元日の能登半島地震の大津波避難警告の地元のライブカメラを見る限り大津波に寄る被害は東日本大地震ほどではなく避難所に逃げれば助かるレベルだと思えたが死者73名と被害が拡大しているので驚いている。どの町にも民生委員がいて高齢者や障碍者の相談相手になっており、向こう三軒両隣ではないが、何かあったら近所の者が手助けするのが当たり前で、わたくしも近所の老人を地震警報が出たら(震度5以上になると津波警報が鳴り渡る)手分けして安全な高台に避難させていた。兎波さんの陶房眠兎は能登半島の北部の鳳珠郡能登町の柳田村にあり「石川みち情報ネット」の地図にも載っているが海からは離れているし住宅密集地帯ではないので津波の心配もなく家屋倒壊や火事の被害も免れるだろうと安心していたが、近年の地震とは異なり、1995年の阪神大震災に匹敵する1~2秒周期の強い揺れで木造家屋が全壊しかねないという防災科学技術研究所のデータが発表されている。2011年の東日本大震災では宮城県栗原市で震度7を観測したが、1秒以下の短い周期の揺れがほとんどで、観測地点の近くに全壊した建物はなかったという。言われて見れば、どんという立っていられない突き上げの前震と、持っていた風呂の蓋が爆風で飛ばされたような余震の衝撃は一瞬の揺れだった。能登の去年の地震の時は作品の被害もなかったと兎波さんは言っていたが、その時の40倍の強さが元旦の地震で地震は北上して新潟まで130キロに及んでいる。東日本大震災は宮城から茨城の大洗までの原発関連施設で生計を立てている県民や漁民を放射能の余波と共に震撼させて、わたくしも故郷を捨てざるを得なかった。今は大洗の高台の父と母の墓だけがわたくしが死んだ後に入る故郷の名残となっている。
かもめさんの2016年(平成28年)の熊本地震の時は余震を恐れて家には入らず車の中で夜を明かしていた。もう余震も収まっただろうと家に戻った隣家の娘さんはその時に余震が襲って亡くなられた。能登の亡くなられた人たちは火災や建物の倒壊が原因と予想されている。避難所に逃れていればとは思うが、生まれた家は離れがたいのだろう。遺体が見つかっただけ供養が出来るのでまだ見つからないよりいいと弟を東日本大震災で亡くした知人が言っていたことを思い出した。弟さんは地震で圧死して亡くなったが、津波が山まで家ごと運んで引いた後に山頂で見つかったのである。まだ津波に呑まれて見つからない人を持つ遺族も多い。遺族はどんな思いで海を見ているのだろう。
兎波さんの陶房は古い民家なので今回は被害を受けている可能性はあるがわたくしは無事だと思っている。元旦なので御家族と過ごしていた可能性が高いので家族で力を合わせて地震を受け止めて乗り越えていると信じている。かもめさんの時は近くに宅配センターの集積所があったので、その集積所のコード番号へ荷物を送り、引き取り人の名前を家族の名前にすると道が倒壊していても自転車が通れれば取りに行くことが出来たが、陶房眠兎の近辺を調べると佐川急便の柳田営業所が一番近いのだが、ヤマト運輸と同じく能登町への配達は中止されている。道路がやられているので飛行機が飛んで集積所までの経路が車で確保できれば、かもめさんのケースのように自転車で取りにいくことが出来る。客先まで届ける道が車が通れなくとも客が集積所まで取りに行くのが可能で、これは会社ルートを緊急時に利用できる裏技で、現にかもめさん一家は郵便局や宅配便が公に届く前に支援物資をいち早く取りに行くことが出来たので、以後ヤマト便は災害時の緊急ルートとしてこの方法を公開した記憶がある。わたくしはクロネコヤマトの会員なのでこの裏技をクロネコの懇意にしている担当者から聞いてやってみたら一日で届いたので二日か三日かかる普通便より超特急で届くので記憶に残っている。コンビニ窓口は半信半疑でクロネコに電話して「あるんだ」と驚いていた。あるのよ。かもめさんもわたくしが送った携帯ラヂオで自分が住んでいる益城町(国内最大震度のM6.7を記録してライフラインはすべて断たれ救助隊も入れなかった)だけが地震に襲われたと思っていたので熊本市内も被害が大きいと知って驚いていた。被災地に物資を届けるには配達先の欄に送り先に一番近い集積所のコード番号を聞いて書き、受取人に被災者の取りに行ける人の名前を書くだけで、朝出せば最寄りの空港から集積所に翌日には届くので二日とかからずに届くことを覚えておいてください。
兎波さんも物資不足で困ったことがあればお知らせください。東大日本地震をくらったおかげで一般人よりは詳しいので。
写真は昨日で餅全部雑煮で食べちゃったので年末に塩胡椒してラップにくるんで熟成させた塩豚も入れたポテで箱根駅伝観戦。母校の國學院が五位に入る健闘で観劇。
P.S.青空しりとりで句念庵さんが兎波さんに電話して無事を確認されていました。停電で連絡しようがなかったそうで良かった良かった。
きっこさん、ぴのこさん、皆さんおはようございます。新年に相応しくない大地震に続く立て続けの大きな余震。早く平穏な日常が戻ってほしいですね。
