おはようございます(^^)
猫髭さん、どうもありがとうございます!
「賞に応募するだけ自信があるというのはたいしたもんだと
尊敬の目でラスカルを見たのはほんとの話」という一文が、
とても素敵なプレゼントです♪
ハイヒール句会の復元、お疲れさまです。
かげおさんの「寒紅」の句、猫髭さんだけでなく、僕も◎で頂いていますね!
『天井桟敷の人々』は第一幕『犯罪大通り』と第二幕『白い男』の二部構成で二時間半ありますから途中トイレタイムが必要なので、パソコンだとポーズで止められますが、TVだと録画しないと見続けるのは難しいから何回もやるのかねえ。うなこたあねえか。
でも、わたくしの子ども時代はTVがなくて娯楽は映画だけでしたから、那珂湊にも大洗にも映画館は二軒づつあって、それこそ「愛染桂」や「君の名は」が上映されるとお風呂やさんは空になったというのは本当で、従姉はお母さんに背負われて見た記憶があるとかで、わたくしも夕食後親に連れられて桟敷席で家族で座って映画を見るのが楽しみでした。ですから今のように自宅で映画が見られ携帯でも電車の中で映画が見られるという時代が来るなど夢にも思わず、ビートルズのリンゴ・スターは自宅の庭に映画館を作って見ているなど大金持ちにしか出来ないと感心していたので、ヴィデオデッキ付きのSONYのTVが出た時はヴィデオデッキ単体より安いのですぐ買って初給料で一万円以上した黒澤明の『用心棒』を買って毎晩見ていましたね。TVはアンテナが無いので見られないのでヴィデオ専門画面用でした。だから猫さん、ロッキード事件を知らない。ピーナッツの密輸事件ぐらいにしか思っていなかった。TVも新聞も見ないで四十年以上生きているし、毎日今でも映画は8時間くらい見ているので(パソコンでTverというTVの無料再放送ドラマは見ています。『トラベル・ナース』面白い)完全に映画オタクで、うちのカミサンも帰るといつも小津安二郎の『麦秋』を見ていたから良い映画は毎日見ても飽きないのはわたくしだけではないので、映画だけでなく何でも気に入ると何回も見ています。良い作品は見るたびに新しい発見があるから飽きない。最近の映画は面白く時間を経たせればいいという感じで特にミステリーは犯人がわかるとまた見る気にはなりませんが、良く出来たミステリーは繰り返しに足りるので、特にイギリスのBBC放送のミステリードラマはほとんど何回も見てますね。これはイギリスの田園風景や建築の見事さもあるのですが、人間像の掘り下げがきちんとされているので犯人も探偵も警察も実に個性的でじっくり描かれているので、ただ筋の面白さだけではない人生の真実というものに触れることが出来るところが大きいと思います。韓国映画とドラマが今はダントツで面白いので時間を楽しく経たせるという意味では韓流は世界最高です。まあ、韓国の女優は韓国の女性が皆自己主張の強いヒステリーばかりとは思えないのですが、どんなに美しくてもその口答えの鬱陶しさは世界最低で、それに比べて男優の寡黙で美しいこと美しいこと、韓流は男の美しさを見る映画で、今は兵役でいないのですがチャン・ギヨンにわたくしメロメロで競演女優は皆クソですね。おいおい。わたくしの従妹の再婚相手のパクさんも韓国ドラマは娘たちには見せないと言っていましたね、あんな口汚く罵声を発するヒステリックな女性になってほしくないと言っていたのであながちわたくしが韓国女優をクソ扱いするのは間違っていないかも(間違ってるよ、脚本通りに演じてるだけなんだから)。
まあ、そういうわけで『天井桟敷の人々』はわたくしはジャン・ルイ・バロウの美しさしか目に入らない。女優、んなもんクソ喰らえ。あのパントマイムのジャン・ルイ・バロウの美しさは毎日見ても飽きません←変態。あと、詩人のジャック・プレヴェールのセリフがお洒落でいいですねえ。冒頭の「あ、笑ったね、噓とは言わせないよ」から「愛し合うぼくらにはパリは狭すぎる」とか殺し文句がぞろぞろ。まあ、為永春水の黄表紙『春色梅暦』なんぞは「おめえのことなんか思い出したことはねえ。忘れたことがないから」なんぞと「忘れねばこそ思ひ出ださず候」という世界一短い究極の恋文でおぼこから年増までイチコロですから、映画や小説を繰り返し見ることは口説き上手になる近道ですぞ。中島みゆきの歌聴くと「別れ上手」になれるようなものか。
閑話休題(話は音を立ててがらがらと変わりますが)、言い忘れましたが、「ハイヒール図書館」の「ハイヒール句会」の2003年、☆ 第2回 月例句会☆をアップしました。→https://bbs1.rocketbbs.com/Kikkonokukai
