34,子曰く、君子は小知すべからずして、大受(たいじゅ)すべし。小人は大受すべからずして、小知すべし。
古注:先生が言われた。「君子は小さい範囲の観察では理解しにくいけれども、一般人が彼から大きな利益を受けうる」。
新注:先生が言われた。「君子は小さいことはできないが、大きな任務を引き受けることができる。小人は大きな任務は引き受けられないが、小さいことはできる」。
※浩→現代感覚からすると、職業や人格の差別的待遇を意味するようにも思えますが、孔子の時代には君子は「小さな仕事(身近な問題)」にとらわれ過ぎないで、「大きな仕事(政治や礼制における道の実践)」に専心して己れの徳性を磨くことが正しい生き方だと考えられていたのです。それはそうでしょう。儒学は、言うなれば、政治家養成哲学のようなものですから。「修身~斉家~治国~平天下」です。前回も出ましたが、「民主主主義」で、“平等”が当然視されますが、これは“同等”とは違います。“平等”は、「違うけれど等しい」ということです。クリステンセン博士の説明がわかりやすいようですから、そこから引用します。博士は1989年アドラー心理学会岡山総会で外国招聘講師でした。当時、アメリカ・アリゾナ大学教授でした。私がアドラー心理学に出会ったのは、それから2年後の1991年でした。↓
ここで私たちは、「平等」ということについての理解を明確にしておきましょう。アメリカでワークショップを行なう場合、まず最初に参加者に質問表を配ることにしています。第一の質問は、「一行で、平等という言葉を定義してください」というものです。北アメリカのどこの地域の人たちも、どんな民族的な背景や教育的な背景を持っている人も、とても面白い意見を書いてきます。70%の人たちが、「平等であることは同じであることである」と答えてきます。しかし、私は、同じであるということは、平等であるという観念を侵害するものであると考えています。男と女は同じではありませんが、平等です。フランス人は、何世紀か前にこの問題を解決しました。その時フランス人は、「違い、万歳!」と言ったのです。子どもと大人とは同じではありませんが、平等です。子どもは大人ほど大きくはありません。大人ほど教育を受けてはいません。そして常に言えることは、子どもは大人ほど歳をとっていません。でも平等なのです。
平等というのは、平等の中には違いも存在すると定義しておく必要があります。私が一番うまく定義するとすると、「価値観の平等、価値の平等、そして人格の平等」ということができます。もし、同じであるという考えを進めていくならば、大人、親、そして教師の果たす役割はなくなってしまいます。けれども、“違い”という概念を受け入れていくと、教える先生の役割と生徒の役割、親の役割と子どもの役割というのを相互尊敬の関係のもとに明確に定義できるのです。
学校や家庭についてのもうひとつの問題は、親になるために、あるいは教師になるために受けてきた教育は、自分が子どもだった時に受けた教育しかないということです。今ここにいる、かなり若い方を除いては、かなり専制主義的な家庭環境の中で育てられたのではないでしょうか。そして、学校でもなかり専制主義的な教師に出会われたのではないでしょうか。そうすると、民主的な教育の本を何冊読んでも、民主的な子育ての本を読んでも、何か問題が起きてくると、あなたのお父さん、お母さん、そして先生が対応したのと同じような形で反応してしまいます。
教員養成の専門機関の訓練で、いい教師が育てられることはありません。もし、良い教師がいたとしたら、それはその訓練機関によるものではなく、訓練を受けたにもかかわらず良いと考えたほうが適切でしょう。というのは、「あなたがたまたま良い先生にめぐり会っていた。そしてそこで訓練を受けていた」ということにほかならないからです。現在の教師は、次の世代の教師を訓練しているということができます。ですから、教育界にどんな革新が起きたとしても、次の世代の教師たちは、今の教師たちが教えているような形で教えていくことになるのです。このことは、親たちについても言えることです。皆さんが孫の親を教育していると言えるでしょう。それは、とても恐ろしいことでもあります。というのは、孫に対しては、つい甘やかしがちになるからです。そして、自分の子どもたちが自分の孫をどのように育てているか、その子育てに関して嘆くということがよく見られます。
子育てにおいて、そのほとんどの会話が上から下への会話です。これは3、40年前には悪いことではありませんでしたが、今日の子どもは平等という位置からその話を聞いています。その結果、コミュニケーションにどんなことが起きるかはもうおわかりでしょう。それより、もっと悪いのは子どもたちが平等というポジションから親たちに話して返すということです。
私は、「生徒が言い返す」という報告を受けたときは、「自分が子どもとどういうふうな交流しているのかテープに吹き込むように」と指示します。そしてテープを聞いてみますと、教師の話し方が、文句を言っている子どもと全く同じ話し方をしていることがわかります。子どもたちが平等という仮定のもとに話しているとしたら、子どもたちは教師が話すのと同じように話す権利を持っていると考えるでしょう。
