この掲示板も早いもので、もう1年経つのですね。
Living sober
断酒しないと後がないことをそこ付きというなら、底つきはどこにでもあると思います。
ところが足が地についていると思っているとまだまだ飲めそうな気がしてしまいます。
私は生きていれば、断酒はそのうち訪れると思っていました。人間も動物なので、危険を避ける本能はあるだろうと。
酒をやめ始めると、同じように酒をやめ始めた人達とネットや自助グループで知り合うことになりました。
かなりの数の人が亡くなっていきました。
断酒していても、生きていれば身体や精神の病気はやってきます。
内臓のがん、合併症で多いようです。
さっさと断酒してがん検診した方が良いでしょう。
ちびちび飲んでいれば、効果はないと思います。
断酒していてもがんにはなりますが、その後の対応は断酒しているとかなり違うように思います。
なんだよ引用かと思われるでしょうが、返信でそこら辺を書きます。
※以下引用
われわれは孤独になることを望んでいなかったが、酒にすべてを支配される生活を続ける中で周囲の人たちの信頼を失い、孤独はどんどん深まっていった。ついには、その孤独の怖ろしさに震え、自らを責めさいなんだ。
酒害者の哀しさは、酒を飲むためにはどんな嘘でもつかねばならないことにある。そしてその嘘が、孤独の最大の原因になる。勿論、嘘をつくことには後ろめたさもあり、それなりの反省もするのだが、だからといって嘘をやめるわけにはいかなかった。命よりも大切な酒を飲めなくなるからである。
嘘のくり返しが延々と続く中で、酒害者にとっての嘘は、生きていくための必要悪となる。われわれは酒以外の問題で嘘をつくことはなかったのだが、生活のほとんどすべてが酒に関わってくるとなると、他者から見て、どうしても嘘で固めた人間になる。
その嘘が原因で、われわれは誰にも相手にされなくなった。ひとりぽっちの孤立した暮らしの中でますますひどい酒を飲むようになり、心身ともにぼろぼろになった。アルコール依存症は酒をコントロールできない病気である とともに、孤独が際限なく深まる病気だともいえるのである。だから、この病気から回復するためにもっとも必要なことは、孤独から抜け出すことである。言い換えれば、信頼できる仲間をつくることである。
ひとりでは酒をやめられないから、必然的に断酒会ができたと考えることができる。酒害者は酒の歴史とともに生まれていたと思われるので、ずっと以前から酒に悩む人たちの中には、酒を断つしかないと考えた人もいただろうし、ひとりでそれなりの努力をした人もいたと考えられる。だが、そうした人たちの努力がことごとく被れたため、アルコール依存症は不治である、という偏見が生まれたのではないだろうか。
われわれ自身を振り返って考えるとよくわかることだが、何度かひとりで 酒を断(た)つ努力をした結果は無残なもので、断酒会に入会することでやっと断酒できたのである。断酒会をはずしてわれわれの断酒はあり得ない。
2003年、夏。
どこかに自分と同じように一人で酒をやめ続けている奴がいるはずだ。
熱いアスファルトジャングルを彷徨いながら、私は思っていた。
そんな奴はどこにもいない。
いないとは言えないかも知れないが、
人は群がって生きる動物で、
一人では基本的に生きていけない。
なんらかのカミングアウトなしに酒をやめ続けるのは難しい。
そういう状況に私はいた。
孤独だった。
見つけにくい人たちを探して、2003年の夏、私は彷徨っていた。
一人では生きていけないのが人の社会である。
生まれたときから、人は「一人ではない」。すくなくとも社会の中に生まれてくる。
望まれてか、望まれずにか、それは知らない。
群がってでもいれば、また社会的に有名で公言していて、そのことが有名でもなければわかるかもしれない。
酒をやめ続けていることを公言しても、なぜかあまり大きなニュースにはならない。
他人の飲酒に関して、自分に関係なければそんなことを気にする人はまずいない。
私は、いない人を探していたようなものだと思う。
断酒をしてから、 古株の歌舞伎役者のかたがずっと断酒を続けていると話されていた記事をみたことがある。
それは、祝い事の記事の中の一行にもみたないものだった。
いまは、断酒しているだろう有名人の武勇談というか、スキャンダルは見たことがある。
アルコールのクリニックに来ていたとか、自助グループに来たとか、そんな風の噂も聞いたことがある。
その後の話は、まず、出てこない。
それらは、忌事のようなものなのだろう。
私自身は元々軽薄短小な人間なのですが、最近、何事も軽薄短小やダウンサイジング指向の生活になって来ました。
スマホも格安キャリアへ乗り換え、ギガも1→0.5Gb/月に変更しました。
その結果、料金が月1300円から月500円になりました。(OCNモバイルONEに)
WEBでの申し込みや、SIM交換と設定に少々手こずりましたが…
現在私はお酒をまったく飲まなくなっているので、これを継続します。
最近は健常者にとっても、お酒は百薬の長と言うのは間違いのようですね。お酒には発がん性があるようです。
節酒でも別の病気になるリスクがありますね。断酒一択!
