きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんこんばんは。
最近は道がどこもかしこも舗装されて水溜りがないので昔のように凍った水たまりを踏み割る楽しみがないし、畑にでも行かないと霜柱も見かけないので、歩くのは便利だが便利さが風物詩を無くしていると感じて、身の回りは不便な方が風情があっていいという昭和偏屈老人の暮らしになる。
なんと言っても独り暮らしの気楽さは気を遣う相手がいないということだ。尾籠な話だが起きてても寝てても自由に屁がこける。パトリス・ルコント監督の映画「タンゴ」(1993年)でフィリップ・ノワレ扮する老判事がひとりぐらしの気楽さを述べながら屁をこくと猫が厭な顔をするが、女房と違って猫は文句を言わないというシーンに笑ったが、西洋では夫婦はダブルベッドで一緒に寝るが日本人で昭和男のわたくしには無理筋で隣に人がいると寝られないしベッドだと落ちるから布団でないと安眠出来ない。海外出張は我慢するが日本では畳に布団がある旅館を選ぶ。ひとえに布団の中で自由に屁をこくため、ではないが寝相の悪い者ならわかるだろう。
それはさておき、能登半島から新潟までの地震と津波と火事と土砂崩れの一般人がスマホで撮影した画像を含めて見られるようになると、改めて被害の甚大さがわかり、元日のアナウンサーの過剰なアナウンスももっともだと思えた。地面が割れるシーンや山津波のシーンは衝撃である。東日本大震災の道路陥没でわたくしの自家用車も夜道でぶつかりシャフトを傷めて修理に40万もかかったから道路が復旧しないと夜が走れないから救援物資の輸送もヘリコプターなど自衛隊の援助をもっと増やさないとライフラインの早期復活は難しいと感じた。もどかしいねえ。
きっこさん、こちらこそ今年もよろしくおねがいします。
昨日の毎日新聞デジタル版に寄ると「石川県内では少なくとも漁船55隻の転覆や漂流などが確認された」とのことで冬の漁は壊滅的な打撃を受けたとあり目を疑った。元日の能登港のライブ映像を見て「能登港の船は一隻しか沖に避難しなかったので、現地は冷静で、地元女子アナウンサーの必死の呼びかけは過剰過ぎるのではと感じたほどだ」と書いたが、漁師は震度5で津波警報が鳴ると一斉に係留中の漁船を海へと漕ぎ出し津波へ向かって波を乗り越える体制を作る。係留したままだと岸壁に津波で叩きつけられるか漂流して転覆するかで甚大な被害を被るからだ。東日本大震災の時にわたくしの知り合いの船長は腰痛の治療で台の上で首と腰を牽引する治療を受けていましたが、医者も看護師も自分を機械に縛り付けたまま患者を置いて全員逃げ出してしまったので自力で革紐を振りほどき必死で那珂湊のドッグの自分の船に飛び乗り、間一髪破損を免れたと話して笑わせてくれましたが、笑うどころではない深刻な事態で、なぜ能登の漁師たちが大津波警報を聴いて船を海へ避難させなかったのか全くわからない。船舶エンジンは高額なので、わたくしも修理を手伝いましたが、漁師をやめるかやめないかの瀬戸際に立たされるのがエンジンの損傷なので、逃げた気仙沼の漁師が大洗の修理工場やうちの工場まで修理にわざわざ来たほどで、船舶エンジン専門の泥棒にわたくしも修理を手伝ったエンジンを四機盗まれました。たった30分、家の風呂が地震で壊れたので大丈夫だった銭湯に行った間にクレーン車でやって来て素人にはわからない修理済みのエンジンだけを選んで持ち去ったという、開いた口が塞がらない高度な知識を持った専門盗賊集団で、見事としか言いようがありませんでした。能登の漁師たちは津波が来ると一刻も早く海へ船を出さないと船が壊されることを知らなかったはずはないのに。ドッグが小さな津波で満杯になると鏡のようになったドッグへ来る小さな津波の速度と力はあなどれない破壊力を持つのです。なんで船がこんなところにあるのと陸に乗り上がった姿は異様でした。怖いのは引き波の力で、我が家も引き波で半壊し、繋がれた船は岸壁に叩きつけられました。一ヶ月後の余震で津波警報が鳴った時にはわたくしは近所の独り暮らしの老人たちを車に乗せて水戸黄門の別荘跡の高台に避難しましたが、丘から見る海へはドッグから漁船が船隊を組んで沖を目指していました。しかし、能登の漁港は堤防に打ち付ける波柱がだんだん高くなっても一艘しか出て行かずのんびりしたものでしたので大事ではないのかと逆に冷静だと勘違いした。まさか、大津波警報で漁師たちは海へ逃げずに陸の避難所へ逃げた?漁師の命は船だということを忘れて?陸に上がった人は「命があるだけ丸儲け」(米男。さんの言葉)だが、海に繋がれた漁師は「船があるだけ丸儲け」なのに。