私は、2週間ほど前に、とても面白い電話を受けて、イギリスから来ている教授と会いました。彼の6歳になる息子が新しい学校へ入りました。彼は入学して2日目に、学校から排斥されてしまったのです。1年生の子どもが排斥されることがどういうことかわからなかったので、びっくりしました。「何が起こったのか?」と聞いてみました。わかったことは次のようなことでした。
教師が、「もう誰も話してはいけない」と子どもたちに命令したらしい。そして、教師自身が話をすることで、その約束を破りました。そこで、6歳の子どもが教師の論理に挑戦をしたということでした。平等の観点で見ようとしている人には、明らかにわかる例ですが、自分がボスになろうとしている人には、まったく理解しがたいことです。もし1年生の子どもが平等について理解しているのは普通とは思えないと言われるかもしれませんが、私の扱っているケースの多くが、わずか2、3歳ですでに専制君主と言われる子どもたちなのです。
Q0291
17歳になる長男が今年になって高校を中退しました。今は家にいますが、「18歳になったらアルバイトをする」と言っています。長男にはずいぶん口うるさく言ってきたことが今は反省です。声のかけ方を教えてください。
A0291
何もないな。ちゃんと立派に人生計画をしていらっしゃるようですから、「何でもできることがあったら言ってください」と、受け身に回ったほうがいいと思う。先回りして、「ああしなさい、こうしなさい」と言ったり、心配したりしないで、向こうが「してほしい」と言ったことはしてあげたらいいと思います。(回答・野田俊作先生)
33,子曰く、知はこれに及ぶも、仁これを守る能わざれば、これを得ると雖(いえど)も必ずこれを失う。知これに及び、仁能(よ)く守るも、荘以てこれに涖(のぞ)まざれば、則ち民は敬せず。知これに及び、仁能くこれを守り、荘以てこれに涖めども、これを動かすに礼を以てせざれば、未だ善ならざるなり。
先生が言われた。「知識でその地位までゆきつくことはできるが、仁徳によってその地位を守ることができないと、きっとその地位を失うことになる。知識でその地位にゆきつき、仁徳で守っていても、おごそかに地位についていないと、人民は敬意を払わない。知識でその地位にゆきつき、仁徳で地位を守り、おごそかにその地位についていても、人民を動かすのに礼の定めに従わないと、まだ十分ではない」。
※浩→吉川先生は、これは個人的な道徳ではなく、政治についての道徳であると解説されます。孔子は、士大夫(上級官吏)の心構えは、「十分な知性(見識)・人民を愛する仁徳・厳粛な仕事への姿勢・古来からの礼制」が揃っていることだと語っています。
「荘」は、「おごそか」「正しい姿勢」。「涖む」は「定められた地位につくこと(位について人民に対すること)」。
今の政治家の条件にこれを当てはめると、どうなるでしょうか。「知識・仁徳・荘厳・礼」のすべてが揃うなどとは、夢のまた夢ではないでしょうか。ときどき、「この国に民主主義はあるのだろうか?」と疑いたくなります。選挙のたびに見る投票率の低さ。「民が主」ということは「メンバー個々人が主体」ということになります。一部の権威者がメンバーに一方的に命令を出して組織を動かすことではなくて、「民意」が尊ばれることになります。政治では、「絶対君主主義」とか「貴族主義」とかに対して「民主主義」と言うのでしょう。古代ギリシャでは「民主政」は「衆愚政」に陥ると危惧されていました。今はどう見ても「衆愚政」のような気がします。「平等」と「同等」を混同して、「何でもみんな同じ」でないと、すぐに「差別だ」「人権侵害だ」と騒ぎます。日本は戦後、それまでの反省から、国家による「私権」の侵害にとても過敏になったのでしょうか。「憲法」には、「個人の権利は最大限尊重するが、濫用してはならない。公共の福祉のために利用すること」と明記されているのに、政治家もメディアも「公共の福祉」という言葉はほとんど口にしません。こういう意味でも、この国は「アナーキズム」になってしまっったのでしょうか。その「アナーキズム」も、もとの意味をたどると、この思想の基礎には、「善意の人々」の存在が前提なのだそうです。今の世の中、善意の人ばかりではありません。国内的にも国際的にも。
Q0300
高2の女の子が9月から学校を休んでいます。家でのんびりテレビを見たり外出したりして過ごしています。「親が学校へ行けと言うのがうっとおしい」と言うのでいろいろ相談した結果、「学校へ行け行けと言わないでほしいと、自分でも言う。私から親にお願いする」という結論に達し、今は親も「学校へ行け」と言わなくなり、そこそこ快適な日々を過ごしているそうです。他種の高校の情報も、本人の希望により提供しました。11月いっぱい休んでも大丈夫です。もちろんもっと休んでもOKだけど、今年進級するなら。
「どうせ休むなら楽しく過ごすように」と言ったのですが、担任として何か他に援助できることはあるでしょうか?
