おはようございます(^^)
撫ちゃん、
きっこ特選句の紹介、どうもありがとう♪
きっこさん、撫子さん、皆さんこんばんは。
撫子さん、成人の日のシローさんの句のご紹介ありがとうございます。きっこさんの選評胸にストンときますね。小生も成人の日の句で忘れられない句があります。
成人の日をくろがねのラッセル車
成田千空
このような句を作りたいと思いますがなかなかです(^^)。
きっこさん、みなさんこんばんは。
ナディちゃん、いつもありがとう。
懐かしくなって、2008年1月の「新年の季語」のお題のファイルを読み返して
いました
明ちゃんはもうじき成人ですね♪
きっこさん、皆さん、こんにちは♪
水面の雪から話が変わってすみません。杜人さんの「外が見えるエレベーター」といえば、こちらのきっこ特選句が思い出されます。きっこさんの選評とともに掲載させて頂きます。
私は選べなかったのですが、最後の一文に、当時、目から鱗やらコンタクトレンズやらがぼたぼた落ちたのを覚えています。なんてシンプルで美しいのだろうと、今では、成人の日に必ず口遊んでいる御句です。
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2008年1月ハイヒール句会より
成人の日やシースルー・エレベーター シロー
外が見えるガラス張りのエレベーターなのですから、近代的な美しいビルで成人の日の集いが行なわれている都市部の景なのでしょう。「透き通る」という物理的な状況が、 あたかも、何色にも染まっていない新成人たちの初々しさを感じさせてくれます。
この句は、「成人の日」という季語と、「や」という切れ字と、「シースルー・エレベ ーター」という単語だけで、あとは何もありません。つまり、2つの単語を並べただけで、作者による説明の言葉はどこにもないのです。それでも、こうして、作者の見た通りの景が読み手にも見えて来るのですから、今さらながらに、俳句の素晴らしさを感じてしまいます。
そして、この句が成功したポイントは、やはり「や」に尽きると思います。ここを「の」 でつないでいたとしたら、せっかくの突き放した描写の中に、一点の主観が混じってしまい、澄みきっていた水は一瞬のうちに濁ってしまっていたでしょう。たった一音の違いで、未来に羽ばたく希望に満ちあふれた新成人たちの姿が、虚ろな目をしたやる気のない若者たちになってしまうところでした。
あたしは、いつも、もっとも悪い俳句として、「何がどうしてどうなった」としつこく説明している句を挙げますが、その悪い例の対極にあるのが、このような句です。このような、ぜい肉をそぎ落とした句に出会うと、あれこれと説明してある句と違って、「文字を読んで意味を理解する」のではなく、一枚の絵を見ているように、直接、心に染みて来るのです。
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一月の初雪は自転車で走っていて砂のようにピシッと顔にあたる程度で終わったので今日もカラ予想かと思ったら昼間から本降りの粉雪になり瞬く間に屋根が雪景色になったので、雪が葉っぱに積もるとそれぞれの木の形になるなあとか、雪が池に降り込んで入る瞬間に消えるのが雨は音と雨飛沫で見聞きできるのに、雪は音も立てずに池に触れた途端波紋も残さず消えるのでその瞬間を見ていて消えるとしか言いようが無くカメラでも捉えられず見ていて飽きないなあとまた雪の水に触れた途端水に帰る魔法のようだとか、その池にふる雪のみづにふれみづに消えみづとなる様を俳句の言葉にするにはどうすればいいのか。
雪と水とのふれあいの句でインスピレーションを醸す表現を「俳句検索システム」で探すと、
水にさへふれて雪ふるふりやまず 佐々木六戈(『百韻反故』「わたくし雨」)
雪しろや水あふむけに流れけり 藤岡紫水 *雪代(雪がとけて、川に流れ込む水。雪代水。)《季 春》
白樺に湖に雪飛ぶ初手水 渡辺水巴
春雪の反乱めける水の上 行方克己(『知音』)
菜を洗ふひとたびは雪散りし水 坂巻純子
じゆぶじゆぶと水に突込む春霰 岸田稚魚 (『雪涅槃』)
枯蘆やうす雪とぢし水の中 富田木歩
春雪の忽ち溶けぬ水菜畑 鈴鹿野風呂
忘却やうす雪しづむ水の中 豊長みのる
水に浮く柄杓の上の春の雪 高浜虚子
ふる雪の水の明るさ山葵沢 細見綾子
春雪の水藝となるあはれかな 安東次男(『 昨』)
灯は水にまたたきはじめ牡丹雪 桂信子 (『初夏』)
舞ひ翳り水に着くまで牡丹雪 小檜山繁子
しののめや水に雪ふる網代守 士川 (『五車反古』)
はつ雪や降おそろしう水の上 千代尼
といったところがわたくしの印象に残った。降る雪が池の水面にあとからあとからくりかえしくりかえし音も無くミルククラウンのような形も無くすっすっと水の中に消え入る光景を俳句でどう詠むか。
きっこさん、ハジメ2018さん、皆さんこんばんは。外が見えるエレベーターが多くなったように思います。空や街の様子を眺めながら昇降するのは楽しいですね。