きっこさん、猫髭さん、皆さん明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。兎波さん、どうぞお気をつけくださいね。ご無事でありますように。
新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事 大伴家持
正月の地べたを使ふ遊びかな 茨木和生
短歌では大伴家持が、俳句では茨木和生が年賀状に書いたらめでたい候補だと思う。正月の俳句というのは滅多にいい句が詠めないとされている。目出度いので物騒な句は忌まれるのだろう。
人類に空爆のある雑煮かな 関悦史
はわたくしも同じ場に投句していたが、全員が驚いた俳句で、これを越える新年の句は出ないだろうという事件になったが、年賀状には書けない。全員正月忘れて現実に引き戻され、ハレの日にケの句詠むのは無粋だと言われかねない。俳句としては凄い句なんだけどね。
元日の開くと灯る冷蔵庫 池田澄子
も大好きな句なのだが、普通の人には「だから何なの」と言われかねない。お澄みさんらしいいい句なんだけどね。
明け方まで映画を見て昼まで寝正月を決め込み、雑煮を作って、これがまた焼き焦げのある丸餅が澄まし汁に良く合って香ばしく餅七個食ったらお腹がグルジア共和国で動悸まで現れたので、正月に餅を喉に詰まらせて亡くなる老人は毎年の恒例だが餅食い過ぎて亡くなる例は珍しいかもと求心二粒飲んで横になったら四時過ぎに長い地震でうつつにかえった。余震の横揺れから本震の縦揺れになるかと身構えたがそのまま震度1の微弱な揺れが続いたので関東ではなくかなり遠方のそれも震度7クラスの大きい地震ではと感じた。
元旦や動悸か夢かはた地震か、とスマホを引き寄せたら能登で大津波避難警報が出ていて、寝たまま地元の能登湾への津波を観ていたが、東日本大地震のような連鎖型の大型陥没型地震ではなかったようで子どもの頃に見たチリ地震の余波のように小さい津波が連続して来るタイプで、沖へ逃げ出す漁船もほとんどなかったので津波による被害は少ないように思われた。東日本大地震の時は係留する船を津波に向かって乗り出さないと係留中の船は津波に翻弄されて岸壁に打ち付けられ破損して廃船にするしかないので漁師たちは必至で船を出すが、能登港の船は一隻しか沖に避難しなかったので、現地は冷静で、地元女子アナウンサーの必死の呼びかけは過剰過ぎるのではと感じたほどだ。能登は去年も地震に見舞われたが、新年早々また大型地震とは兎波さんも大変だ。無事を祈ります。
夕御飯は、餅はさすがに明日の京風白味噌雑煮に回して、フランスのシブール・ソーセージとパセリとレモンのソーセージにキャベツ、タマネギ、冬瓜とミニトマトのポテ。オリーブオイルと塩胡椒だけの味付けだが、意に優しいスープと柔らかい野菜とソーセージのハーモニーがさわやかでライ麦パンのカンパーニュが合う。冬瓜は秋だが、冬に安く出回り、実は癖がなくスープの味に合わせるので、薄味仕立てのスープに海老と一緒に煮ると、これが実に透明感のある味わいで酒の肴に合うのである。鈴木真砂女の銀座一丁目にあった「卯波」で出されていた料理らしいが、わたくしの会社の近くだったが、俳壇の大御所がカウンターに並ぶ居酒屋など真っ平御免被る。鎌倉にいたときは敬愛する鎌倉文士がぞろぞろいたから、店に入る時に有名人が来ていないか確かめながら入っていた。お偉いさんがいると凡人はおちおち酒も飲めない。
子どもの頃はNHKの「紅白歌合戦」を見て、静かな「ゆく年くる年」の除夜の鐘を聴いてから洋画を見るのが楽しみだったが、除夜の鐘は大晦日の風物詩でどこに居を移しても聴こえていたが(逗子鎌倉に住んでいた時は新年を祝う商船の汽笛が一斉に山の上まで聴こえて来たものだ)、ここのところ聴いていないので不思議に思っていたら、五月蠅いと苦情があって取り止めになったとか、録音の小さな音の鐘の音を鳴らすとか聞いて、せちがらい世の中になったものだと思った。
まあ、三十歳以降は名画のビデオが発売されて、クリスマスと正月に見る映画は決めていたので五月蠅いTV番組よりも名画をもっぱら見るようになった。例えばクリスマスだと『シザー・ハンズ』『ラブ・アクチュアリー』『バベットの晩餐会』を観ていた)AmazonやNetflixで安く世界の映画やドラマが見られるようになると我が家が映画館になったようで酒や煙草をのみながら、トイレに行くときはポーズボタンを押せば用を足し終えるまで待ってくれるし、なによりも前の観客の頭が邪魔にならないから快適に見られる。しかも、いつでも古今東西の名画がいくらでも見られるのがいいし(昔はリバイバルが掛かると上映している映画館まで足を運んだもので、休日には映画館を梯子したものだ)、CMも一切入ってこないので、大きなディスプレイに接続すれば大画面で見られるのが素晴らしい。
あ、だらだら映画見ていたら12時になってしまった。まずはカレンダーを取り替えよう。
皆さまにとって今年は良い年でありますように。明けましておめでとうございます。