A0300
いつも学校の先生に言っているんですが、子どもの注文をしっかり取ってください。こっちから、「あれしてあげたらいいだろう」、「これしてあげたらいいだろう」というのは、思春期の子どもにとって侵入的なんです。思春期の子どもにとって、大人というのはすごく扱いにくい動物で、ちょっと気を許すとつけあがるんです、子どもから見れば。やさしい顔をするとどんどん進入してくるし、遠ざけるために恐い顔をするとあたふたして怯えるし、猛烈に扱いにくい動物なので、まず扱いやすい動物になってあげないといけない。
それは結局、「私にできることがあったら言ってください。言ってもらえばそれはします。知りたい情報があればそれは提供します。こっちから積極的にああしなさいこうしなさいという助言はしません」というくらいの出方のほうがいいと思う。
特にこれは高校生でしょう。高校生が学校へ行かなくなったのを登校拒否と言うのがおかしいので、登校拒否というのはやっぱり義務教育に対して言うべきではなかろうか。学校へ行く行かないは自由な選択なんです。「高校へ行かない」と子どもが自己選択・自己決断したわけだから。その線上でOKを出しておけばいいんじゃないですか。別の高校へ行くというならその方向で援助すればいいし、やめると言えばやめる方向で援助すればいいし、今の高校へ戻ると言えば戻る方向で援助すればいいし、全部子どもが決めて僕らが助ける。(回答・野田俊作先生)
32,子曰く、君子は道を謀(はか)りて食を謀らず。耕して餒(う)えその中(うち)に在り。学びて禄(ろく)その中に在り。君子は道を憂えて貧を憂えず。
先生が言われた。「君子は道(道徳)を得ようと考えるが、食を得ようとは考えない。農耕は生活を安定させる道ではあるが、飢饉などで飢えることもある。学問は生活の手段ではないけれど、「禄(経済的幸福)」への要素も内在する。君子は道のことを心配するが、貧乏なことは心配しない」。
※浩→食事や俸給を心配しないで、道(理念・道徳)の実践を心配するのが君子の生き方だと孔子は説きますが、現実には、明日の食事や俸給を気にしないで生活するのは難しいでしょう。このことに関しては、貝塚先生が、「食を得ることと目的に学問していないのに、学問ができあがると自然に諸侯や貴族に招かれて俸禄にありつける」という、この逆説がないと、ここは単なるお説教に終わる、と解説されています。
高校では2学期に就職試験で合格が決まると、その後の学習意欲が低下するということが起こっていました。先生方は、卒業の3月まで生徒を学校に引きつけるのに一苦労なさるとか。これでは学校は完全に「予備校化」してしまっています。お勉強することの目的を間違えています。普通科でも、大学進学が決まったら、そのあとはもう学校へ来ないのでしょうか?私が高校生のころ(かなり昔ですが)、卒業式が大学受験(私立)の日と重なる人は、式を欠席していました。これはまあ理解できますが、合格が決まったらあとは登校しないなんてことはまったくありませんでした。学園生活はそれなりに楽しくもあり、部活動もあるし、日々の友人たちとの暮らしも大切で、よほどのことがない限り、欠席することはありませんでした。
こういうことを考えると、孔子の時代に学問をする人たちは、純粋に学問の意味を理解して、正しく学んだかというと、決してそんなことはなくて、だからこそ、孔子がこうして戒めたのでしょう。ということは、いつの時代でも、きちんと意味を理解して学ぶ人はそうするし、しない人はしないということになるのでしょう。今、卒業式まで生徒を学校に引きつけるために悩まれている先生方は、やはり、生徒たちがクラスにきちんと所属できて、楽しく学べる工夫するしかないのでしょう。それと、昔は家の居心地が今ほど快適でなくて、学校にいるほうが何かと快適だったことも関係があるのでしょうか。わが家はそうでした。友人にはリッチな家の子もいましたが、ちゃんと学校には来ていました。今は完全におつきあいがなくなってしまった中学時代の池田秀彦君とか、高校時代の岡村鉄夫君とかはご存命かどうかも不明です。