今年のバラは綺麗に咲きました。
てつさんこんにちは!
てつさんがお庭とかお花の写真をアップしてくだるとほっとします。
私の家のベランダでは、昨年亡くなった父親の遺品の皐月が咲きました。
太い幹の上部は枯れてしまって、細い枝しかなくなってしまいまいたが、父親が大切に育てていた皐月なので長生きさせてあげたいです。
えのさん、ご無沙汰してます。
お父様が大切にされていた皐月が元気になると良いですね。
でも万が一に備えて、今のうちに挿し木をしておくと良いかもしれませんね。
てつさん
お返事ありがとうございます!
挿し木。
懐かしい思い出です。
父親が鹿沼土を買ってきては、ふるいにかけて粒のおおきさをそろえて、でかいポリバケツに保存していました。
で、一番細かい粒子のものを挿し木用に使用していました。
温室にかなりの本数挿し木をしていたのですが、いったいいつの間に無くなったんだろう?
謎。
今ではこの皐月の品種すら分かりません。
枯れちゃったら終わりかな?
どこかの公園に違法でこっそり植えちゃうか?(笑)
薔薇から紫陽花へ選手交代。
まもなく梅雨入りですね。
梅と言えば、妻から梅酒を造ってと言われました。
よもや私がアル中であることを忘れたのではないとは思いますが…
禁煙しだしたのは、47歳だったと思うが、たばこを吸い始めたのはいつ頃だろう。
中学生の頃、たばこをすっていなかったようにも思うが、記憶の断片をたどると既に喫煙していたようにも思う。
半世紀ほど前のことなので、あやふやなところはあるが、中学生の頃にすでにたばこを吸い始めていたようだ。
煙草を吸うなどばかげた行為だと今なら思うが、あの頃は精一杯背伸びして、大人の世界をのぞいていたように思う。
ショートピースを橋の上で吸いながら、詰問されれば、年齢などをどうごまかそうかなどと考えていたことを思い出す。
喫煙する中学生に詰問するような人も現れず、妄想は妄想で終わってしまった。
慌てずとも、堂々と煙草を吸える年齢にすぐになるのだから、あの頃の私は、何をそんなに急いでいたのだろう。
自分自身で、二十歳まで生きていられないように勝手に思い込んでいたところがある。
そんな妄想を抱いた原因はそれなりに思い浮かぶが、思春期の誰にでもある揺れる心模様だと言えばそれまでである。
存在が「ある」のは「いま」においてだけであるそうだが、まさしく、そうなのだろう。
中学生の私は、高齢者の「いま」の私のなかにしか存在しない。
断酒も19年を越えて、やっと見えてきたものがある。
ものごとの輪郭がはっきりとしてきたように感じる。
それは、10代後半の自分の存在の不確かさへの戸惑から抜け出して働き出した頃の感覚に似ている。
自分の視座が動いて、それはそんなにおおきな移動でも変更でもないのだが展望が変わりって行く感覚である。
新たに見えた世界は必ずしも美しくはないし、そうそう希望にも満ちていない。
そうではあるが、見えなかったことによる不安が和らぐものであるのは確かなようだ。
花が散り葉桜の季節。
チューリップの花もそろそろ終わり。
早咲きの薔薇の蕾が膨らんできました。
今年は季節の進み具合が早いような気がします。
あと6年で80歳。
どうするてつ!
自分を取り巻く事柄が自分の思い通りに変わる、あるいは変わらない。
そのことに喜怒哀楽を感じる自分がいますが、最近は無反応なことが多くなってきたように思います。
歳のせいかな。
新緑の候、皆さまには、ご健勝のこととお慶び申し上げます。
女神toka
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