ハイヒール句会の常連だった馬場龍吉さん、ラスカルさん、遊起さん、薫子さん、ぴーこさん、双葉さん、和子さん、ぴのこさん、わたくし猫髭などが参加していたかげおさんの「影庵」例句会からピックアップしてかげおさん(岡田一夫)の遺句集を編んでいるとお知らせしましたが、実はかげおさんも「ハイヒール句会」の常連の参加者でしたので、「ハイヒール句会」の復元がかげおさんの遺句集の実現のためにも重要とわかり、「影庵」例句会の再現は終わったので引き続き、きっこさんの選句眼に叶ったかげお句を遺句集に編むのは意義のあることなので、同時進行で進めていました。ということで第二回句会披講もお楽しみください。
なお、かずおさんの句がどういった句だったのかについて2014年の「影庵」の正月例句会の一句を紹介しておきます。
兼題【寒紅】035 寒紅を引く息の根に触れながら かげお/◎ラスカル◎猫髭◎和音○紫苑○和子
「猫髭感賞」 特選035 寒紅を引く息の根に触れながら
普通「息の根」は命のことだから息の根を止める=殺すというような物騒な遣われ方をするので負の言葉と思われるが、これは見事に言葉は遣い方次第で負にも正にもなるということを実証している、まさしく燃えるような息詰まる恋の思いを籠めて紅を引く艶なる秀句であり、歳時記の「寒紅」の巻頭に置かれる名句の風格を持つ。猫髭絶賛!!!これぞ俳句としても詩としても第一級の作品である。こういう作品が誕生する句座に立ち会えたのは僥倖としか言えない。この句を越える寒紅の句が出ることは百年はあるまい。作者にとっても奇跡の様な一句ではないだろうか。
こんにちは。
余計な話ですが…
12/1にBSで映画「天井桟敷の人々」の放映があります。私の知った範囲でここ最近3回目です。(^_^)
見落とした人の為でしょうが、もうちょい違うのを放映して欲しいな〜。
HDの録画を名前順にソートすると同じものが三つになった事があります。(泣)
自分の誕生日すら忘れているのでましてや他人の誕生日など覚えられないが(調べれば済むことは誰も覚えない)唯一知っているのが家族の誕生日である。なぜなら自分を守ってくれる、自分が守らなければならない、心と体が繋がっている人間だからで誕生日というものはそういうものだから家族だけのもので、心も体もつながっていない他人には関係が無いので、他人の誕生日を祝うというのはどうしても社交辞令になるが、世の中社交辞令で揉め事を回避するように出来ているので、社交辞令でも言われれば悪い気がしないように淋しい人間は出来ているからお世辞の一つも言って敵ではないことを示す。見ず知らずの挨拶とは敵ではないという意思表示なのである。初めて海外(米国LA)へ行った時にモーテルなどで見知らぬ他人から「ハーイ」と言われてとまどって、何で見ず知らずの他人なのにハーイと言うのかと駐在員に聞くと、アメリカは人種の坩堝で銃社会だから敵では無いと言う意思表示なのだと聞いて驚いたが日本では顔見知りにしか挨拶しない。尾瀬だったかに行ったとき山歩きで擦れ違うときに挨拶し合うのが礼儀だと見知らぬ相手に怒鳴られて、人間関係が厭だから人間の少ない山に来たのに都会の人間関係の薄さの方がマシだなと一遍で山が嫌いになり山男は人間の屑がなるものだとずっと思い込んでいたが、そうか、あれも「誰何」というわけかと、袖擦り合うたびに「Excuse Me」となぜ謝るのかわからず、そのくせ事故を起こすと絶対に謝らない(謝ると責任を認めたことになり過失でも刑が百年延びる)「訴訟社会」のアメリカの文化の違いにとまどったことを思い出した。
などとぐだぐだ書いたのは、「いい肉1129」と折角飲み屋で教わったのにいつも忘れるラスカルへの言い訳だが、というわけで遅ればせながら誕生日おめでとう、って全然嬉しくないじゃん(^^)。
そういえば、39歳の頃だったか49歳の頃だったか忘れたが、どっかの新人賞にラスカルが応募していて、いい年して新人賞はないだろうと言ったら、俳壇は40代までは新人賞に応募できるのだと言っていて、芥川賞など19歳の女の子が採る時代に何というゲートボール文藝であることかと呆れたことがあったねえ。でも、賞に応募するだけ自信があるというのはたいしたもんだと尊敬の目でラスカルを見たのはほんとの話。わたくしにはそういう自信はないから。
写真は広尾でクリスマスかあと思ったので撮ったが、スーパーではもう正月の注連飾りを売っていた。俳人か!
