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レンジ台の油剥ぐ朝敬老日

皆さん、おはようございます。

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箸置きは亀のかたちや敬老日

おはようございます(^^)

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ときめきか動悸か老人の日来る

国分寺の恋ヶ窪の畑を臨んだ一軒家に暮らして国立の一橋大学の生協の書店とレコード店をアルバイトなのに本もレコードも恐ろしく詳しいというのでどちらも任されていた頃、カメラに凝って暗室を作って現像して遊んでいたら、カメラを教えてあげた友人がヌード撮影会に行かないかと誘うので、二人とも独りでそんな場所に出かける勇気もなかったから連れ立って行ったが、裸のモデルを遠巻きにして「こっちに目線下さい」とか声がかかってぱちぱち撮りまくる異様な雰囲気に気圧されて何を撮ったかろくに覚えていなくて現像しても、ピーマン撮ってた方が色気があるよなあと思えたほどだから、ヌード会には二度と行かなかった。まだ上野の西洋美術館のマイヨールの「地中海」というトルソのケツに触っていたほうがマシだった。温かそうなのに冷たい。あたりめえだろ、ブロンズなんだから。今はときめきか動悸か判然としない。来月は老人の日か。いやおうなく来るなあ。

やっと「きっこ俳話集」正編全45話アップ終了。ちかれたびー。次は裏編にチャレンジ。また水曜に。

>「自分に対する不安」

「不安とは死に至る病である」とキルケゴールは言ったが、昔から悩みがないのが悩みかなあと「若きウェルテルの悩み」とか若者は悩めるのが当たり前のように言われるが、ねえよ、んなもん。多分わたくしが特異な生い立ちをしているせいか二十代という青春時代がわたくしにはない。家業が倒産寸前で大學をやめて十年近く板金工として正月も休みなくタツキを立てるのに精一杯でしたから軌道に乗った時にはもう三十だった。若いときに好きなことが出来なかったということは何をやっても若さが食い散らかすように熱狂しては冷めるという無謀が終わっているから、仕事のように倦むことなく最後までやり遂げるという習性が身について、海に石を投げるようなもので石は沈むばかりだが沈まなければ海の深さがわからないように、若いときに出来なかったことが倦むことなく深く広く蓄積されて絡まるので、ひとつの知識がずるずる関係することにつながり、猫髭が出来上がったらしい。きっこさんに「あなたはひとから教わるタイプじゃなくて自分でやって体で覚えるタイプですね」と放し飼いにされましたが(笑)、わたくしは「総てを自分自身から学ぶ」ので人からどう見られるかなど最初からないよ。自分のこともよくわからんのにひとのことなんかわかるわけねえじゃねえかと斟酌など放棄してるから、ソーシャル・ディスタンスは子どものころからがらがら空きよ(笑)。というわけで自分に誠実であるにはどうしたらいいかと「現在」と言うより「今」という言葉の方が身の丈にあっていると言葉のひとつひとつまで吟味して五十年以上経つから強烈な個性の塊と言われるが、それを自信過剰と見られるのは心外で、自分に誠実であろうとしているだけなので、あるがままに生きているだけなんです。「生命体には人間と動物と猫髭が居る」と言われますが、御覧の通りなんだからしょうがないと皆さんもハイヒールの軒先で放し飼いにしてね。(*^▽^*)ゞ。

あ、きっこさんが書き込みに!マークを使うときはお酒呑んでます。!!マークふたつ以上あるときは完全に酔っ払ってハイになってます。(*^▽^*)ゞ。

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月31日 02:54)

 ときめきの少なくなりぬ秋の蝶               

きっこさん、みなさんこんばんは。

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秋蝶のきて新橋の闇に染む

きっこさん、みなさんこんにちは。

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新涼の風に夕日の染まりけり

みなさん、こんにちは(^^)

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月30日 14:54)

秋蝶が風を剥がしてゆきにけり

おはようございます(^^)

きっこさん、
句作の指針となるお話、
ありがとうございます!

