高齢者になって、私も危ない爺さんであります。
他人の書いてあることには、注意が必要であるが、
日々の人間関係などのストレスは、棚上げせざるを得ないこともある。
棚上げしたものは、日々棚卸することになる。
少し古い話だと、何を今更となるのが日常だろうと思う。
時効のようなものである。
あまりいつまでも心に残るようなら、なんらかの儀式で処理することになる。
酒ばかり飲んでいると、この流れが止まってしまい棚の上に荷物が満載となる。
どうするか。
アルコール依存症に限らない話なので、当事者意識を持っていれば、大概の人はわかる。
当事者に寄り添うことで、自分が当事者であることを忘れると、おかしなことになる。
飲酒によって、他者との関係・社会的な人間関係をシラフで対応してこなかった期間が長ければ、その人間関係の経験はそのまま抜け落ちていることになる。
断酒始めて、ある程度以上の年数の人で、この弊害を語る人は多いと思う。多くの話を聞いたように思う。
断酒を継続することによって、解決された話として聞くことも多い。
すでにあった人間関係を壊したが再構築した話。もともとなかった人間関係、希薄であったものを作ることができた話。
他者が自分と同じ認識を持っているわけではない。
全く別の認識のもとに動いていることも多い。
自己中心的に同じ認識を持っていると考えていれば、多くの自己への攻撃に対して、
共感しない他者は敵対しているものと感じられるだろう。
自分は孤立していて、なんらかの理不尽な理由で差別や虐待を受けていると感じることもあるかもしれない。
多くの場合、他者は自己に対して無関心である。関心を持って追い回して攻撃を加えるような存在ではない。
そんなことをしているほど、暇な人間は稀にしかいない。
稀にしか存在はしないが、場合によっては延々と付き合うこともある。
ここで、排除が起こる。社会からそのような行為を行うと排除される。
アルコール依存によって、奇異な行動や反社会的行動を行なって社会から排除された存在、自己疎外に陥ることもある。妄想や暴力を伴うこともある。
行為に対して、社会的な反撃や制裁を受ければ、社会への恐れを持つことになるが、加害者の側面を認識することは少ない。
素面であれば対応できることも飲酒や、飲酒によって社会的な訓練を行なってこなかったことによって、解決する問題も解決しなくなる。
自分が痛い時は、他人を殴るという対処法があり、理不尽ではあるが日常化することもある。
国単位でこれを行うと戦争になる。
ミサイルの打ち上げが止まらなければ、軍事衝突に進むだろう。
日本が巻き込まれないのを祈るばかりである。
進行するのを止めるのが難しい病気もある。
ニーバーの祈り
神様、私にお与えください、
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを、
変えられるものは変えていく勇気を、
そして、二つを見分ける賢さを。
来年は、男たるもの生涯現役。来るもの拒まず、据え膳くわぬは男の恥。女なくてはよもあけぬ国。セックスは家庭に持ち込まない。この方向で行こうと思う。