タイトルどおりでございます。
ことしも、アタオカで一年過ごしそうでございます。
この頃、またテレビが辛くなってきた。
何も考えずにテレビをつけっぱなしにしている妻に
この辛さをいくら訴えても伝わらない。
他人の痛みは確かにいくらでも我慢できる。
今年は、なんとか新宿の街を歩くことができました。
参加者は、ごく少数でしたが、来年につながるものを得ることができました。
先月、肺炎になり10日間入院しました。
先月初め38℃以上の高熱が1週間位続いたので、かかりつけ医に診てもらいました。
コロナ検査、レントゲン、血液検査をした結果、肺が白く写っており肺炎と判明しました。
すぐに紹介状を出して貰い別の病院に入院しました。
抗生剤を点滴され、熱は下がりました。
10日も入院すると体重減少や筋力低下など、体力の衰えを実感しますね。
現在は平常通りの生活を送っております。
皆様も健康にご留意くださいね。
組織との付き合いかたは難しい。
自立している人たちが対等の立場で集まってできている組織などは、どうしようもなく難しい。
多くの場合、話などまとまるわけもなく、何をするにしても主体となって引っ張ったり押し上げたりする存在そのものが存在しにくいことになる。
立場や利益関係がはっきりしていれば、その範囲で責任や倫理に基づいて動けば良い。責任もそれぞれの立場である程度決まってくる。指揮系統が決まるので、誰が何を判断して、それに基づいて動いたことによる責任は誰が取れば良いか、契約や役割分担である程度は決まってくる。
対等の立場だけの集団。そういうものがあるとすると、命令系統はもちろん、集団の理念や方針、それら自体もかなりあやふやなものとなる。組織は組織自体の目的があり、それを実現するためのヒエラルキーがそれなりにあって、組織として動くように通常はできている。
組織内の構成員が平等・対等であることを前提とする組織は多いが、多くは目的や方法論がはっきりしているので、ピラミッド型の指示系統がはっきりしたものになる。
そうでないとただただ組織を続けるためだけの組織になる。人畜無害のようにも思えるが、案外、危険な部分の潜んだ組織となりやすそうでもあり、安全なものにしようとすると組織のための組織になりそうでもある。
裸の王様の集団のような組織も存在するだろうと思う。
もしも、どうしてもそういった組織に属している必要があるのなら、
これはつかず離れず、必要でそれなりに効果があるが自分からは積極的にコミットしていかない処世術が必要になる。
真剣に強くとりくむとしても、賢い方法を見つけるのは、かなり難くほぼ不可能なもののように今の私には思える。
諸兄はいかにして、乗り越えてこられたのだろうか。体力の衰えに合わせて、遠のいて行かれたのかもしれない。
世の中においしい話はそうそうはない。そういうことだろうと思います。
障害者であれ健常者であれ能力のある人はいる。能力はあるが障害もある。
障害とは、社会の障害である。
障害のない人間はいない。
アルコール健康障害。
多くの合併症があり、重複障害を併発しやすいだろう病気だろうと、私はアルコール依存症をそう認識しています。
能力があるが障害もある、そういう障害者を使えば商売にもなるし、社会貢献にもなる、そんなふうに社会福祉を考えている人をよく見かけます。
なかにはそんな考えのまま社会福祉事業を始める人もいます。
就労継続事業に対して、関係してくる一般企業にも、その賃金(工賃)の安さだけを考えてコミットしてくるところも多々あります。
ほとんどの仕事のオファーがそういった色彩を帯びているように思えることもあります。
常識を疑うことが多々あります。
就労支援B型の作業所にこんな仕事がありますよとお誘いがあり、誠実そうな受け答えに話が進み、さて報酬の段になってみると、
まったくお金のことを考えておられなかったりします。
同一労働同一賃金。
同じ製品が作られたのであれば、同じ賃金が発生します。
障害者が作ろうが健常者が作ろうが同じ賃金が発生します。
同一労働、同一賃金。
能力があれば障害者でも、その能力によって報酬を受け取るべきでしょう。
ここまでは正論だろうと思います。
