6,子夏曰わく、博く学びて篤く志(し)り、切(せつ)に問いて近く思う、仁はその中に在り。

 子夏が言った。「広く学んでしっかり記憶し、鋭く質問して身近な問題について考える。こういう中から仁徳が生まれる」。

※浩→「志」を「識」つまり「記憶する」、「学」は他人に習うことで、この習ったことを「篤く志る」つまり、確実に記憶することと、貝塚先生の解説。「切に問いて」の「切」は「切磋琢磨」の「切」で、玉を磨くように鋭く問いかけるということです。博学な知性と堅固な意志、直近の問題への関心の大切さ……、野田先生がまさにそうでした。この掲示板の「質疑応答掲」からもよくわかります。とにかく多才。ほとんどの質問に即答です。さらに2時間の講演や講義を台本なしで宙でなさいました。私なんかは絶対にカンニングペーパーが必要です。内容を覚えるには覚えますが、何もなしにというわけにはいきません。飲み会では、気軽なおしゃべりで、次から次へのいろんな話題が飛び出します(笑)。武道の世界では、「守る」「破る」「離れる」という段階があるそうですが、まずは基本的な「型」をしっかりマスターしないといけません。それができると今度は型を破ることができるそうです。で、もう一段向上すると、もとの「型」も「型破り」にも縛られない、自由無碍な段階に達するのだそうです。野田先生はこれです。私はどこまで行っても「守る」段階のままのようですが、それで一向に構いません。「まだ足りぬ。学び学びてあの世まで」です。落語の「地獄八景亡者の戯れ」ふうに言うと、三途の川までの道中も、もしかしたら野田先生の「勇気づけの歌」などを復唱しながら歩むことになるのかもしれません。

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