チチチチという声なので雀だと思うが、杉並の妙正寺川の側に住んでいるし車椅子介助は善福寺川だから通し鴨の軽鴨は年中見られるが季節の渡り鳥も水鳥を中心に飛来するから雀が珍しいほどバードウィッチングには向いているので珍しい鳥も来るのでカメラマンの姿も絶えないから、地味な雀は黙殺されるので、雀の好きなわたくしは寂しかったが、そうか朝の挨拶は雀か、そう言えば妙正寺に移って来てからは多いと気づいた。前住んでいた善福寺川は氾濫警報が台風の度に夜中でも鳴るので津波で逃げて来たのに出水ではかなわんと妙正寺の高台に引っ越したが椋鳥と鵯がキュルキュルヒーヒーとけたたましく、逗子鎌倉の時は鶯の声のでかさに辟易していたから、雀の声は落ち着く。泉鏡花の『鏡花短篇集』 (岩波文庫)に入っている「二、三羽―十二、三羽」など絶品であるが、代表作のひとつ『春昼・春昼後刻 』は鏡花が住んでいた岩殿寺を舞台にしており、ここは家から近くよく長女を抱っこして散歩しており、彼が寄進した池は雌の翡翠が棲んでいて、どういうわけかわたくしが顔を出すと必ず出て来てくれたので、今思えばすごい環境に暮らしていたということになるが、住めば都で妙正寺もまた自然の移ろいを楽しませてくれる。
昨日は原石鼎を顕彰する俳人(俳誌代表)に請われて原石鼎の旧居をともに探訪したが、麻布本村町から大磯に引っ越すまでの本村町116番地が戦争を挟んでいるので特定不明で広尾の有栖川公園にある日本最大の都立図書館で再度古地図を調べた。この時期都立図書館はどこも館内工事の時期なので自分で直接調べることが出来ず館員を通して戦前と戦後の古地図を持って来てもらい探しまくるという気の遠くなるような作業で、代表はもう十年近く調査していたが不明だということで諦めかけていたのを、そこは名探偵きっコナンの弟子のしつこさでは鬼も逃げ出すという迷探偵猫髭なので、代表が諦めかけても諦めない。
代表の情報では、神田に文具店「オカモトヤ」という有名な店があり、この創立者が鈴木芳如(すずき・ほうじょ)という俳号を持つ女性で、原石鼎や松本たけしにも師事して神奈川県大磯町にある鴫立庵の18世庵主になって句誌も主宰し、かの中村汀女も参加しており、毎年三月に行われる大磯町の「西行忌」も芳如の発案と云われるから明治の女性って凄いヴァイタリティがあると驚くほどの人物だが、彼女の自伝『あの頃』に彼女が原石鼎が大磯に移る前、石鼎夫妻の住まいを芳如が買い取ったことが記されており、鈴木芳如の住まいがわかれば石鼎の旧居もわかるという代表の読みが藁にもすがる一縷の望みだった。鈴木という名前は沢山あってどれが本命かわからないが、三時間ほどかけて本村小学校の横に鈴木名義でほにゃらら編集部とあるのが目に止まった。わたくしは目が悪いので代表に、
これ編集部と書いてあるみたいだけどその前のこおろぎってなあに?
芳如の主宰する俳誌の名前で「こよろぎ」よ。住所も116とあるから間違いない!
もう代表と図書館の係員と一緒に手をとって喜び合いました。「じゃあ行ってみましょう」と暮れなずむ麻布の丘で、ここに石鼎が居たのねと代表はしみじみと喜び、わたくしは敬愛する須賀敦子の『遠い朝の本たち』の「ひらひらと七月の蝶」で書かれていた「家のとなりで、いつも庭に立って、空を見てた、じじむさいおじいさん」「うるさくてこわいおじいさん」が原石鼎だったことを確認したのである。
夕月に七月の蝶のぼりけり 原石鼎 昭和25年
わたくしが全作品を、初めて掲載されたオリベッティ社の文化誌「SPAZIO」から単行本、翻訳本を収集し、全集を愛読しているイタリア文学者の須賀敦子は芦屋出身で「西宮文学回廊」には、彼女のプロフィールに、
プロフィール 1929年1月19日(戸籍上は2月1日)~1998年3月20日
西宮・東京で育つ。東京では俳人原石鼎の隣家に住んだ。
日本の随筆家・イタリア文学者。20代後半から30代が終わるまでイタリアで過ごし、40代はいわゆる専業非常勤講師として過ごす。50代以降、イタリア文学の翻訳者として脚光を浴び、50代後半からは随筆家としても注目を浴びた。2014年には、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設された。
と記されている。「東京では俳人原石鼎の隣家に住んだ」と記されているが、実に、その旧跡が特定されたのは昨日が初めてなのである。
写真は広尾駅1番出口有栖川公園。