貧苦に耐えながら学んで、その後、幕府の要職に就いた荻生徂徠のことは、落語の「徂徠豆腐」でもよく知られています。以前、ここでご紹介したことがあります。ネットであらすじがわかります。↓
荻生徂徠(おぎゅうそらい)(1666~1728)は江戸時代中期の儒学者で、この『徂徠豆腐』は徂徠が幕府側用人の柳沢吉保に重用されたことから「柳沢昇進録」の一部として読まれることがあり、また、元禄赤穂事件の際には赤穂浪士の切腹論を主張したということで「赤穂義士外伝」のひとつとして読まれることもある。最近は落語でも演じる人が増えている。
あらすじは、→
荻生徂徠(おぎゅうそらい)は江戸の芝(今の港区)に学問所を開くが、弟子はなかなか集まらない。最初のうちは身の回りの物を売って生計を立てるが、まもなく売る物もなくなり生活が成り立たなくなってきた。11月の中ごろ、3日間なにも食べていない。そこへ「とーふ、とーふ」と表を豆腐売りが通りかかるので、冷奴を1丁買って、醤油を少しかけてあっと言う間に食べてしまう。豆腐売りは上総屋七兵衛という。代金は4文。細かい金がないからと言って支払いは次回にしてもらう。その日はそのあとに口に入れるのは水ばかり。翌日の朝、七兵衛からまた冷奴を買う。今度は何もつけずに食べてしまう。今日も細かい金がないと支払いは先延ばし。これを繰り返しで5日目に、七兵衛は「今日は釣銭を準備してきた」と言う。徂徠は「細かい金がないなら大きい金もない」と打ち明ける。おかしな理屈に妙に納得する七兵衛。それならば晦日(みそか)にまとめて、と七兵衛は言うが、それも当てがないと徂徠。話を聞けば、豆腐1丁で1日を過ごしていると言う。徂徠の家には書物が山ほど積まれているが、本は自分の魂だがら決して売らないとの言葉に七兵衛は感心する。七兵衛は「おにぎりを毎日持って来よう」と言うが、自分は乞食ではないからとこれを断る。またも感心した七兵衛は商売の残り物である「おから」を煮付けて持ってくることにすると、それならOKと徂徠。それから毎日毎日、親切な豆腐屋はおからを徂徠の家届ける。
七兵衛は熱を出し7日間ほど自宅でうなされ、徂徠の家には行けなくなりました。元禄15年12月14日、久しぶりに徂徠の家を訪ねるが不在。そしてその夜半、本所松坂町の吉良邸に赤穂浪士が討ち入りをして、翌日江戸の町は大騒ぎである。
その最中のこと、隣家が火事になり、そのもらい火で上総屋は全焼。七兵衛夫婦は着の身着のままで逃げ出すが、何もかも失い一文無しになる。友だちの家へ身を寄せているが、そこへ大工の吉五郎という者が七兵衛を訪ねてやって来る。吉五郎は当座の分だとして十両の金を与え、焼け跡に普請をしていると言うが、何のことだか七兵衛はさっぱりわからない。
年が明けて2月の初旬のこと、吉五郎が立派な姿の武士とともにやって来ました。このご武家こそ「冷奴の先生」荻生徂徠である。七兵衛が家に来なくなって2日目のこと、「柳沢美濃守様から登用され八百石取りの身分になった」と徂徠は語る。七兵衛から受けた恩を深く感謝し、その時の豆腐代及びお礼として今日また10両の金を与え、さらに七兵衛夫婦のため豆腐屋の店を新しく普請して引き渡した。徂徠の口利きで芝・増上寺への出入りが許され、またこの上総屋の豆腐を何もつけないで食べると出世するということで評判になったという。
おあとがよろしいようで。