能力があり制御しやすい障害者を選んで、高い賃金(工賃)を得よう。
そう考えるB型事業所があっても、今の社会では不思議ではありません。
個人的には、そういうことはブラックな一般企業としてやってほしいなと思います。
多くの一般企業が効率第一主義のブラックな経営で多くの障害者を生み出しているのだろうと思います。
それと同じものだろうと思うのです。
けれど、それはそれでよっぽどのことがなければ、それはそのまま社会的に糾弾されることもなく継続され、
場合によってはマスコミに持ち上げられたりすることもあるだろうと思います。
自分の社会的な常識の範囲でおかしげなものには近づかない方が良いのだろうと思います。
「カナウラボ」通所に当たって嫌な思いをしない為予め
「誤った診断を受けそれに伴い「間違った治療」を受けた為これだけのブランクになってしまったという趣旨の手紙二通と
それを裏付ける「主治医の意見書」を送付しました。
てっきり「大変な思いをしたね」というニュアンスの対応をされるかと思ったら。
「暴力を振るった事があるか」「就労移行支援事業所で揉め事はあったか」(仮に揉め事があったら
自分の側に一方的に問題があって発生した事なんだろう、と決めつける口調で)
このように自分に対して「何かしでかす分からない加害者」というスタンスの物言いでした。
「間違った診断を受けてきた」(「診断に伴い」投薬をするのだから誤診を受け続けたという事は
「誤った投薬を受け悪化し、その為これだけのブランクになってしまった」という事)
「どれだけ辛い思いをしてきたか」口にしたら「良かったね」ですって。
恐らく「我々善良なまともな人たちの安全の為てめーみたいな本物のキチガイが「間違った対応で人生の大半を不適切な対応で潰された」としても
知った事か「このキチガイが」とこう仰りたいようです。
就労の為スキルアップ?笑わせるなよ。
「暴力を受けたか聞かれる」という事は「暴力を振るうような人間が行くところ」という事。
自分は「スキルアップして就職したかった」だけ。
「暴力を振るうような人間」が行くところには行きません、おっかないですからね。
皆さん「カナウラボ」は「暴力を振るうような人間」が行くところみたいですよ。
鬱病や適応障害の人が足を踏み入れたら「心をズタズタ」にされます。
「ここに足を踏み入れるという事は、暴力行為の加害者」という発想のようですから。
予め送った手紙は読んで下さらなかった、と思います。
「読んでいて」せめて日本語を読む能力が正常にあれば「決して口にしない言葉の数々」でした。(通所初日のやり取り)
主治医が作成して下さった「意見書」に「性格は温厚で」云々という記述があった筈ですが「医師の見解を軽んじ」てらっしゃるようです。
「軽度だという意見書を作成する医師は藪医者」という認識のようです。
現在もひきこもり生活を余儀なくされている、許しがたい対応でした。
今の気温は21℃です。
今晩は久しぶりにエアコンを止めてます。
気が早いですが米騒動もあったのでスタッドレスタイヤを買いました。
これからの時代何が起こるかわからない世の中になってきました。
備えあれば憂なしですね。
通りすがりさん、写真お褒めいただきありがとうございます。
花ではありませんが、2、3日前自宅前で撮った富士山から流れて来た吊るし雲です。
それらのことについては、理解可能な人としか話さなくなって、何年か過ぎている。
世界の中で生きている私たちだが、自分の世界を人はそれぞれ持っている。自分が持っている世界は、私たちが生きている世界の中にある。多分、その逆ではない。
世界内存在でありながら、世界をもつことによって、越えられる部分もあり、越えられない部分もある。
少年から大人になるのは、その越えられない壁の高さ、壁の存在のあり方について、存在そのものに由来することを実感できるようになった時だろう。
我々は有限の存在であり、我々の内的世界を包む形で世界は存在する。我々は世界内存在であり、今を生きている存在であり過去も未来も現在の中にしかない。
他者の内的世界の住人ではない我々は、また、他者の存在は我々の内的世界の存在の上にはなりたっていないことを物語っている。
多くの物語をわれわれはあ