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秋蝶や暴力奮ふ自己主張

皆さん、おはようございます。

きっこさん、いつも納得の俳話ありがとうございます。😳

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月30日 06:09)

乱暴に種を吐きだし秋遍路                  

 きっこさん、みなさんこんばんは。
きっこさん、今夜も俳話をありがとうございます。
そうだよなあ。といつも何かに気づかされます。

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ランボーが詩てふ血を吐き秋の蝶

皆さん、こんばんは。

あたしを含めて、人には皆、多かれ少なかれ「自己顕示欲」があります。
他人に認めてもらいたい、他人に褒めてもらいたいという心理です。
そして、その多くは「自分に対する不安」から発生しているのです。

心理学によると、自分に自信のない人に限って、この「自己顕示欲」が強い傾向があるそうです。
自分に自信がないから、誰かに認めてもらうことで、その不安を解消したい、その穴埋めをしたいのです。
これを「自己承認欲求」と言い、最近ではSNSで他人からの「いいね」を貰うために、バカバカしい画像や動画を投稿し続けている人たちが顕著です。

このタイプの人が俳句を始めると、俗に言う「点取り俳句」へ向かってしまいます。
句会で高得点を取ること、師から褒められること、自分の在籍する俳句結社で同期入会した仲間より先に頭角を現わすこと。
こんなくだらないことが俳句の目的になってしまえば、その人の俳句は、当然、技巧ばかりに走ってしまいます。

でも、俳句って、そんなくだらない文芸ではありません。

他人から認められるため、他人から褒められるために俳句を詠んでいるなんて、これほど悲しく残念なことはありません。
「自己認識欲求」を満たしたいだけの人は、俳句以外の手段でやってほしいです。
あたしの愛する俳句の世界に、俳句とは正反対に位置する「俺が俺が」の自己顕示欲など、そんな薄汚いものは持ち込まないでほしいのです。

俳句って、もっと純粋でキラキラした世界なのです。
あたしは今年で五十歳になりますが、六十歳になっても、七十歳になっても、八十歳になっても、子どもの頃の純粋な気持ちを持ち続けるためのアイテム、一生をキラキラしながら、楽しみながら生きて行くための大切なアイテムなのです。

子どもの頃、道端の草花にしゃがみ込んでは飽きるまで観察し、天道虫を見つけては人差指を上らせて大空へと飛ばした日々。
こうした日々は、多くの人たちが経験しているはずなのに、この「小さな日常の発見」に目をキラキラとさせていた純粋な感性は、多くの場合、大人になるまでに枯れて行きます。
そして、草花や虫などを平気で踏み潰して行く「悲しい大人」になってしまうのです。

でも、本物の俳句を身に付けている人たちは、何歳になろうとも、決して自分が少年少女だった時の感性を忘れてはいません。
名も知れぬ路傍の草花にも、害虫と呼ばれて毛嫌いされている小さな虫たちにも、そこに「命のきらめき」と「季節の移ろい」を感じ取り、十七音の「小さな挨拶」を送っているのです。

これが「俳句を詠む」ということであり、俳句が「季節への挨拶」と言われる所以です。

この「しりとり俳句」という掲示板は、事実だけでなく想像やギャグなど「何でもあり」の「座」です。
しかし、それは、皆さん一人一人の俳句力をアップさせるための「寺子屋」のような位置づけなのです。

この「座」に参加し続けることで、皆さんの発想力や構成力など、つまりは俳句の地力が自然と磨かれて行き、最終的に、ご自分の作句の大きな「糧」となるのです。

長々と講釈を垂れてしまいましたが、せっかく同じ「座」に集ったのですから、皆さん、単に「前の人の句の中の言葉をつなぐ」というだけでなく、もっともっと冒険してみてほしいと思います。
あたしは「!」や「?」を使ってみたり、季語を根底からひっくり返してみたり、けっこう冒険してますよ♪

引用して返信編集・削除(編集済: 2022年08月29日 22:35)
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